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ベーゼルドルファーとスタインウェイ

 親族が半ばライフワークとして主催するコンサートへ、もしかしたら10年くらいぶりに行く。「オペラの魅力」と題した今回は、小松勉氏のピアノと島田美香氏のソプラノで、オペラのアリアとピアノのソロをほぼ交互に織りなす構成。ステージ上には2台のピアノが並んで、ソプラノの伴奏にはベーゼルドルファーを使い、ソロにはスタインウェイを使うという小松氏曰く「贅沢な構成」。「2台の音の出方を聴き比べてください」という助言通り僕は耳を澄ますのだけれど、聞き比べればその違いは明白で、いままで「ピアノはピアノ」と思っていた僕は耳から鱗が落ちる感じだったんだよね。

 まず、プログラムは次の通り。精神科医でラジオのクラシック番組も担当するという長崎達朗氏のコメントによれば、フィナーレを飾るような難しい声楽曲を冒頭に持ってくる意欲的な構成とのことで、その解説を待たずとも僕らは、島田氏の伸びやかなソプラノにのっけから圧倒。

  1. ショパン ワルツ第4番 ヘ長調 「華麗なる大円舞曲」
  2. ヴェルディ オペラ「椿姫」より 「ああ、そはかの人か~花から花へ~」
  3. モーツァルト オペラ「コジ・ファン・トゥッテ」より 「恋人よ ぞうぞ許して」
  4. ショパン ノクターン ロ長調 作品9-3
  5. プッチーニ オペラ「ジャンニ・スキッキ」より 「私の優しいお父様」
  6. ガーシュイン 3つの前奏曲より 第1曲、第3曲
  7. ガーシュイン オペラ「ボギーとベス」より 「サマータイム」
  8. ショパン ポロネーズ第6番 変イ長調 「英雄」
  9. ヴェルディ オペラ「マクベス」より 「早く来て! 灯をつけてあげましょう」
  10. ベッリーニ オペラ「ノルマ」より 「清らかな女神よ」
  11. ラフマニノフ 「リラの花」
  12. プッチーニ オペラ「トゥーランドット」より 「氷のような姫君の心も」
  13. プッチーニ オペラ「トスカ」より 「歌に生き 愛に生き」

 小松氏は「スタインウェイは音がぽーんと上から出る」と話されていたけれど、たまたま最前列に座った僕はそれをある意味で検証することになる。最前列でステージを見上げるように聞いていた僕は心底「このピアノは調律が狂っているか、さもなくば、小松先生はソロで間違えまくっている」と思ってしまった。そんなことは、もちろん言うまでもなく、ない。休憩の後で席を後方、つまりステージよりも数メートル高い所に移して『英雄』を聴いて、僕は、自分の愚にもつかない懸念が杞憂であったことと、スタンウェイという楽器の特徴とを同時に知ることになる。
 最前列で聴いていた時、ベーゼルドルファーには違和感を覚えなかったけれど、スタインウェイの音は――あくまでも僕の主観だけれど――まったく聴くに堪えなかった。特に高音部はひどく調子っ外れに聴こえて、そのせいで、ソロも2曲目あたりになるとピアニストが手を右に伸ばすと僕は思わず身構えてしまうくらいだった。楽器の違いに考えが及ぶまで僕は、これは調律師か奏者かどちらが悪いのだろうかとばかり思案し、よもやピアニストとの十数年来に及ぶ親交が損じられないかと勝手に葛藤したりもしていた。スタインウェイの高音域と、それが生んだこの取り越し苦労で、前半のソロは僕は全く楽しめなかった。
 ところが、席を移ってから、スタインウェイは音をこちらめがけて明瞭に投げ込んできた。僕は杞憂が晴れたことも手伝って、ノリノリで『英雄』を楽しむ。実際に小松氏はこの曲をかなりンス・チューンに解釈していたようにも感じたけれど、観測地点を変えて音の立体的な軌跡を体感したために、僕は弦から飛び出す音符が見えるかのような印象すら感じ、それはミラーボールが反射するライトを浴びるような、そういう恍惚の感じだった。ファミコンの『忍者ハットリくん』のボーナス面で、跳ね上がっては飛び込んでくるくわけをただひたすらに浴び続けるような。
 そういう意味では、前半最後のソロで弾かれたガーシュインで、このミラーボール体験あるいはくわ験が出来なかったことは実に惜しい。
 一方のベーゼルドルファーに僕が感じたのは安心感だ。ソプラノを中心に据えた音の世界を半球体として半ば包み半ば縁取り、客席に向けてショーケースしていく音の豊かな厚みを感じた。指輪ケースのような重厚なプレゼンテーションだ。だから、島田氏の歌声に聴き入りながらふと、眼前のステージにはたった2人しか居ないことを意識すると、僕はひどく不思議な気分になる。1台のピアノが木張りの舞台にヴェルヴェットの内張りを一瞬で広げるがために、アリアをぶつ切りに聴く唐突さを感じさせないまま、オペラの文脈に聴衆を引き込んでしまう。僕たちもまた、そこに安心して飛び込んでいく。
 音色に加えたスタインウェイとの比較では、ピアノより下の位置で聞いても特段の違和感はなかったというのも安心感と言えば安心感だ。
 ともかく、世のスタインウェイが全部ああいう風に鳴るのであれば、もう下からは二度と聴くまいというのが今回の教訓。とはいえ、事前にピアノの種類を確認するほど僕は熱心じゃないから、ピアノのコンサートなら席を後ろに陣取りましょう、というあたりが現実解。これはもしかしたら、財布にも優しいんじゃないか、なんてことも小賢しく思ってみたりして。

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