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ワイン・セラーなどなくても


 2005年の11月に半年間のプロジェクトを終えてロサンゼルスを離れるとき、ある人が餞別に2001年物のオーパス・ワン(Opus One)をくれた。カリフォルニアのロバート・モンダヴィとフランスのフィリップ・ド・ロスシルトの共作ということで、カリフォルニアでは特別なワイン、というのが僕の理解だ。困ったのは僕の貧乏性で、ありがたがっているうちに開けるタイミングを逸してしまい、ありがたがっているクセに劣悪な条件で保管していたから、ワインの劣化も気がかりだった。そこで、4月7日、30歳の誕生日とSloan合格を機にようやく抜栓する。

 このワインは、飲むタイミングを見計るという点では大事にされていたのだけれど、一方で、保存環境は劣悪だった。夏の昼には茹だるような暑さのなか、冬の夜には凍るような寒さのなか、もらった時に入れてもらったワイン・ケースの中に転がしていた。通気もよほど悪かったんじゃないかと思う。
 だから、この日の抜栓は当たるも八卦当たらぬも八卦という心境で、事前に妻とは「これが不味くてもオーパス・ワンの評価とするのはよそう」なんて話までしていた。抜栓してコルクを嗅いでみると異常はなさそうだし、しばらく待ってみよう。おそらくレオナール・フジタへの間接的なオマージュとして妻が選んだG. H. マム(Mumm)を開けてしまい、そろそろいい頃合いじゃないかということでオーパス・ワンを注ぐ。
 結果は劣化を心配したのが拍子抜けするほどしっかりした味わいだった。このことには却って、ワイン・セラーなどなくても大丈夫なんじゃないかと思わされてしまったし、一方で、セラーで丁寧に寝かせていたらさらに旨かったのだろうか?とも期待させられてしまう。僕は凝り性だから、セラーを買う前には同じヴィンテージの同じワインを2本、セラーで保管したものとそうでないものとで飲み比べてみたい。
 ともあれ、オーパス・ワン、重量感となめらかさ、そして、甘味と酸味バランスが絶妙だった。二人で酌み交わすにはワイン・ボトルは小さいんじゃないか、なんて思うくらいで、一口ごとの余韻の長さが却って、それを切らしたくないという禁断症状を誘発させた。2,3千円も出せば充分に旨いワインは買えると思うし、それは今でも変わらないけれど、分以上もまたそれだけの価値があるんだなぁとあらためて知らされる。
 食後に妻がピスタチオのケーキを切ってくれて、このナッツは我輩の大好物だから満腹の胃袋にもぺろりんこと超特急((c)小泉武夫)。充分以上の身に余る食卓に、僕は感謝をしないといけないなぁ。

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