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ハコとナカミの痛々しい分離

 ライブドア・ニュースに、今回のLF買収劇に関するコラムが掲載されている。「ステークホルダーをどう範囲付けるか」とのテーマは、月曜日に僕が書いた日記と同じものだ。

 このコラムは、産経新聞の社説との比較を待たずとも、充分中立的な視点で書かれていると思う。今回の買収劇に関し、僕はライブドア・ニュースが媒体として保持してきた中立的な立場に注目したい。この中立性は同メディアが朝日新聞をはじめとする外部情報源にコンテンツを依存する構造上の産物とも言えるけれども、結果的にコンテンツとメディアの分離を果たしている。

 CXがその編成権を行使して堀江氏の出演する番組の放送を中止したことは、コンテンツがメディアの支配下にあることを示し、メディアによるコンテンツの選別を肯定しているかのように見える。一方で、ライブドア・ニュースは必ずしも運営企業に有利とは言えないニュースもリアルタイムに報じており、メディアによるコンテンツの選別を否定、あるいは不選別を積極的に肯定さえしているように見える。

 これは、CXとライブドアとが本業を展開するメディアの本質的差異、つまり有限の電波資源と実質的に無限のインターネット資源との差異に依拠するのではないだろうか。コンテンツの取捨選択についても、送り手がこれを行わなければ収集のつかない電波メディア*1と、ひとまずアップロードして受け手に選別を任せることもできるインターネットとでは、送り手の姿勢は大きく異なるはずだ。この点はまた、以下に引用する対談で露呈する江川紹子氏と堀江貴文氏のメディア観のズレにも直結しているように思う。

 堀江氏のメディア観はまた、彼の企業観にも通じている。彼にとって企業もまた、ある事業を実現させるための手段に過ぎないかのようだ。「○○社をvehicle(=ヴィークル、実行機関)として××事業を展開する」という言い回しは事業投資の世界では何の違和感もなく使われるが、「手段」とされる○○社という事業会社側からすれば気分のいい表現ではないだろう。これは株主の言語で、従業員のそれではないからだ。

 今回LFの買収劇を通じて(主にライブドアによって)白日の下に晒されたのは、「資本と経営の分離」と「メディアとコンテンツの分離」で、それはすなわち、「ハコとナカミの(痛々しい)分離」ということに尽きるのではないだろうか。

【コラム言論江湖】「企業は誰のものか」より:

ステークホルダーをどう範囲付けるか 

 CSRという古びて手垢が付いた用語が日本国内でも復活し、流行になるほど、企業活動が経済格差の拡大や地域社会の空洞化など、様々な現代社会の亀裂を産んでしまった現状がある。CSRという用語は、企業そのもののあり方を問うているのだ。

 今回のライブドア騒動の深層には、この風潮の中で特に、「企業は誰のものか」といった命題が存在する。つまり、企業の利害関係者(ステークホルダー)を、どう範囲付けるかが問われているのである。

 企業を株主や一部の経営者のものとして限定的に捉えるのか、もしくは株主や経営者に限らず従業員や取引先、企業が所在する地域社会や自治体など広範囲に捉えるかについての議論が、フジサンケイグループとライブドアの対立として表象されているのではなかろうか。

-

*この原稿は著者自身の見解に基づいたものであり、(株)ライブドアの意向とは全く関係がありません。

ライブドア パブリック・ジャーナリスト 小田 光康

「新聞・テレビを殺します」 ~ライブドアのメディア戦略より:

引用者注:質問が江川紹氏、回答が堀江貴文氏

――事実が確認されれば、あとはどんな話も載せる、と?

 紙面が許す限りですけどね。あとは人気ランキングだけですよ。

――人気?

 インターネット(のニュースに)アクセスするじゃないですか。そこで何が注目されているか、と。だいたいの記事は、先にネットに出ちゃうわけですよ。注目度が高い記事はアクセス数が多くなる。それを紙にする時に、見出しを大きくする。紙は一日一回くらいしか出せませんからね。

-

――みんなが注目すると大きく扱われるが、埋もれている話を発掘できないのでは?

 埋もれていることを発掘しようなんて、これっぽっちも思ってないんですってば。そういうのは情報の受け手、興味を示す人が少ないわけですから。ニッチな情報なわけですから、いいじゃないですか。一応ネットには載せておきますから、(興味のある人が)勝手にアクセスして下さい、と。

――例えば、イラクのこととか、新聞ではもうあまり載らない。でも……

 いいんですよ、(そういうことは)みんな興味ないんですから。興味ないことをわざわざ大きく扱おうとすること自体が思い上がりだと思うんです。

――でも、提供されなければ興味もわかないのでは?

 そうじゃないと思う。興味がないことを無理矢理教えてもらってどうするんですか? 何の価値があるんですか、そこに。気づかせたら、何かいいことあるんですか、ユーザーの人たちに。気づかせることによって、新聞をとっている人に、何かメリットあります?

――知らないより、知っていた方がいいこともある。

 そうですかね。知らないのと知ることで、何か差異がありますか?

――情報を提供しなければ、興味を持つきっかけにもない。

 いいんじゃないですか、別に興味を持たなくても。興味持たないと、いけないんですか?

――いけないと言っているのではないが……

 じゃあ、いいじゃないですか、それで。そういうもんじゃないですか、情報って。それこそ、押しつけじゃないですか。

*1:ただし蓄積型放送がこの状況を変革しつつある

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