この写真は僕が2007年の8月に近所で撮ったもので、道路標識か何かの柱に巻かれていた世田谷区の区章だ。結論から言ってしまうと、この区章は素敵だ。フィッシュマンズのアルバムに「宇宙 日本 世田谷」というのがあるらしい。僕はそのアルバムを聴いたことがないけれど、世田谷(区章)の強さを宣言している点において大賛成だし、それがために聴いてみてもいいと思う。さて、その世田谷(区章)がついに英国ウェストミンスター(市章?)を打ち破った。もちろん、道路標識か何かの柱の話だ。
これは5月にロンドンで撮った写真で、電柱に浮き彫りにされた模様だ。"W"に見えるので、そうだとしたら、これはウェストミンスター市を示すのではないかというのが僕の推論だ。ただのニョロニョロかも知れない。ただし、いずれにせよ、支柱の装飾としては世田谷の方が上出来だ。
もちろん、ウェストミンスター(だということにしよう)の、鋳造や色彩の重厚さは圧倒的だ。ニョロニョロした"W"(だということにしよう)さえ、「イニシャルでわかるだろう」と言わんばかりの威圧がある。けれど、そこにはどこか自己満足的な、ともすると独り相撲的な、そういう権威を感じてしまう。
対して、世田谷のトゲトゲには、そういった現世的な自己顕示がない。区の説明では「外輪の円は区内の平和、中心は「世」の文字が三方に広がり、人びとの協力と区の発展を意味しています。 」とのことだけれど、「世」の文字は極限まで抽象化され、垂直に交わる直線の印象を辛うじて留めるまでに至っている。その形而下の印象の向こうには、「平和」や「協力」・「発展」といった普遍的な想念が織り込まれている。
もちろん、デザインの後講釈などただの飛型点だ。本当の飛距離は、実は素材という時代性にある。世田谷のトゲトゲは反射性の「キラ」でできていて、それはポスト・ビックリマン世代の現代においては権威の象徴にほかならない。ケータイがスワロフスキーのクリスタルを従える現代の文脈で、あるいはその出現以前に、区章が「キラ」で飾られている。対するウェストミンスターのレリーフは華麗ながらも古代エジプト文明の借用でしかない。英国博物館の歴史的所蔵物が、結局のところ借り物ばかりであるのにも似ている。
もちろん、世田谷が英国のいち行政単位を凌駕したところで、区民にとっては小さな一歩かも知れない。けれども、明日またロンドンに行く僕にとっては重要な確認事項だ。エリンギのソテーと、ピーマンとベーコンの炒め物を適当につくり日本酒で晩酌をして上機嫌の世田谷の僕が、ベートーヴェンの交響曲に勢いを借りて言うのだから、これはほぼ間違いない(という可能性がある)。ロンドンでは強気で行く。キラのシールの現代日本から、レリーフの鋳物の英国と対等の事業を提案しよう。なにしろ、2008年ですから。
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