「根付かぬ模倣の並木」について考えていて、思い出す風景がある。ヨーロッパの石畳だ。
去年ミラノに出張で行ったとき、その石畳に驚いた。美しさに、じゃなくて、不快さに、だ。移動で疲れて早くホテルで休みたいところなのに、石畳を走るタクシーの揺れること揺れること。そのただでも揺れる石畳の道に、路面電車のレールが埋まっているから、前方を横切るレールが運転手の肩越しに見えると憂鬱になる。案の定、さらにひどく揺れる。
じゃあ、ミラノの道路はアスファルトに舗装しなおすべきか? 自動車に乗る快不快だけを考えるなら、何の迷いもなくアスファルトにした方がいい。けれど、そういう話にはならない。この石畳は愛されているからだ。自動車の揺れのひどさは、むしろ逆説的に、ミラネーゼの石畳への愛着を物語っている。
そこで思い出すのは、2006年の11月、サン・フランシスコから東京に向かう飛行機で書き留めたフレーズだ。それは隣席に座った女性が教えてくれたもので、僕は忘れてしまわないように、アテンダントに紙をもらって書き留めた。だからそれは、ユナイテッド航空がオレンジ・ジュースを入れた引出の、ピンクのラベルの裏に書いてある。
Learning to love someone is easier than finding someone you can love.
(愛せると思う誰かを探すよりも、誰かを愛するすべを学ぶほうが近道だ)
ミラネーゼの心意気が気に入ったのは、どうやら彼らはミラノが好きでたまらないらしく、それゆえ、街の一部であるところの石畳の道路も、その揺れのひどさに関わらず、結局のところ愛してしまっているらしいところだ。あるいは、あばたも笑窪、という街への愛着だ。滞在してすぐ、僕にもその石畳は笑窪に見えた。
「青山としての普遍性を得る」なんて大仰なお題目を掲げてマロニエ並木を植え替えなくても、僕たちが働いたり飲み食いしたり散歩したりする日常の青山通りはそこにある。僕らの日常を青山通りが何も言わずに見守ってきたように、僕らもまた、青山通りのマロニエ並木を、落ち葉の不満などを垂らしながらも、結局のところ今まで通りに愛していけばいいんじゃないだろうか。
こういった人と通りとの関わり方のほうが、突如出現するであろうケヤキ並木よりも、よほど普遍的に見える。
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