Home > 聴く > 原資産なきデリヴァティヴ - パフューム

原資産なきデリヴァティヴ - パフューム

  • 2008-12-26 (金) 21:45
  • 聴く
  • hatena button
  • hatena count
  • save this page del.icio.us


 テレビをつけたらパフューム(Perfume)が出てて、1年前の衝撃を懐かしく思い出しながら「ポリリズム(Polyrhythm)」のライヴを聴く。ん、ライヴ? その番組は「ミュージック・ステーション・スーパー・ライヴ」と銘打っているのだけれど、パフュームにとってのライヴってのは何なんだろう? テクノにライヴはあるのか、というテーマへ回帰。そして、パフュームはつまるところ、原資産なきデリヴァティヴなのではないか、と。

 まず、「パフュームはクチパクではない」という命題を謳おう。これはファンの妄信度ではなく、被写体深度の問題として、だ。あるいは、電子的な加工を経てようやく創出された楽曲に対し未加工の生声を乗せるのは「生演奏」なのか? 生がそもそも存在していない音楽を、生で「再現」することはできない。それはいわば新たなインスタレーションか、あるいはカラオケというべきものだろう。つまり、「本来は」生の声で歌うべきところを音源に頼る、という意味でのクチパクはパフュームにはできない。
 中学生の頃、赤坂のゲーテ・インスティチュート(Goethe-Institut)へテクノ音楽についてのパネル・ディスカッションを聴きに行ったのを思い出した。その議論から飛躍して勝手に意識し、そして独り衝撃を受けたのは、「テクノ音楽は再生されるまで一度も空気に触れていない(ことがある)」ということだ。録音媒体を自室のステレオで再生することを思い浮かべて欲しい。クラシック音楽もロック音楽も空気の振動を記録したものを再現しているのであるから、それは例えば左右のスピーカーの位置の問題として、再現性の巧拙が問題になる。ところが、テクノ音楽には再現すべき物理的な位置関係なんてそもそも宇宙空間にかつて存在していない。それは再現ではなくて、デザインの結果としてそこで初めて表出する音なのだ。
 パフュームの場合は単なる器楽曲よりも入れ子構造になっていて、彼女たちの歌声は確かに声帯を通じて一度空気を揺らしているのだけれど、それは飽くまでも、しかし意図的に、作品の素材として「サンプリング」されたものだ。だから、パフュームの声は西脇綾香、樫野有香、大本彩乃の声とは等しくない。それはいわば原資産としての西脇らの声から派生したデリヴァティヴだから、もし厳密な意味で生演奏をしようとしたら――それすらも近似的でしかないけれど――、リアルタイム・エフェクターを使うことになるのだろうか。
 原資産としての西脇らの声はどこかのスタジオのマイクを通じて電子化されてハード・ディスク・ドライヴに格納され、それらは少なくとも商業的には再現を目的として再生されることはもうないだろうし、そうでない部分はとうに消音壁に吸い込まれてしまった。パフュームのライヴは、ある意味では、西脇らがパフューム的なるものを追悼するレクイエムなのだ。だから、それをクチパクと呼ぼうと何と呼ぼうと、聴く者は結局のところ「やっぱり本物がいい」ということでYouTubeをクリックしたりするんだ。原資産がないがために、逆説的に、パフュームというデリヴァティヴが生み出すバブルもまた、弾けることがない。

くり返す このポリループ
ああプラスチック みたいな恋だ
またくり返す このポリリズム このポリリズム
(中田ヤスタカ「ポリリズム」)

関連記事:

blog comments powered by Disqus

Home > 聴く > 原資産なきデリヴァティヴ - パフューム

Return to page top