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「マティスの時代」展

  • Posted by: Syntax
  • May 24, 2009 12:43 PM
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 京橋で昼食を取った後、八重洲まで歩いてブリヂストン美術館の「マティスの時代」展を観る。この企画展は全部で10ある同美術館の展示室のうち初めの2室をのみを用いたものなのだけれど、訪問者の体験としてはそれに留まるものではなかった。なぜなら、続く展示室にはマティスが影響を免れなかったであろうピサロやモネ、セザンヌやシニャックの作品が、さらに続々と並ぶからだ。誰の時代と呼ぼうとも、19世紀後半から20世紀初頭にかけてのこの時代の豊潤さは群を抜いているように思える。

 それでも、「マティスの時代」の2室はやはり、特に見ごたえがあった。それまで僕は画家の生涯というものについてそれほど興味を持たなかったのだけれど、アンリ・マティス(Henri Matisse)の作品群を追ってそれに初めて興味を持つようになった。展示作のうち最初期のものは1899年の「画室の裸婦」で、最後期のものは1947年の「『ジャズ』IXフォルム」だった。

 それまで僕は、無自覚にもいわば美術史上の点として画家を認識していたのだけれど、ある人物が29歳に描いた作品と77歳に描いた作品との間には明らかに時空の隔たりがある。「画室の裸婦」の色合いには淡い華やかさがあるものの全体としては抑えられたトーンで、そこには「ジャズ」のような明確な色彩の輪郭はない。

 もっとも僕は美術館ではその隔たりを意識しただけで、マティスの生涯について多少の理解を得るのは美術館の売店でこの画家についての本を買って、それを読んでからなのだけれど。ともあれ、そういう時間の変遷を感じられたのはこの企画展のおかげだと思う。

 マティス以外に興味をもったのはモーリス・ド・ヴラマンク(Maurice de Vlaminck)の風景画で、鈍色の空と精細な筆致が印象的だった。ジョルジュ・ルオー(Georges Rouault)の絵には人々に対する慈愛にも似たまなざしが感じられて、「裁判所のキリスト」や「赤鼻のクラウン」には思わず立ち止まってしまう色と形と情景の力強さがあった。

 常設展の方ではモーリス・ドニ(Maurice Denis)の「バッカス祭」は理屈抜きで楽しい。エキゾチックな森で野獣たちと飲めや歌えのお祭り。果たして僕らが、これを願わないままに酒を飲む日があるだろうか、とすら思わせるような酒神賛歌だ。ピエール=オーギュスト・ルノワール (Pierre-Auguste Renoir)は十八番の少女の肖像もさることながら、光あふれる「カーニュのテラス」がよかった。南仏に注ぐこの朗らかな光を、画家はモデルたちの中に見出したのだろうか。フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)の絵には何を見てもジーンと来て言葉を失ってしまう。

 僕にとって新しい画家たちの作品では、べナール・ビュッフェ(Bernard Buffet)の「アナベル夫人像」はCDのジャケットなんかにも似合いそうなオシャレ感があったし、ザオ・ウーキー(Zao Wou Ki)の抽象画はホテルの寝室に飾ったらさぞ良かろうと思わせる都会的な洗練があった。

 僕ははじめ、19世紀後半から20世紀初頭にかけての豊潤と書きながら、果たして100年後の今はそう呼べるものがあるのだろうか、なんて安易なニヒリズムに足と口を滑らせかけていた。危ない危ない。こんにちもまた、目を見開きさえすれば豊潤な時代なのだ。依然として。

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