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ラスコーリニコフの舟板 - ドストエフスキー「罪と罰」

 1月30日付の日経新聞「春秋」欄は、国会の「つなぎ法案」をめぐって、刑法の緊急避難を取り上げて切り口としていた。ここで僕は、正月に読了したドストエフスキー「罪と罰」を思い出した。この作品はまだ消化の途上で、僕はまだ、ステーキを食べたあとみたいな膨満感に浸っているのだけれど、ちょっと触れてみようかと思う。

 春秋は次のように書いていて、論の行く末はガソリン税をめぐる「つなぎ法案」なのだけど、僕の食指は冒頭だけかっさらう。

古代ギリシアの哲学者カルネアデスが示した有名な命題がある。水難で海に投げ出されたとき、一人しか乗れない舟板に取りすがるためには他の人を振り落としても許されるのか――。「カルネアデスの舟板」と称されるテーマである。

(1月30日付 日経新聞 朝刊)

 そこで刑法の緊急避難の概念を導いて、「やむを得ずした行為によって生じた害が、避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り罰しない」という定めを引用する。この比較は合理的だと思うけれど、それでも比較考量の実務が困難を伴うだろうことは想像に難くない。しかし、「罪と罰」のラスコーリニコフはさらに大胆な思考実験を進める。

「(略)ぼくはこう思うんです、もしケプラーやニュートンの発見が、いろんな事情がつみかさなったために、その発見をさまたげたり、あるいは障害としてそのまえに立ちふさがったりした一人、あるいは十人、あるいは百人、あるいはそれ以上の人々の生命を犠牲にする以外、人類のまえに明らかにされるいかなる方法もなかったとしたら、ニュートンはその権利......自分の発見を全人類に知らせるために、その十人ないし百人を排除する......権利をもっていたろうし、そうするのが義務でさえあったでしょう。(略)」

(ドストエフスキー著、工藤精一郎訳「罪と罰」)

 刑法の緊急避難は損害と損害との間での選択を是認している。ラスコーリニコフの論点は、利益と損害との間での選択が認められるか、という一歩進んだもので、彼は是としている。ラスコーリニコフの命題を判断する前に、典型的な緊急避難の例ですら、よく考えてみなといけないな、と思う。

 例えば、(A)100人が必ず犠牲になる場合と、(B)10,000人が10%の確率で犠牲になって90%の確率で全員無事の場合と、いずれかが必ず起こるなら選ぶべきはどちらか? 自分が中に入っていると強烈なバイアスがかかるので、選択者は局外者だとしよう。

 (A)の期待値は100人の犠牲で、(B)の期待値は1,000人の犠牲だ。心を鬼にすれば期待値に従い、(B)のリスクを避けて(A)の実害を仕方なく選ぶことになる。でも、本音を言えば、誰も犠牲にならない90%の確率にすがって(B)を選んで(A)の実害を避けたくもなる。

 だって、(A)を選んだら他ならぬ自分が100人を殺めたという気分になるし、(B)を選んで不幸な10%になっても「それは不幸だった」と自分を慰められるから。これはまさにカーネマン教授の「プロスペクト理論」で、「人間は利益を得るときはリスクを避けようとし、損失を被る場合はリスクをとろうとする」ということに他ならない。

 とは言え、それでも僕なら(A)を選びたい。最大確率での最大多数の最大幸福を実現しよう。全員の理解を得られなかったとしても、一時の感情の平穏のために(B)を選ぶのは、10,100人の総体に対して誠実じゃないと思う。

 さらに例えば、(A)いま必ず100人が犠牲になる場合と、(B)10年後に必ず1,000人が犠牲になる場合と、いずれかが必ず起こるなら選ぶべきはどちらか? これも自分は局外者だとしよう。

 これはもはや、"緊急"避難とは呼べないけれど、悩ましい。自分で"必ず"とわざわざ書いたのに、先の例では心を鬼にして期待値に従うことにしたのに、なんだか(A)を選ぶ気になれない。"必ず"と3回も書いた出題者の僕自信ですら、「10年後なら何とかなってるんじゃないの?」と責任逃れの期待をしてしまう。

 (B)の犠牲者数が10,000人だとか100,000人だとかなら、それならやっぱり(B)、ってだんだん思えてきそうなんだけど、その時点で感覚的だ。現在も10年後も1人の重みは変わらない、と考えるほうが既定値なのに、あたかも貨幣の現在価値みたいに今の1人のほうが10年後の10人より貴重に思えてしまうのは何故だろう。

 別に身の回りの100人、って言っているわけじゃない。そもそも、極めて計量的な不特定な思考実験なんだから。それでも、嫌なことは先送りにしたい、たとえ苦痛が倍増しても、という気分が強烈に湧き上がってきた。自分で例題を出題して自分でハマってしまうんだから、いかに実地で判断することが難しいかと思い知る。

 さて、こういう議論を経て、ラスコーリニコフの英雄論を考えてみようと思うわけです。つづく。

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