空港に向かう電車のなかで、野口嘉則「3つの真実」の後半を読み終える。この本はX氏が僕にくれたのだけれど、役員秘書からこの本の入った封筒をもらった時、正直に言って僕は警戒した。当初の僕の意図とは無関係に、しかし、結果的に、僕のある提言がX氏の職業上の地位を脅かしていたからだ。だから、この本の――あるいは、この本を渡されたことの――趣旨は、恨み節でも言い訳でも仕方なかった。僕は生まれて初めて、道義的な義務感から本を読んだ。けれど、この本の内容は温かみに満ちていて、僕は、わだかまりが溶けていくのを感じた。
主人公の事例がいちいち我が事のようで、胸に突き刺さる。けれど、「人間は肉体を超えた存在であり、宇宙の偉大な力とつながっている。」というくだりには、ちょっと身構えてしまった。これが世に言う"スピリチュアル系"なのか? 「わしは」とか「じゃった」とかいう老人も怪しい。けれど、巻末に霊媒師やら壺やらの広告がないことを確かめて、僕はとりあえず読み進む。そして、思わず涙した。
いくつかの重要な示唆があるのだけれど、たとえば、人間の行動の背景には「愛」か「恐れ」かのいずれかしかない、とは核心を突いている。文中ではそこまで触れられていなかったかと思うけれど、一見同じに見える行動でも「愛」に起因するものと「恐れ」に起因するものがありえるだろう。「怒り」が「恐れ」が引き起こす、あくまでも二次的な感情である、という看破も納得。
さらに、「Doing(行動)」と「Having(結果)」ではなく、「Being(存在)」をこそ評価せよ、という。これは母親の子に対する無償の愛にも似ていて、一般に敷衍するのは難しい。難しいけれど、試みる価値は十分にあるし、その先には疑うべくもなく平和が見える。他人の行動や結果を裁きたくなる衝動は時として抑えがたいけれど、それって実はあんまり生産的でないこともよく分かる。
いま僕は、唐突に「歓ちゃんの仮装大賞」のことを思い出す。僕はあの甘い評価、特にメーターが「あと一歩」となると、結局は審査員が満点にしてしまうような、あの惰性が嫌いだ。けれど、低得点が続出したら茶の間は白けてしまうかもしれない。一方で、「のど自慢」や「アメリカン・アイドル」の冷静な評価に感じる好感も否定できない。健全な競争と存在の受容とを、どのように両立させればよいのだろうか。
物語のなかで特に象徴的だった事例は、恋人の誕生日をめぐるものだ。男がガールフレンドを喜ばせようとしてクルーズを予約するのだけど、当日彼女は遅刻してふたりは船に乗りそびれる。そこで彼は彼女を責めて、結局のところ彼女に辛い思いをさせてしまう。それはまさしく、目的とは正反対の結果だ。なんとありがちな話か。
この本の内容には、実はそれほど特別な新事実がある訳でもなく、切り口こそ新鮮だけれど物語自体はむしろ普遍的だ。ただ、本書はスティーブン・コヴィーの「7つの習慣」にも似ていて、共有することで大きな価値を発揮すると悟った。このテキストを叩き台にして話し合えば、人間関係はより充実したものになりそうだ。
だから僕は、成田の空港から読み終えた一冊を婚約者に送り、母にはこれを読むことを強く勧めるメールを打った。ちなみに母は、驚くべき行動力でこの本をその日のうちに買って読み終えてしまった。東京に帰ったらX氏とも話をしよう。
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