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ジプシーの呪い - ヴェルディ「イル・トロヴァトーレ」


 2月28日、メトロポリタン歌劇場(Met)でヴェルディ(Giuseppe Verdi)「イル・トロヴァトーレ」(Il Trovatore)を観る。前日東京で観たジンガロ「バトゥータ」が描いた自由の民としてではなく、どこか空恐ろしい呪詛の民としてジプシーが描かれる。ジプシーの女アズチェーナが、先代の伯爵に母を殺された報復に、その伯爵の子である次代の伯爵をしてその実の兄弟(お互いにそうと知らない)を殺させる、という復讐劇だ。多少無理のある筋書きでも、しかし、壮麗なアリアの連続がぐいぐいと観客を牽引していく。「復讐は成った!」というアズチェーナの最後の叫びには無常感とカタルシスが同居していて、このき目線が本作の醍醐味なんじゃないかな。


 まず、本作はデイヴィッド・マクヴィカー(David McVicar)による演出で指揮はイタリア人指揮者のジャンアンドレア・ノセダ(Gianandrea Noseda)。Met、リリック・オペラ・オブ・シカゴ(Lyric Opera of Chicago)、サン・フランシスコ・オペラ(San Francisco Opera)の共同制作による新作で、2006年にシカゴで初演されたらしい。原作の舞台は15世紀初頭の内戦下のスペインであったものを、マクヴィカーは19世紀の半島戦争中の同国にしている。そこで舞台美術のチャールズ・エドワーズ(Charles Edwards)は、同戦争を生きたスペインの画家フランシスコ・デ・ゴヤ(Francisco de Goya)の連作銅版画「戦争の惨禍」に着想を得たという。
 このゴヤのイメージは驚くほどフィットしていて、真骨頂は上に貼り付けた金床の情景だ。絵画が動いているとしか思えないシーンで度肝を抜かれた。このシーンではさらに、ジプシーの男たちがリズミカルに金鎚を金床に打ち下ろすので、まるで「マッスル・ミュージカル」を観ているかのようなキャッチーな楽しさがある。ニュー・ヨーク・タイムスによると、どうやらこれは、本来舞踊のない歌劇にも関わらず振付師リア・ハウスマン(Leah Hausman)が制作に参画していることによるみたいだ。ともすると重苦しいだけの復讐劇のなかで、このシーンの軽快さは際立って楽しい。
 隣に座った老婦人によると劇場の幕も話題になっているそうだ。パンフレットによると、その幕はゴヤの1821年の作品「サン・イシドロの泉への巡礼(Pilgrimage to San Ishidro)」の部分拡大なのだそうだ。この幕に描かれた、怒り、悲しみ、あるいは絶望する人々の姿は「イル・トロヴァトーレ」の悲劇そのものだ。母を火あぶりにされたアズチェーナが、その無慈悲な火刑を下した伯爵家への復讐を誓う。彼女は伯爵家の二人の息子のうちマンリーコを我が子として育て、彼にその出自を教えぬまま、彼の実の兄弟であるルーナ伯爵への仇討をけしかける。この兄弟は悲劇のヒロインとなるレオノーラをめぐる恋敵でもあって、さらに内戦の混乱が物語に影を落とす。
 ここでジプシーのアズチェーナは魔女のようにも見えるのだけれど、そうではないことは物語の冒頭に注意すると明白だ。アズチェーナの母は伯爵家の幼子の様子を見ていただけで、子どもに呪いをかける魔女として火あぶりにさせられてしまう。その伯爵家へ復讐を誓う彼女の動機に不思議はない。この物語が描く最大の理不尽は、母が魔女と疑われ焼き殺されたそのことによって、娘がまさに魔女のような復讐鬼となってしまうことだ。アズチェーナの母の話は、冒頭の衛兵の会話を聴き逃すと(僕は字幕なので逃すとけれど)、なぜ火刑になったかが分からなくなってしまう。
 いや、その「なぜ」が再度説明されることなく物語が進むそのことこそ、実は、この物語が描く諍いの呪いなのかも知れない。復讐劇の火蓋は、幼いアズチェーナが、母を焼き殺されるのを目の当たりにしたその時に始まっている。その昔話として語られる動機が、救いのない結末へと愛憎劇を転げ落ちていく。それは物語の遠景をなす戦争そのものにも通じて、ゴヤの「戦争の惨禍」に結像する。ジプシーの呪いなどない、ただし、そんな濡れ衣を着せることは災いを招く呪いに他ならない。この歌劇にもしも教訓を求めるとしたら、そういうことなのかも知れない。
 ちなみに、エイヴリー・フィッシャー・ホールでオーケストラを聴いたときもそうだったけれど、Metでも劇場で配られるパンフレットがめちゃくちゃ充実している。全体で73ページもあり、あらすじやキャストの紹介があり、今回の演出の見どころが説明され、さらに「イル・トロヴァトーレ」についてローマでの初演からMetでの公演履歴まで詳説されている。巻末の3分の1くらいは本公演や劇場への協賛者のリストになっていて、この1冊だけでオペラで人々を魅了して新しいパトロンを獲得しようとする、いわば歌劇の守護者としてのMetの情熱が感じられる。
 さらにMetの配慮で驚いたのは字幕表示装置で、各座席の手許、ちょうど前の席の背もたれに据え付けられている。ボタンを押せば英語、ドイツ語、スペイン語の字幕が表示されて、もちろん字幕を消すこともできる。隣の老婦人は、これがお気に入りで、Metの常連として自慢気でもあった。確かに通常の舞台上部にある字幕は、特にお年寄りには遠くて読みづらいだろうし、ドイツ語やスペイン語を同時に表示するのは無理がある。さらに、この手元の字幕も、ただでも必要にして十分な薄い光なのだけれど、それが隣席に漏れないように表面に偏光フィルムが貼られている。芸が実に細かい。
 ともするとハンバーガー的豪快さがアメリカの骨肉、というような印象を持ってしまうのだけれど、オペラというハイ・カルチャーを通じて、この偏光フィルムのようなアメリカの繊細さに触れられたのも到着初日を飾るに相応しい発見だったなぁ、と思う。

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