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神と我が正義、そして、我が権利

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 観劇のチケットを受け取りに行くついでに、王立歌劇場の周囲を歩く。「ロミオとジュリエット」だとか次回公演のポスターも気になるものの、それ以上に僕の目を引いたのが、ポスターの掲示板の上に掲げられた英国王室の紋章。間近で見ると、「Dieu et mon droit」と書いてある。イギリスなのにフランス語。まぁ、それはともかく、このフレーズは面白い。

 フランス語の「Dieu et mon droit」を英語に置き換えれば「God and my right」ということだから、まず僕は「神と我が権利」と日本語で理解する。これだって十分面白い。神に仕え、そして得た権利を行使することが、国家成立の基盤になるなんて発想は日本人の僕の実感にはない。家々が集まって集落、集落が集まって市町村、市町村が集まって都道府県、都道府県が集まって国、というのが僕の素朴な実感だ。神というより近所。
 いま僕は空港のラウンジで、うっかり本を受託手荷物に入れてしまったので正確に引用できないけれど、司馬遼太郎は「アメリカ素描」で次のようなことを言っていた。アメリカが自らの国家を指す「ステイト(state)」という語は、「法定の(statutory)」という語にも語幹が通じ、いかにも人工国家らしい、と。また、それに対して他の国の「ネイション(nation)」という語は、「自然(nature)」の語に語幹が通じ、民族集団として自然発生的に生じた経緯に沿っている、というようなことも言っていた。後者は、僕の「近所」の拡大版としての「国家」という発想と同じものだろう。
 英国大使館のサイトによると、「神と我が権利」は12世紀に遡る言葉で、15世紀にヘンリー6世が王家の銘に採用したらしい。近所というより神との契約のなかで社会を規定する発想、司馬の着想を借りれば「ネイション」よりも「ステイト」に近い。ジャン=ジャック・ルソーの「社会契約論」が18世紀に書かれたことを思えば、発想としての「社会契約」自体は、ルソーのはるか前から存在していた、と言えるのではないか。僕の勝手な想像にすぎないけれど。
 さらに面白いのは、英国大使館は「God and my right」を「神と我が権利」ではなく、「神と我が正義」と訳している。僕はとっさに「権利」と訳して面白がってしまったけれど、「神」と並列する文脈なら「正義」のほうがしっくりくる。とはいえ、「正義」と「権利」が同じ言葉というのも、あらためて考えればそれ自体もなかなかに面白い話だ。この銘が示唆するように「神の思し召し」と並列して考えれば、神の思し召しが個々人に降り注いだら、それはたしかに「権利」であり「正義」でもある。
 「正義」は実務上「義務」を生じるから、これを「義務」と換言するのを悪ノリと思わないでほしい。神と、我が義務そして権利。能天気な僕にはあまりピンとこないけれど、この発想はアメリカや、欧州諸国の発想を理解する糸口を与えてくれるような気がした。

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pingback from アメリカは終わらないネズミ講 – 包含的愛国主義の国 - チャールズ街141番地 by the SYNTAX ERROR 09-12-20 (日) 22:17

[...] リカ素描」で、元来の住民が自然発生的に形成するnationと、原初から設計されるstateの違いを書いていた。アメリカはまさに後者で、のみならず、アメリカのみが後者に該当するだろう。 [...]

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