- 2008-04-04 (金) 18:02
- 旅する

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朝起きて見た窓の景色にはがっかりだった。「ここはどこだっけ?」という疑問が消えて、窓の外の風景がパリだと分かるとともに、僕は落胆を覚えた。無機質なビル群が、色も高さも向きもまるで無計画に散らばっている。そう思うと、近くにあるモンパルナス・タワーさえ気に食わない。なんだこの貧相な風景は。なんて散々に思った挙句、僕はすぐに考えを改めることになる。
いまモンパルナスにある宿に泊まっている。ロンドンでの用事が早く済んだので、一晩早くパリに戻ってきた。ほぼ常宿みたいになっているポルト・マイヨ(Porte Maillot)の宿に電話をしたら満室で、代わりに同系列のこのモンパルナスを紹介された。モンパルナスという地名には聞き覚えがあるし、数日前も食事に来たし、新しい街区に泊まるのも悪くないだろう、と思った。ところが、この風景はちょっとイケてないんじゃないか。
パリは「花の都」だの何だのと世界でもてはやされるし、僕も僕で「パリという大劇場のズルい魅力」とか何とか人のいいことを言っている。よーし、悔し紛れに、「シャンゼリゼの書き割りの裏側は実はそれほどでもないじゃんか」的なことを書いてやろうか、なんて思う。そこで一応、モンパルナスについてwikipediaで調べてやれ。どれどれ…と。
モンパルナスは1900年代までは、北隣の大学地区、カルチェ・ラタンに通う学生の下宿や荒地が広がっていた場所で、家賃や物価はじめ何もかもが安いさびれた郊外であり、区画整理が進んで市街地化した1900年代後半になっても基本的な変化はなかった。世界中から集まった金のない画家、彫刻家、小説家、詩人、作曲家たちは、安い家賃や物価のため、また創造的な環境に身を置いて成功のチャンスを掴むため、「ラ・ルーシュ(La Ruche)」のような集合住宅に住み、芸術家のコミューンを作り上げた。ラ・ルーシュではマルク・シャガール、アメデオ・モディリアーニ、シャイム・スーティンらが水道や暖房のないアトリエで、ネズミやシラミに苦しみながら、食べるために作品をわずかな金で売っていた。ジャン・コクトーはかつて、モンパルナスでは貧困すら贅沢だと言った。
浅薄な考えに顔から火が出るような、反省の怒涛が押し寄せる。シャガールの、モディリアーニの、「そこ」が「ここ」だったのか。僕は憧憬による先入観のために、芸術家のコミューンというのも、それはそれで書き割りの一部としてパリの外観上の美意識のなかに取り込まれていた、とどこか勝手に思っていた。いわば、オペラ座の裏あたりかなぁ、という具合に。
シャン・ゼリゼの街並みには何度歩いても圧倒されるし、僕はその美しさのために、「それこそがパリの美しさだ」と愚鈍な置き換えをしていたのかもしれない。けれど、一番はじめに僕がパリという街に感じた威光は、やはり芸術の孵卵機としての温かい光であって、その光の魅力をいま、僕は期せずして思い出させられた。思い違いの鱗が、音をたてて剥がれ落ちる。
こうなっては居ても立ってもいられない。フライトまでまだ時間があるので、この街を少し歩いてみよう、と思う。
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