- February 25, 2006 12:00 AM
NHK交響楽団の定期公演のチケットをもらったので、ほいほいとNHKホールに行く。
指揮はクラシックに疎い僕でも知っているビッグ・ネーム、ウラディーミル・アシュケナージ。座席が前から2列目だったということもあるけれど、その小さな体躯が指揮台からいまにも飛び出してしまいそうな――あるいは、肩の関節が外れてしまいそうな――パワフルな指揮はびっくり。曲の終わりに鳴り止まぬ拍手に笑みで応じるなんだかコミカルな仕草にしても、彼がその天職を本当に愛しているのが伝わってくる。
さて、スクリャービンの『プロメテウス(火の詩)作品60』。僕のまったく知らない曲だったけれども、何がすごいって、VJがついてることなんだよね。この曲の楽譜には鍵盤を叩くと色を発する「色光ピアノ」と呼ばれる楽器のパートがあって、いつ何色を表示するかを指定しているんだそうだ。で、舞台上の巨大なLEDディスプレイに抽象的な映像がさまざまな色で表示されることになる。スモークの漂う会場を鮮やかな光が駆け巡って、そこってまるでテクノ音楽のパーティみたいだ。
もっとも、僕の率直な感想は「面白いけどなんだかなぁ」だ。色が音に附随しているだけであるにもかかわらず、注意の大半を視覚が奪ってしまう不均衡が気にかかった。音が時間の経過とともにストーリーを展開していくのに対し、抽象映像の組み合わせにはそこまでの構築力を感じなかった。非常に意地悪な言い方をすれば、別段どうってことのない画面にみんながつい見入ってしまうカラオケ・ボックスに通じる危うさがあるんだよね。歌い手のほうが間違いなくパフォーマンスの主体なのに、映像が注意を過剰に引いてしまう感じ。
プロメテウスが火をもたらしたことで人間が本当にハッピーになったのかどうか?っていう質問と、マルチメディアになることで芸術の表現力が本当に増すのか?っていう質問は相似形だ。火事を起こしたり爆弾に吹っ飛ばされたりしながら、それでもなんとか火の利益を引き出していくみたいに、僕らはいろんな実験を重ねながらマルチメディアの底力を引き出してくんだろうなぁ。もちろんそこには、21世紀に無声映画を撮る!みたいな抑制的なやりかたも大いにあるべきなんだろうけど。
まぁ、それはともかく、調べるにつれてこのスクリャービンという芸術家の、かなりトンガった感性が明らかになってきたので、備忘がてら書いておこう。抑制的っていうのとは対照的な、すごく無節操なところに勝手に共感してしまうなぁ。
この曲において特筆すべき点は、スクリャービンが1オクターヴ中の12の音または調性に、色彩と意味付けを行っているところであろう。右表(原文ママ)にそれを7th順で並べる。
C 赤 人間の意志
G 橙 創造の戯れ
D 黄 喜び
A 緑 物質
E 空色 夢
H 青 瞑想
Fis/Ges 青菫色 創造性
Cis/Des 紫 創造する精神の意思
As 菫色 物質に対する精神の働き
Es 肌色 人間性
B 灰色 強い欲望と情熱
F 深赤 意思の多様化
Cとなり元に戻る。
●音楽の高揚した陶酔感に「神との合一」を求めた神秘主義者スクリャービンは、音と色彩に固有の対応関係を認め、鍵盤を叩くと色光を発する「色光ピアノ」なる楽器まで考案した。交響曲第5番「プロメテウス」では色光ピアノを用いることになっている。が、このアイディアは現在ほとんど相手にされていない。「視覚だけじゃなくて嗅覚も音楽に総合したい」とか「インドに大寺院を建てて神秘劇を上演したい」とか、言ったり書いたりしたことはあまり共感されていないが、音楽の価値はだれもが認めているんだから、作曲家としてはこれでいいんだろう。


