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センター街のマーティン・ルーサー・キング

 ゴスロリの話でトラックバックさせてもらったイヌヤマ氏のブログに、次のようなコメントが書かれていた。

http://d.hatena.ne.jp/dogplanet/20050712

こういう話を読んでると都会だとまだ同士が集まれたりする分良いですね。地方だと仲間も居ないしイジメのターゲットにされたら大人になっても延々とそれが続くしで地獄でした。というか今もワタシは学生時代のそれらで人格を破壊されたままです。

 ゴスロリあるいは、その他のサブカルチャーに対する僕の認識の甘さを痛感した。まず、いいかげんな僕は「そんなに大変ならやめればいいのに」って思うのだけど、そういうもんじゃないのだ。

 似たような感想は、ギャル企業家氏のブログを見たときにも抱いた。

http://blog.livedoor.jp/sifow/archives/12471145.html

まずはぁたしが成功して同じギャルでも出来たって事で、それをキッカケに頑張るギャルが増ぇる様な、そんなギャルの背中を押しをしてぁげられる存在になりたぃんです!

そして大人のギャルに対するィメージも変ゎってぃく様に・・・

頑張るぞぉ~~~~~~~~!!

 「ギャルでも出来た」っていうのは興味深い表現で、これには「黒人女性でも国務長官に」とか「ヒスパニック系でもロサンゼルス市長に」っていう言い回しと同じ印象を受ける。まるで、ギャルは社会的ハンディキャップを伴った人種的マイノリティかのようだ。いや、もしかしたら「本当に」そうなのかもしれない。

 僕の今回の目的はカルチュラル・スタディーズではないので、ファッションの深層にある心理面には深入りしない。けれども、ゴスロリっ娘やギャルたちがある種の公民権運動に近い心理をもって、マジョリティに対峙しているかのような印象を得たことを書き留めておこう。

 僕は上の段落で「ゴスロリっ娘」と書く前に「ゴスロリ・ファン」と書こうとしたのだけれど、そういう形容は失礼な気がしたので書き直した。選択的な属性という意味では「ファン」で間違っていないんだけれど、社会的なコミットメントの強さは「ファン」という域を超えているように思う。もちろん、全員が全員、そうというワケではないのだけれど。

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