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映画「ラスベガスをぶっつぶせ」


 ロンドンに向かう機内で、映画「ラスベガスをぶっつぶせ」を観る。MITの天才青年がブラックジャックでカード・カウンティングをする話なんだけれど、僕は去年の冬にラス・ヴェガスでまさにこのカード・カウンティングのお先棒を担がせてもらったので、あのスリルが蘇るようだった。一方、こんな映画が世に出るくらいだから、もう、カード・カウンティングは過去のものになりつつあるのかも知れない。

 カード・カウンティングが難しくなっている理由は、6組ものカードを使い、かつ、それらを使い切る前にシャッフルするテーブルが増えているからだ。去年の冬も、2組のカードをほぼ最後まで使うルールのテーブルを探すのは苦労した。理論上、残りカードの数が少なければ少ないほど次のカードは予見しやすい。一方で、6組のうち例えば5組目あたりでシャッフルされてしまうと、仮に残りのカードがある程度予見できたとしても文字通り振り出しに戻ってしまう。
 カード・カウンティングの観点から、映画で明らかに描かれなかった部分は残りカードの「プラス」あるいは「マイナス」度合いに応じて掛け金を上下させる部分だ。この振れ幅が大きければ大きいほど「マイナス」の回で見送るときの損失は小さく、「プラス」の回で狙うときの利益は大きくなる。そしてもちろん、この振れ幅が大きければ大きいほど、それだけの理由でカジノの注目を集めてしまう。この部分は意図的に描かれなかったようだ。
 ソニー・ピクチャーズ作品で、かつて資本関係のあったカジノ、MGMグランドの商売に障るような細部までをもわざわざ描こうとはしなかったのだろうか、と邪推してしまう。もちろん、娯楽映画としてカード・カウンティングの詳細に深入りする意味がない、というのも道理だろうけれど。一方、豪華なスイートが描かれるプラネット・ハリウッドの経営にはシルヴェスター・スタローンやブルース・ウィルスも関与しているようだから、プロダクト・プイスメントにはハリウッド人脈が関係しているのかも知れない。
 おっと、映画のツマラナイ方に話が逸れてしまった。オモシロイ方は、数学の天才がカジノを「やっつける」ことにある。僕たちは誰しも、「カジノには勝てない」と、経験的あるいは数学的に知っていて、そのくせいつもカジノのカーペットを歩くと「今回は勝てそうな気がする」と思ってしまい、そしてさらに「経験」だけが増えていく。その積年の思いを映画が晴らしてくれるのだから、それはいくら陳腐でも痛快だ。負け犬根性丸出しで僕はMITの天才に思いを託してしまう。
 とはいえ、一番グッとくるのはやはり、ラス・ヴェガスの劇場性だ。冴えないオタク青年が名うてのギャンブラーになることすら、普通の女子大生のヒロインがゴージャスな女に変身する様子にくらべたら、まったく取るに足らない。今月僕らはサン・フランシスコから国立公園めぐりをした末に、ラス・ヴェガスに行こうとしている。僕は荷物になるから靴はトレッキング・シューズとサンダルだけでよかろうと思っていたけれど、この映画を観て、わざわざイチゴ抜きのショート・ケーキみたいなことをするのは馬鹿げていると悟った。
 テントと折り畳みイスですでに制限一杯の重量が超過しようとも、革靴とハイ・ヒールと、それに似合う服を持っていくべきなのだ。そしてシルク・ド・ソレイユを観たあとはクラップスをするのがいい。見た目は派手に、リスクはほどほどに。そして、ラス・ヴェガスを飲みつぶせ!

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