- July 6, 2008 9:07 PM
- 聴く
坂本龍一とクリスチャン・フェネス(Christian Fennesz)のユニット、フェネス・サカモト(Fennesz Sakamoto)のアルバム「サンドル(Cendre)」を借りて聴く。大枠で言えば、チル・アウトなエレクトロニカ、という感じになるのかな。奇妙でいて不愉快ではなく、そして、刹那的でいて示唆的な、浅い眠りの短い夢。これが僕の印象だ。チル・アウトな曲なのにユルさがなくて、むしろ深刻だ。まさにこの深刻な口調が、ともすると退屈なつぶやきを神託めいたものにしている。このアルバムを聴きながら眠るべく、僕は書斎からコンポ一式を抱えて枕元に据えた。
このアルバム全体を通じて、ピアノはシンセサイザーなんだ、とあらためて思い知らされる。あるボタンを押すとドの音が、その隣のボタンを押すとレの音が、それぞれ鳴る。そういう機械だったのだ。そんなデジタルなピアノは一発撮りのアナログな生音で再現される。一方でアナログな弦楽器であるフェネスのギターはむしろ徹底的なデジタル・エフェクトの洗礼を受けて再生される。コラボレーションというよりは超克と呼ぶべきような緊張感。
さて、問題はどんなシーンでこのアルバムを聴くか、かも知れない。無難かつ最適なのは寝室じゃないだろうか。きっと哲学的で深い眠りに僕らを導いてくれるだろう。静かで眩しい「異邦人」的な浜辺が手近にあったら、そこもいいだろう。ヘッドホンをして街中で聴くのにも魅かれるけれど、外界とのギャップが吉と出るか凶と出るか。穏やかな気持ちならば食後の居間もいいだろうけれど、食堂で食事中に流すのには禅的すぎるかも知れない。
そして、これを聴くのにどこにも増して一番危険なのが自動車の中だろう。ステアリングを握ったままデイヴィッド・リンチの「ロスト・ハイウェイ」みたいにブッ飛んでしまうのが目に浮かぶ。そうそう、深刻のまどろみ、あるいは瞑想的な音楽というのは、心理的にはブッ飛んでいたりもするのだ。心を自由に遊ばせるなら、やっぱり、ベッドの上で目を閉じて聴くのが一番かも知れない。
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