- August 2, 2008 10:53 PM
- 旅する
きょうは移動日だ。いや、正確に言うときょうは移動日の始まりだ。僕らはカリフォルニアのヨセミテ国立公園からネヴァダ州を跨いでアリゾナのグランド・キャニオン国立公園へと、2日間かけて1,100kmを走るのだ。きょうはヨセミテを発ってタイオガ・パス(Tioga Pass)を行き、そして395号線の風景を下ってデス・ヴァレー国立公園で投宿しようという算段だ。ただし一日の大半を車中で過ごすのも癪なので、早朝の軽いハイキングでヨセミテとの別れを惜しむ。
朝はまた7時くらいに起き――といっても夜は早々に寝てしまうので特段に早起きという感じはしない――、紅茶を淹れたら登山靴を履いて出勤。カリー・ヴィレッジから遊歩道の入口まで10分ほどで移動して、ミラー・レイク(Mirror Lake)へ片道30分のウォーキング。まさに「鏡の湖」という名の通りで、光の加減で水面に映る風景のほうが明瞭なくらいだった。林のそこここにリスが走り回って、牡鹿も悠然と朝の散歩をしている。ディズニーの「白雪姫」か何かのアニメで見た気もするけれど、本当にこういう場所があるんだなぁ、と妙に納得。
キャビンに戻って荷物をまとめてチェックアウトをしたら、ヨセミテ・ヴィレッジに寄って写真家アンセル・アダムス(Ansel Adams)のギャラリーを観る。アダムスだけではなくて他の写真家の作品や、絵画やアクセサリーなんかもあって、神の業である自然と人の業である芸術とを上手に見せている。また別途触れたいけれど、アメリカの国立公園は本当によくデザインされている。なんて感心しつつ、自宅用にアダムスのポスターを買う。
タイオガ・パスを東へ走ると、例によって美しい風景にもじきに慣れてしまうのだけど、それでも思わず車を停めずにはおれなくなる場所があった。そこはオルムステッド・ポイント(Olmsted Point)といって、堅牢な岩肌のそれでいて滑らかなドレープから緑の木々が抑えがたく萌え出でている。この岩肌が視野全体を覆うほどなので、天を目指す松の木立ちも、まるでパンに生えたカビみたいだ。つまりは、そういう縮尺の世界なのだ。遠景にヨセミテ・ヴァレーのハーフ・ドームが
見える。
次に息を飲む風景はテナヤ・レイク(Tenaya Lake)だ。青い空と白い岩と緑の木立ちの乾いた風景のなかで、底まで透き通った湖がただただ凛然と広がっている。高地の水は、生命の保護者というよりもむしろ解釈を拒む絶対的な存在といった風体で、その対比のために水辺に立つ若木も果敢な挑戦者然と見える。「自然」と「人間」という区分を勝手な前提として僕は木々を「自然」という"向こう側"に無自覚に位置づけてしまうのだけど、この冷徹な風景のなかで木々は、しかし、生物としての猛然とした生き残りを見せる。彼らもまた戦線の「こちら側」で戦っているのだぞ、と言わんばかりだ。
車を走らせてさらに東へ向かうと、水はまったく違った表情を見せる。トゥオルミ・ミドウズ(Tuolumne Meadows)がそれで、牧草地という名前の通り実に、澄んだ静かな流れの両側には安らかな風景が広がっている。まさに"のどかな高原"といった風情で、野草が咲いてリスが駆け回り、そのリスたちも時折、立ちあがっては景色を見渡している。オルムステッド・ポイントやテナヤ・レイクに比べたら、気が抜けるほど安穏な世界だ。荒々しい風景に対して本能的に高まっていた緊張が、これもまた本能的にほぐれていくのが分かる。きっと、動物の棲むべき場所、というのがあるのだろう。
ヨセミテ公園のゲートを出て、アンコールのようにタイオガ・レイク(Tioga Lake)が現れ、それからは地平線へ続く道路をひたすらに走る。途中でマンモス・レイクス(Mammoth Lakes)という愛らしい街に立ち寄ったりもしたけれど、そんな寄り道を除けばとにかく直進あるのみ。ただし、直線の道路が必ずしも無表情という訳ではない。山ほど積んだ飼葉を散らしながら走るトラックを追走したり、戦車を積んだトレイラーとすれ違ったり、突然襲い掛かる砂嵐に遭遇したり、はたまた砂嵐と戦う消防士のようなスプリンクラーの農場を横切ったり、という具合だ。
そして、いよいよ見渡す限り砂と岩ばかりの死の谷、デス・ヴァレー(Death Valley)に突入。自動車のオーヴァー・ヒートが即ち生命の危険を伴うというわけで、巨大な冷却水のタンクが警鐘を鳴らす。そして、海どころか水分そのものとまったく無縁な世界で海抜0mの看板が佇む。国立公園の入場料を払うべく事務所に寄ってとにかく驚いたのは、ドアを開けた時の熱気のすごさ。この自動車はいつしか、移動手段というよりもシェルターになっていて、いわば灼熱の海をスキューバ・ダイヴィングしているような状態になっていた。事務所は無人で――これがまた心細い気持にさせる――、自動精算機で入園料を払う。誰もいない小屋の壁にかかった温度計は45.5度を指していて、それは不在の理由としては充分すぎるほどだった。僕も慌てて車に戻る。
ファーニス・クリークで、ファーニス・クリーク・ランチ(Farnace Creek Ranch)というモーテル風の簡素な宿にチェックイン。原油価格の高騰で冷房費として1泊あたり3ドルほど追加でかかるとの断り書きがあったけれど、冷房こそが生命線だから何の異議もない。宿自体は簡素ではあるけれど、ラングラー・ステーキハウス(Wrangler Steakhouse)食堂の雰囲気とサーヴィスは予想に反してしっかりとしていた。名前の通りステーキが売りだけれど、「夕食を手早く済ませて日没を眺めたい」と相談したら魚料理を勧めてくれた。ニジマスのソテーの焼き加減は適切で、このあと運転がなければ豊富そうなワインと楽しめたのに、と残念なほど。
ファーニス・クリークから車で10分ほどの、ザブリスキー・ポイント(Zabriskie Point)という小高い山に登って太陽を見送る。柔らかく波打つ砂礫の斜面は夕日に照らされて金色に光り、暑さを以て支配力を見せつけた太陽は遠くの稜線の向こう側へと静かに移動して行く。太陽の方を向かって足を踏ん張り、地球の自転を意識する。そしてすぐに、僕は、砂の波間で地球というサーフボードの上に立ってるみたいな気分を味わう。滑らかにテイクオフして、太陽を追いかけてサーフするかのような贅沢な体感。潮風の替わりに、幾分和らいだ温風が斜面の下から吹き上げてくる。
ホテルの部屋で久しぶりの風呂を楽しんで、氷で冷やした缶ビールを空けてきょうを締めくくる。
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