- March 2, 2008 11:31 PM
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最近読んだ何冊かの本のなかで、一番の大作はポール・ケネディ「大国の興亡」だ。上下巻で800ページという分量よりも、1500年から2000年までの500年間に起きた世界の覇権の盛衰を、総括して論じるというその気概において、これは大作と呼ぶほかない。読み終えて、オスマン・トルコや明王朝の血なまぐさい戦乱は、しかし、幼少時代の微笑ましい記憶のようにさえ思えた。僕たちは大人になってしまったからだ。なぜか。いまの僕たちは自らを滅ぼす核兵器を持っていて、それでいて、未だに核の冬を迎えていないからだ。
未来に起こることを理解する最良の方法は、過去に目を向けて、ここ五世紀のあいだの大国の興亡を振り返ることだろう。本書の論点は、主として経済と技術の発展によって変化を促進するダイナミズムが存在したこと、そしてこのダイナミズムが社会構造、政治体制、軍事力および個々の国家や帝国に影響をおよぼしてきたということであった。
(ポール・ケネディ「大国の興亡」)
という著者の言葉の通り、国内経済と貿易と軍備とをめぐる政策、そして大国間の相対的な国力と地政学的な要素は、この500年間に起こった覇権の栄枯盛衰を驚くほど的確に説明する。それは僕をして、あたかもシムシティを早送りで眺めているかのよな気分にさせるし、明治時代と昭和後期に日本が経験した経済発展が、当時の世界的パワー・バランスにいかに依存して実現されたものかを痛感させる。
とはいえ、そういう正当な読後感に加えて、僕は核兵器の登場がもたらした緊張と、その緊張ゆえの平和(というか非戦争状態)にある種の親近感を覚える。僕たちが何かを破壊しうる力を持つこと、その力が「全て」を破壊しうることに気づくこと、そしてその力と共存すること――、これって個人的な意味で「大人になる」ってのと全く同じだ。
たとえば非常にストレスのかかる満員電車で、それでも、たいていは殺し合いにもならないのは、みんなが大人だからだ。クソムカつく奴がいても、僕が本気で戦ったら相手を殺してしまうかも知れないし、相手も本気で応戦してきたら僕が殺されてしまうかも知れないし、いずれにせよ傷害罪やら殺人罪やらを背負いこんだら、僕は職業的には死刑宣告を受けるようなものだし、そうしたら週末はテニスどころじゃない。クソムカつく奴のために、週末のテニスがなくなるのは、どうも割に合わない。そう考えるのが大人だ。これを核抑止力と呼ばずして、なんと呼ぼう。
もちろん、核抑止力がすべての戦争を思いとどまらせる訳ではない。「核兵器にたいする共通の恐れは、将来、大国間で武力衝突が起こった場合、それを通常戦争にとどめる役割しか果たさないだろう――通常戦争でも、近代的な兵器の威力を考えればそれがとほうもなく血なまぐさいものになると予想されるのだが」とケネディが釘を刺すとおり、通常戦争がなくなったり、多少穏便に遂行されるようになったりする訳ではない。世に口喧嘩は絶えない。
さっき「平和(というか非戦争状態)」と書いたとおり、都市の平穏無事には、「みんな仲良し」というよりはもっと殺伐とした「非戦争状態」という要素が多分にある。僕たちはマクロにもミクロにも核抑止力の日常を生きている、とも言えて、たまに何かの拍子で終電近い駅では殴り合いが展開されたりする。最善の状態ではないにせよ、東京が「北斗の拳」みたいな暴徒の街になっていないことには満足すべきだ。
ケネディはニクソン政権におけるキッシンジャーの外交姿勢を次のように評している。
達成する期待がかけられるのは、世界情勢のなかの合理的な力の均衡にもとづいた相対的な安全だけである。これは、世界が決して完璧に調和することはないという成熟した認識であり、交渉への意欲を示すものだった。
この表現って、「罪と罰」ラスコーリニコフの独善を考えるいい素材だ。ともあれ、いわば「非戦争状態」を次善の策として求めるのは、当面の戦争を回避して日常を送る現実的な「生きる知恵」としてもっと評価されてもいいように思う。核兵器はいずれ開発されたのだから、僕たちはそれと共存する発想を開発し、それをさらに改良していくのが現実的なんだろう。
もちろん、理想も忘れちゃいけない。そのために、僕が一番気高い文章だと思うユネスコ憲章の全文を書き留めておこう。
戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信をおこした共通の原因であり、この疑惑と不信のために、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。(略)文化の広い普及と正義・自由・平和のための人類の教育とは、人間の尊厳に欠くことのできないものであり、且つすべての国民が相互の援助及び相互の関心の精神をもって果さなければならない神聖な義務である。政府の政治的及び経済的取極のみに基づく平和は、世界の諸人民の、一致した、しかも永続する誠実な支持を確保できる平和ではない。よって平和は、失われないためには、人類の知的及び精神的連帯の上に築かなければならない。


