- 2007-11-10 (土) 9:36
- 聴く

また、初音ミクについて書く。ひさびさに面白いもの見つけたなー、って感じなんだ。別に作曲してるわけでも、そもそもインストールしてるわけでもないのに。
さて、「みくみくにしてあげる」の歌詞って、すごい。ソフトウェアの擬人化を前提として、それに「だからもっとわたしに歌わせてね」って言わせてるんだから。でも、一番すごいのは、これを出勤前といい帰宅後といい繰り返し聴いていると、妙な納得感が湧いてきちゃうことだ。
みくみくにしてあげる
歌はまだね、頑張るからみくみくにしてあげる(中略)みくみくにしてあげる世界中の誰、誰よりみくみくにしてあげるだからもっと私に歌わせてね(ika「みくみくにしてあげる」)
それはおそらく日本のアニミズムが今なお、僕たちの中に息づいているからじゃないか、と言ったら大袈裟だろうか。あらゆるモノに気持ちがある、というのは「もったいなおばけ」を違和感なく観て育った僕には、なんだかしっくりくる考え方だ。
脇道に逸れるけれど、いま、「もったいない」を検索して面白くもありがたい浄土宗の説明に行き当たった。
「もったい」というのは、世の中の事々物々すべては、みな互いにもちつもたれつの関係でこそあれ、それ自身単独でわが本体とすべき存在ではない、という仏教の基本的な考えを示すもので、「体なし」すなわち「勿体」という漢字をあてるのである。逆にいえば「勿体」は事物のすべてが互いに多くの縁でつながっている状態を示し、「勿体ない」はその一端をつぶし汚す結果を招くところから出たわけである。
アニミズムが大袈裟なら、初音ミクが醸す「人馬一体の気分」、でもいい。自動車で高速道路に合流してアクセルを踏み込むとき、僕は「さあ行くぞ!」と言うか、少なくとも念じてしまう。もちろん、エンジンに対して言う、Herewegoだ。演奏がうまくいくと、サックスに対して、「いまの良かったよー」って思う。
運転とか音楽とか、流れをコントロールする作業は特に、デバイスとらないとまく行かない。のみならず、実感としてはデバイスが先行して流れをつかむから、むしろ僕らはそれを邪魔しないように並走する、というようなポジションに回る。最高にうまくいくときは、なんだってそうだ。
波をとらえているのは物理的にはサーフボードであって、僕らじゃない。海に頭から突っ込むハメになるのは、いつだって、波をとらえてるサーフボードの上で、僕らが板の気分を無視して無作法に命令するときだ。ゴルフのレッスンでも、「クラブには行きたい方向があるんです。それを力で変えようとすると上手く行きません。」ということを言われた。
車は気持ちのいい音の回転域で走りたがる。サーフボードは最高のタイミングでテイクオフしたがる。ゴルフクラブは完璧なスイングプーレンを描きたがる。サックスは心に響くように歌いたがる。だから、初音ミクもまた、歌いたがったとして不思議はない。
サーフボードが波を必要としているように、初音ミクは音程と歌詞と適切なパラメータを求めていて、そういう気分をまで感じてしまうのは感情移入しすぎかなぁ。
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