- 2005-02-24 (木) 0:00
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2月15日の夕刻、渋谷。地下鉄の自動改札脇にある掲示板に向かって、一心不乱に何かを書き込んでいる男がいた。緑色で分厚くてボロボロのコートを引きずるようにまとって、伸び放題になった白髪は肩まで届いていたように思う。彼は浮浪者だった。
僕は彼が何を書いているのか興味を持って、男が立ち去るのを待って、掲示板も前に立って、盤面の文字に目を凝らした。いくつもの欄が「ロッテリヤとバァガァキングもっとすぐ覚ラレx」などという緻密な文字列で埋め尽くされ、「旧レッドアロゥと京阪特急」と書かれた列車の絵は「キリンラガァ」の看板を背景に、巨大な「M」の字へ向かう。マクドナルドのロゴだ。掲示板の文字列にはウムラウトつきのアルファベットも出現するけれど、「BÜNÈN」という単語の意味はわからない。
圧倒された僕は、携帯電話のカメラを最高画質モードにして、掲示板全体を隈なく撮影した。撮りに撮った。彼は浮浪者で、たぶん精神病者*1だ。そして、その二つの事実が干渉しえない次元で、彼が詩人であるというもうひとつの事実がある。
次に引用するウェブサイトの主が見かけたのも、もしかしたら彼だったのかも知れない。
多苗尚志の気づきより:
■渋谷の雑踏を歩いていると前を浮浪者が歩く。
みるとジャンパーの背にマジックで詩が書いてある。
春は底まで近づいている。
桜ももうすぐだっていうじゃない。
だけど不景気はまだまだ底冷え。
残念、誠残念、無念…
君にできることはブルース(哀歌)を歌うだけかね。
覚えてる己も無念だ。
05.02.15
*1:それには例えば、溢れんばかりの企業名や商標を押しとどめる防波堤が決壊してしまった人を異常と呼ぶなら、という注釈が必要だろう。同一性の氾濫に対する無感覚が異常だったら、僕らのほうが病んでいる。酒屋のオヤジやタバコ屋のオバサンたちを「コンビニの店長」でくくってしまう利便性(=コンビニエンス)は、差異を認知する責務から僕らを解放してくれる。
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