- 2008-03-25 (火) 22:46
- 学ぶ

慶應義塾大学DMC機構デジタル知財プロジェクト主催の「理想のデジタル著作権~私が文化庁長官だったら~」というシンポジウムに参加。僕も著作権法制定当時の想定が明らかに現状に追い越されていることは感じるけれど、コンテンツ流通の主たる障壁は著作権法の不備(があったとして)ではなくて、ビジネス・モデルの未熟さなんじゃないか、との実感を新たにした。行政や立法に対応を求める前に、産業界が解を導く余地はまだまだあるはずだ。
早稲田の境真良氏や骨董通り法律事務所の福井健策氏に比べると、論調にもパフォーマンスにも派手さは欠けるけれど、文化庁の川瀬真氏の論には身につまされるものがあった。CNET Japanの記事から引用する。
川瀬氏は「著作権制度を改正することでコンテンツが流通する、という根本的な誤解がある」と説明。たとえば放送番組の場合、最初から2次利用を視野に入れていない番組制作体制を引いていること(出演者本人および所属事務所の了承を取っていない、2次使用時に権利処理の難しい楽曲を積極利用している)などがあるとし、「変えるべきは法制度ではなく、制作システムや契約システムの在り方」と安易な制度改革に異論を唱えた。
コンテンツの流通に関して、僕は、映像や音楽への権利投資を通じてセル・サイドに立ったり、映像配信事業の調達担当としてバイ・サイドに立ったり、多少なりとも両面を見たと思う。こと商業的意図で製作されたコンテンツに限って言えば、それらがディジタルに流通しない理由は次の2点が大半だろうと思う。第一に、価格が折り合わないため。第二に、権利処理が煩雑なため。
第一の理由は、ディジタル流通の市場が形成途上にあるがゆえの過渡期的な問題じゃないかと感じている。一般論として、バイ・サイドは設備投資が顧客獲得に先行しがちだから、変動費としてのコンテンツ支出をより低く抑えるバイアスを持っているだろう。対して、セル・サイドはディジタル流通市場に、大きな期待を持ちがちだから(期待しなければそもそもり出ない)、えてしてバイ・サイドの提示額に落胆することになるだろう。
けれど、取引実績の蓄積と市場規模・成長についてのコンセンサス醸成を通じて、ここ1~2年でようやく相場が形成されつつあるように感じる。換言すれば、その相場に応じられないセル・サイド/バイ・サイド間での取引不成立は、一義的には、コンテンツの魅力度/流通網としての魅力度を切磋琢磨して、相手を納得させることで好条件での成立を産業的に目指すべきなんじゃないなか。
ディジタル流通に関する権利を許諾権から報酬請求権にすることで流通が活発化する、という論には痛快な印象を受けるのだけど、僕はこれが最終的な解決策になるか懐疑的になってしまう。商業上の取引であれば、結局のところ話は「報酬額の妥当性」に行きつくだろうし、「時価の寿司」にバイ・サイドがおいそれと手を出すのか定かではない。あとで請求書に驚いたり、「時価」をめぐって法廷に出向いたりするのは気が進まないから、むしろ萎縮してしまう可能性すらあるんじゃないかな。だったら、契約によって事前に「許諾」を受ける確実性のほうが魅力的に映るかも知れない。
第二の権利処理の煩雑さも、果たして僕たちは無批判に著作権法を槍玉に挙げていいものか。数か月前、静岡のゴルフ場に向かう車内で、オイル・ビジネスに携わる友人に「可採埋蔵量」という概念を聞いたのを思い出した。地球に埋まっている原油の量――これは「原始埋蔵量」と言うらしいのだけど――は変わらない。けれど、全ての原油が業的に掘できる訳ではない。たとえば深海の底にある原油は採掘しても費用がかかりすぎて儲からないからだ。その採算を加味したのが「可採埋蔵量」というやつで、油価が上がれば「可採埋蔵量」が増える。そんな訳で、「あと○年で石油がなくなる」という話の年数が聞くたびに変わるらしい。
ディジタル流通のための権利処理の煩雑さも、原油の採掘費用と同じように、現時点では所与の取引費用と考えてもいいのではないか。大事なのはむしろ、その取引費用を補って余りあるデジタル流通市場の育成であって、あるいは、成功事例の蓄積だと思う。あるコンテンツ/流通が成功すれば、セル・サイド/バイ・サイドいずれの側にも取引実現に向けた誘因が働くんじゃないか。もちろん、堺氏や川瀬氏や提唱する権利登録データベースは公共財として有用だけれど、その運用にあたて著作権法の改正が必ずしも必要とは言えないだろう。
その点で、CPRAの椎名和夫氏による次の発言を、バイ・サイドの自助努力を促すものとして僕は糧にしたいと思う。セル・サイドはコンテンツの製作を通じて既に一定の果実を社会にもたらしている、と見做していい。資金的そして人的なリスクが投下され、結果として作品が生まれ、通常であれば何らかの媒体を通じて市場に提供されている。その果実を口説き落とすのは、まずは、バイ・サイドの役目ではないか。ディジタル流通の市場には、コンテンツを口説き落とすだけの魅力があるはずだ。ならば、商業的努力こそが先決であって、行政や立法の助力は副次的なものではないだろうか。
「実演家は価格が折り合えば許諾は出す。放送局は権利者に原因があるように言うが、必ずしもそうではない現状が少しずつ明らかになりはじめている。もっと現場を見た議論が必要」
関連記事:
- Newer: 慶大DMC機構「DIPP年次シンポジウム2008」
- Older: ジ・アパートメント

