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愛宕山トレック


 4月18日、筑波山のときと同様に、アトリエ「一、館」に一泊して翌日にトレッキングをする。今回は旧友Tを連れて3人で行ったので、アトリエでの夜も賑やかだった。土木作業のあとは庭でBBQをしてワインを飲んで、屋内ではウクレレやらサックスやらヴァイオリンやらを銘々に弾き、そして朝まで焼酎片手に語り明かす。翌日は気ままなドライヴの末に愛宕山に登り、ひと風呂浴びて帰京。これは週末の過ごし方としては理想形のひとつだ。

 昼に都内を出て中野でTを乗せ、常磐道でアトリエを目指す。車内では中央官庁と民間企業との組織力学の違いや日本の公害対策行政なんていう、ともするとおカタい話題を冗談交じりに議論して、気づけば茨城。
 3月末に日曜大工でアトリエの土留めを造ったのだけれど、まだ長さが足りない。そこで、到着早々にまたDIY店に行って杭を買って土留めの延伸工事をする。二回目ということでちょっと気が緩んだのか杭の一本がかなり曲がってしまい、さらに、別の杭は打ちどころが悪かったのか地面に刺さったまま見事に割れてしまい、それぞれに悔いが残る。いまでは、この土留めにはツタを這わせて何とか素人仕事を誤魔化せないかと思案している。
 ともあれ労働のあとは楽しみが待っていて、まずは庭でBBQ。団扇で懸命に火を起こして、肉やら野菜やらを突きながらビールとワインで喉を潤す。日が暮れかけたあたりで室内に入って、こんどは余興。僕はサックスを手に楽譜集をめくって、吹けそうな曲を片端から吹く。妻はウクレレを弾いて、Tは僕が貸したヴァイオリンで即興曲を演る。それにも飽きたあたりで二次会が始まって、こんどは焼酎とウィスキー。Tと語り合っているうちに妻は早々に寝てしまい、気づけば夜明け。
 午前中はアトリエを整理。未使用の画材を二階の寝室に運んで、空いた棚に額装された作品を並べる。これだけで随分とさっぱりした。さっぱりしたところで、出発。特にあてはないけれど山登りをしよう、ということで近くの書店でガイドブックをパラパラめくり、難台山に狙いを定める。ところが岩間駅周辺には難台山ではなく愛宕山の案内ばかりなので、そういうものか、という好い加減さで愛宕山に登ることに。



 ところが、山の中腹にある駐車場に車を停めて歩き始めると、登山靴を履いたのが恨めしいほど呆気なく山頂へ。山頂の神社を参拝するのだけど、圧倒的に物足りない。そこで山頂をぐるりと歩いて別の道を見つけ、ただトレッキングを続けたいという気持ちで、地図もないままそちらに歩く。そんな折、僕の足下をスルスルと這う蛇を見つけ、仰天して奇声とともに後ずさってしまったのは妻の手前バツが悪い。逆の立場なら「蛇くらいで慌ててしょうがないなぁ」なんて平然と言うことも出来ただろうに。ともあれ、その道は意外にも難台山へと続くものだった。



 愛宕山を、上ってきた方向とほぼ反対側から降りると、天狗の森公園という広場に出た。そこにはさまざまな種類の桜の花が咲いていて、長いローラー滑り台なんかがあって牧歌的な雰囲気に包まれている。そして何よりも僕を喜ばせたのは、その公園から難台山に続く登山道が出ていたことだ。ともかく歩きたかった僕は、行けるところまで行って引き返す、という作戦で歩き始めることにする。



 登山道はよく整備されていて歩きやすかった。公園を出て間もなく木の橋があって、それは巴川という川の源流らしかった。その橋の木の欄干の上には苔が蒸して植物の小さな芽が生えていた。天然の盆栽といった風だったので接写。さらに歩き続けると、展望台が見えてくる。この小高い丘に建てられた道案内がちょっと墓標のようだったので、なんとなくシャッターを切る。

 展望台から周囲を眺め、弁当代わりに昨日のBBQの残りなんかをつまんで、先を急ぐ。急ぐといっても目標があるわけではないけれど。難台山へ続く尾根道は土の路面で幅が広く歩きやすいものだったけれど、まるでサン・フランシスコの道路のように波打っていた。上りは路傍のロープを伝わなければ上れないような、下りは意図せずとも駆け降りてしまうような、そんな勾配ばかりだった。
 それでも何とか「団子石」という地点まで歩いて、折り返し地点としてはちょっと中途半端ではあったけれど、日が暮れる前に車に戻ろう、とうことで踵を返す。結果として、愛宕山には登ったものの、難台山は志半ばで登頂出来なかった。難台山登頂は、次回以降の宿題ということに。この登山道は愛宕山から難台山まで縦走できるようになっているようなので、今度はそれに挑戦したい。だって、行って戻る、ってのは達成感という意味ではちょっと寂しいものもある。なにしろ、ようやく辿り着いたゴールが、なんのことはないスタート地点なんだから。
 ともあれ、一時はどうなることかと思ったトレッキングも、それなりに時間をかけて無事に堪能。帰りに小美玉市の四季健康館で汗を流す。そして帰りは妻が運転してくれたので、それに甘えて後部座席で旧友Tと缶ビールで打ち上げ。妻も参加したかろうにと思うけれど、ついつい旧友の誘いに乗って――というのは正確ではなく、僕からTを誘って飲んでしまう。太宰の「桜桃」が脳裏をよぎるけれど、この缶ビールを「極めてまずそうに」は飲めない。トレッキングと風呂のあとに常磐道を並走する車を眺めながら飲むビールの、気まずいほどの旨さといったら。

 私の家では、子供たちに、ぜいたくなものを食べさせない。子供たちは、桜桃など、見た事も無いかもしれない。食べさせたら、よろこぶだろう。父が持って帰ったら、よろこぶだろう。蔓(つる)を糸でつないで、首にかけると、桜桃は、珊瑚(さんご)の首飾りのように見えるだろう。
 しかし、父は、大皿に盛られた桜桃を、極めてまずそうに食べては種を吐(は)き、食べては種を吐き、食べては種を吐き、そうして心の中で虚勢みたいに呟く言葉は、子供よりも親が大事。
<太宰治「桜桃」>

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