ジョン・F・ケネディ空港の入国審査は混んでいて、それなりに快適だった空の旅の余韻も、一気に二流市民という現実がかき消す。正確に言うと、僕は市民ですらないから、つまり、アメリカから見れば潜在的なテロリストということだ。この国に降り立つともれなく、そういう貴重な気分が味わえる。けれども、読み終えたばかりの「3つの真実」は、このささくれ立った気分と状況にも一条の光明を与えてくれた。
僕は自分の婚約者のことを考えていた。来月はふたりでサン・フランシスコの空港に来る。その旅を想像をしていたから、入国者を入国審査官の列に捌く係員に、一人旅の僕は思わず「僕たちはどこに行けばいいですか?(Where shall we go?)」と聞いてしまった。「"あたなは"どこに行けばいいかって? 21番の窓口へ!」と、係員。そこには、「わたし」と「わたしたち」の区別もつかない僕の英語への非難と、窓口まで付き添っては行かないという拒絶のニュアンスがあった。
21番の窓口にはアジア人と思しき老人が並んでいて、ヒスパニック風の家族が並ぶ22番よりは"当たり"に思えた。両親と3人の子どもの指紋を採ったり、彼らがアメリカに永遠に居座りはしないか確認するのは、ずいぶん時間がかかりそうだったからだ。欲を言えば旅慣れた出張族と思しき日本人が並ぶ20番が良かったけれど、21番の老人も身なりも悪くないし、ソツなく入国してくれる雰囲気だ。
ところが、21番の係員は老人に、「これは持っていないのか」と窓口に貼った税関申告書を指す。実に初歩的。イラついて普段以上に心の狭い僕は、申告書を書くために老人が列から脱落することを予想し、かつ期待する。ところが老人は雑多な書類の束を入国審査官に渡し、「ここから探してくれ」という素振り。これは寝技だ。審査官も無碍には断れないようで、結局は申告書を探してやって署名させる。記帳台は列の後ろだけれど、署名だけなら勘弁してやろう。
しかし、と思う。アメリカの入国手続に時間がかかるというのは分かっていたことだし、それはこの老人のような全入国者たちの手続の総和だ。そこには当然に僕自身も含まれる。さらには、この老若男女白黒黄色の多様性こそがアメリカの魅力であって、僕もまた突き詰めればその魅力がためにこうして仕事に来ているのだ。目の前の老人が税関申告書を手に持っていなかったことを取り沙汰するのは、葉を見て森を観ず、だろう。あまりにも瑣末。
出張者やら観光客やら移民やらが続々と押し寄せて、この土地で前に進んでいく。それは紛れもない事実で、問題はこの鼓動を感じるかどうか、ということだ。アメリカの根本への理解は、3日間の短い滞在と言えどもこの国で過ごす時間の質と成果を変えうる。ならば、「3つの真実」が提起するような人間関係への理解と無理解は、ついには僕たちの人生の終着点をも変えてしまう大きな違いになるはずだ。空恐ろしくもあり、心躍るものもある。さて、僕たちはどこに行こうか。
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