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東京のオペラの森/チャイコフスキー「エフゲニー・オネーギン」

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 東京文化会館で小澤征爾指揮の歌劇、チャイコフスキー「エフゲニー・オネーギン」を観る。原作も読み込んで、ボリショイ劇場のDVDも観た。「魔笛」も「フィガロの結婚」も「タンホイザー」も、そもそもは準備体操としてここに観に来たのだ。いやがうえにも高まる期待と、それを超える舞台。そして、一面識もないはずの小泉純一郎氏とホールのどこかでちゃっかり握手してくる、父の意外な瞬発力。

 もっとも印象的だったのはファルク・リヒターが緻密に構築した演出だ。

 まず目を引くのは第1幕と第2幕で降りしきる雪。いま手元に本がないので確かめられないけれど、原作の設定は冬ではなかったと思う。天井からしんしんと降りつづける粉雪が、物語に通底する閉塞感を見事に体現していて、結末に向けた心情的な伏線になっている。農村にあるべき牧歌的な彩りを排しすることで、むしろ舞台が極寒の地であることを際立たせる。

 同様のミニマリズムはラーリナ家の使用人たちの服装にもあって、原作からは彼らは農夫/婦と推察されるのだけれど、舞台では工員然とした制服に身を包んでいる。このダーク・ブルーの制服は、彼らの階級的画一性、そして、従来からの許婚制度のもとで取り決められるであろう結婚の不自由を一目で知らしめる。さらにこの制服は、第2幕の祝宴における列席者のカラフルな服装と好対照をなし、僕らはその両者の差異を一瞬で見てとれることになる。

 そして、心象風景の描写。第1幕、舞台の奥で雪のなか抱擁する7~8組のカップル。彼らは戸外の情景に見える。ところが、同幕第3場でオネーギンが冷たい言葉を放つにつれ、カップルの男は抱擁を解いて女を離れていく。最後の組の男が離れるとき、女は追いすがろうとするのだけれど、途中で立ちすくんでしまう。そして前景のタチヤーナは、ただただ俯いてオネーギンの言葉を噛み締める。僕らは後景の抱擁がタチヤーナの憧れた恋愛であり、また、追いすがる女がタチヤーナのオネーギンに対する本音だと理解しているから、タチヤーナの苦しみと抑制との深さや強さを思わずにはおれなくなる。舞台上でタチヤーナ本人が大袈裟に嘆かなくとも。

 これらの色彩的あるいは演技的な抑制(とそれらによる効果の増大)もさることながら、時代設定や舞台設定を敢えて明らかにしないという抑制も、一幕毎にその効果をまさに劇的に発揮していく。

 原作を読みかじった僕らが当然抱く「帝政ロシアの物語だろう」という思い込みを、第1幕は否定も肯定もしない。それは情報が抑制されているためで、しいて言えば上述のような制服に対する違和感くらいだ。そして第2幕の祝宴、男たちはダーク・スーツに身を包んで、あまりいい趣味とは言えない派手なシャツとネクタイで胸元を飾って、まるで1980年代の東京のようだ。そして、第3幕の社交界はプラダかグッチのステージのようにシックで"現代的に"洗練されていて、僕は目から鱗を落とす。

 そうか、これは大昔の物語ではなく、さらには、ロシアの物語かも疑わしいのだ。むしろ、最後の最後に明らかになるのは、これは現代の僕らが経験しつつある物語だ、ということだ。「オネーギン」のテキストの普遍性を、その普遍性自体を、最終幕で僕らはまざまざと実感することになる。だめんず「オネーギン」は対岸の火事ではないのだ。してやられた! この演出に、僕は鳥肌が立った。

 もちろん、世界のオザワにも言及したいのだけれど、僕の音楽的な解像度はさらに荒いから、なにをどう書いていいかよく分からない。ただ、オーケストラの音々が僕がいままで経験したことのない程度にまで融合されていて、オーケストラ・ピットのなかには実はひとつの楽器しかないのではないか、と訝りたくなるくらいだった。これが小澤征爾、あるいは彼の求心力なのだろうか。

 ソリストで際立っていたのはタチヤーナ役のイリーナ・マタエワで、第1幕の手紙の場面は胸に迫るものがあって、「乙女の恋心とはかくも美しいものか!」などと、我がことのように感銘する。誕生日も迎えてオッサン街道を邁進する僕にも、ジェンダーの壁を突き抜けて届く歌。この作品において純粋な感情的クライマックスはこの冒頭の場面で到達されて、あとは社会的な状況との折り合いになっていくんだよね。人生もそうなのか、などと思ってみたりもするけど。

 なんて、観劇後に僕が思ってみたりもしている間に、父はホールのどこかで小泉純一郎氏を発見し、とっさに手を差し出したところ握手されたりしていたらしい。まるでアイドルの追っかけのような、この思い切りと瞬発力は意外だ。ともかく、小泉氏もこの舞台に上機嫌だったんだろう、なんて想像してみる。

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