- May 6, 2008 10:13 AM
- 旅する

iPodは偶然をくれる。早起きして成田をめざす僕は、ふと、TRFのかわりにシューベルトの「ます」を再生してみた。TRFは昨晩聴きまくったからだ。五月の陽光が街路樹で漉されて、バスの座席に届く。その情景とこのピアノ五重奏曲の第一楽章の浮き立つようなリズムの調和といったらない。このバスすら淡島通りを敏捷に泳ぐ川魚のようだ。ブラック・バス? いや、東急バスか。
シューベルトとバスが醸す、加速度と左右の重力が心地いい。となればこの曲、飛行機に合わないわけがない。行方不明だったパスポートも、上着の――普段使わない方の――内ポケットからあっさりと救出され、離陸準備万端だ。ロンドン行きの機中で試してみよう。チャットモンチー「とび魚のバタフライ」に並ぶ機内曲になるんじゃないか。楽しみだ。
そしていまは、成田のラウンジでこれを書いている。白飯と味噌汁に、焼しゃけ・明太子・ひじき・山葵漬けの朝食。確か前回もこの時間帯だったかと思うけれど、普段は食べない朝食も、あればあったで実は食べる。ブレザーを脱いで羽織袴に着替えたいほどの、燃え立つような日本。まだ明らかに千葉にいるというのに、郷愁を誘うような温かさと、国粋主義をすら感じさせる熱狂で"日本"を提示してくる。さすが日本航空。
さっき、チェックイン・カウンターで復路を英国航空から日本航空に変更した。急だったので仕方ないとは思うけれど、ちょっと時間がかかった。すると、どこからか椅子を運んできてくれた。健康な男子には不要というほかないけれど、こういう気遣いは衝撃だ。ふと、ロサンゼルスの空港でサーフボードを含む大荷物を抱えたうえに延々と待たされたことを思い出して、いじめられっ子が母親の胸に飛び込んだときのような気持ちになる。
世界全体でみたら不親切極まりない空港という場所で、惜しげもなく発揮される母性。これから行くヒースロー空港の疑心に満ちた対応を思うと、すでにちょっと気が重くなる。ある意味で、日本航空は僕らを甘やかしてスポイルさせている部分もあって、現に僕は、そういう甘えもあって帰国便を英国航空から日本航空に戻したりしている。帰国後のスケジュールがちょっと厳しくなるにも関わらず、だ。司馬遼太郎が次のように言うのも納得できる。
一九七二年、はじめてヨーロッパに行ったとき、何よりも、日本の旅客機のことにおどろいた。十八時間の飛行時間のあいだに、すっかり幼稚園児になってしまった。スチュワーデスは幼児の母であり、あるいは保母さんだった。
(司馬遼太郎「アメリカ素描」)
同書で司馬は「人間が体力が衰えると、カイコがマユの中に入るように自分の文化にくるまりたくなる」と指摘している。焼しゃけは、そういう甘えの文脈のなかにある。サン・テグジュペリの「夜間飛行」を読んだとき、その冒険譚に興奮した。けれど、幸か不幸かこんにちの空の旅は冒険ではない。きょうの空は、チャットモンチーの「とび魚のバタフライ」やシューベルトの「ます」、そして焼じゃけといった、楽しげな魚たちと遊ぶ凪の大洋なのだ。まぁ、これは喜ぶべきこととすべきだろう。
「夜間飛行」を思いながら、かつて予想だにできなかったであろう未来を楽しむとする。


