Home > 遊ぶ > テニス/ちいさい秋

テニス/ちいさい秋

 暦の上では冬だけど、神宮外苑は「いちょう祭」の真っ最中だし、銀杏並木は黄金色だし、「黄葉」も「銀杏」も秋の季語だから、ちいさい秋。でも、本当にちいさいのは秋じゃなくて、僕だ。

 神宮のテニスクラブでレッスンを受け始めてかれこれ1年。そして、きょう、初めて的(まと)にボールを当てた。コーチの深めのボールをアプローチで返して、その返球に対してロー・ボレーを返す、という練習でだ。ベース・ライン中央に6個並べられた高さ20cmばかりのコーンの、なかほどのひとつにヒット。

 言うまでもなく、いつもいつもいつも狙っていたコーンだ。誰かが当てるたびに羨望とも絶望ともつかない気持ちになっていた。ブランクがあまりに長かったとは言え、テニス歴だけは長いのに、なんで当たるのが自分の打球じゃないんだろう、って。

 そして、きょう、ヒット。当たったことにも驚いたけど、それを上回るメタな驚きは、僕は「的に当てた喜び」を全く表現しなかった/できなかったことだ。嬉しすぎて。

 ボールの弾道がターゲットに当たることが分かった時、それ以上見てられない。次のひとのためにコートから下がる。パコーンという、的に当たった音を背中に聴きながら、「この音はお土産にするしかない」って感じで気持ちのラッピングをはじめる。

 コーチが「ナイス・ショット」って言ったのが聞こえた気がするけど、いや、たしかに聞こえたんだけど、後ろ向きで次にポジションに移動中だったし、ってことで返答を辞退。これはいわゆる「無視」なのかも知れないけど、本能的な歓喜がここまで極まると、他人と共有するっていうレベルじゃねーぞ、と。

 その後も含め、僕は普段はショットのたびに「アー!」とか「オー!」とか声を出すし、ネットにかかったりアウトすると「あー」とか「なんだよ」とか嘆くし、パートナーにはいちいち「ナイス・サーブ!」とか「ジャストです!」とか声をかける。つまりはコート上での感情表現は豊か、——ないしは、過多——なのに、嬉しすぎると何も返せない、ってことを知る。

 そう知って脳裏に流れた曲は、チャゲアス「Yah Yah Yah」。♪必ず手に入れたいものは/誰にも知られたくない。

 そのあと嬉しかったのは、ハード・ヒットの打ち合いでコーチに勝ったこと。あとで、コーチが「手が痺れて痛い」と言った時には、ちょっとした征服感と、コインの両面のような罪悪感。なにしろ、そのとき相手してくれたコーチは女性だから。征服感のぶん割り増しで、気遣う言葉をかける。

 はい。きょう、僕はテニスの練習で的のひとつにボールを当てて、女性コーチをハード・ヒットで負かしました。どちらも、とても嬉しいです。ちいさい僕。ちいさい秋。

関連記事:

blog comments powered by Disqus

Home > 遊ぶ > テニス/ちいさい秋

Return to page top