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徳はなくても徳あるごとくふるまえ - カーネギー「人を動かす」


 友人Oとの課題図書交換、「僕たちに不可能はない」に続く2冊目。なんだかいけ好かない題名だけれど、友を信じてとにかく読んでみることに。だって、「人を動かす」っていかにもアザトイ感じがするじゃんか。原題に至っては「友達を作って人々に影響を与える方法(How to Win Friends and Influence People)」という直球勝負。ところが、この本に書かれているのは、寝技の手練手管というよりはむしろ「おばあちゃんの知恵袋」的な人間理解だった。読み進むにつれて、僕は自分の小さなエゴがどれだけ無用の摩擦を生み得るか――いや、んできたか―を痛感させられた。人に薦めたくなる良書だった。

われわれは、子供や友人や使用人の肉体には栄養を与えるが、彼らの自己評価には、めったに栄養を与えない。牛肉やじゃがいもを与えて体力をつけてはやるが、やさしいほめことばを与えることは忘れている。やさしいほめことばは、夜明けの星のかなでる音楽のように、いつまでも記憶に残り、心の糧になるものなのだ。

 この言葉には思い至る所がある。僕のこれまでの成長を支えてきたのは、やはり「優しい褒め言葉」やそれに類する態度だった。思えば母が極めて前向きな人だったから、僕の骨肉が和食によって形作られたように、僕の精神もまた建設的な態度によって育まれた。そんなわけで僕の臓器は「優しい褒め言葉」を徹底的に消化してエネルギーにするよう順化してしまい、否定的な言説に含まれる1割の肯定でも生きていけるようになった。
 そう考えれば、ほかの誰かを「活(生)かす」のも同じだろう。だからこそ、文中に引用された「成功に秘訣というものがあるとすれば、それは、他人の立場を理解し、自分の立場と同時に、他人の立場からも物事を見ることができる能力である」というヘンリー・フォードの言葉が現実味を帯びる。
 それだけに、同様に引用された逆パターンの戒めには耳が痛い。心理学者アルフレッド・アドラーのいわく、「他人のことに関心を持たない人は、苦難の人生を歩まねばならず、他人に対しても大きな迷惑をかける。人間のあらゆる失敗はそういう人たちのあいだから生まれる」という。そうかも。もちろん、必ずしも苦難や迷惑や失敗が悪いとは思わない。けれど、かといって犬死じゃあ英雄譚になるべくもない。
 あるいはニコラス・バトラー博士いわく、「自分のことだけしか考えない人間は、教養のない人間である。たとえば、どれほど教育を受けても、教養が身につかない人間である」という。それでも僕は内向的な知識の蓄積にも敬意を禁じ得ないけれど、確かにそれが善としての教養であるかとなると否定的だ。情報が知恵に変質するその転換点にはやはり、他者が――少なくとも、想定されては――いるんじゃないかと思うんだよね。
 そういう態度に立った時、一見すると小技のように見える次のような指南も実は、より大局的な人間観に基づく行動だと感じられる。

人と話をするとき、意見の異なる問題をはじめに取り上げてはならない。まず、意見が一致している問題からはじめ、それを絶えず強調しながら話を進める。互いに同一の目的に向かって努力しているのだということを、相手に理解させるようにし、違いはただその方法だけだと強調するのである。

 例えば電話会議で交渉をしているとき、僕の上司はよく「同じページを見ていることを確認しよう」と言って合意済みの基本的な事柄に立ち返っていた。初めはそれに仰々しいような勿体ぶったような感じを覚えたけど、これがどれほどの時間(つまり、お金)の節約していたか、今になるとよく分かる。この一歩後退して全体を俯瞰するのと同様、次のように一歩横にずれて相手の帽子をかぶるのも、結果的には「急がば回れ」かも知れない。著者は「あなたがそう思うのは、もっともです。もしわたしがあなただったら、やはり、そう思うでしょう」と言ってから別の意見を言うべきだ、と説く。同じ商品でも、売り手と買い手とでは見え方が違う。そして厄介なことに、往々にして「見え方が違う」ということが自覚さらには共有されない。視点の差異を共有するという後退もまた、俯瞰図を与えてくれる。
 これらの示唆はまた、焦る気持ちを抑えることで多くを生み出す次のような知恵につながっていく。

命令を質問のかたちに変えると、気持よく受け入れられるばかりか、相手に創造性を発揮させることもある。命令が出される過程に何らかの形で参画すれば、だれでもその命令を守る気になる。

 これは僕にも経験があって、論理的な思考力のある相手であるほど、こちらの断定的な話に対しては猜疑心を持ってしまう。これは健全な脳の生理だ。だからこそ、課題を提示して解決策を求めるとか、あるいはそこまで「丸投げ」することが許されなければ、こちらの話を仮説だと言い切って改善を依頼する、なんてことで複数の脳の生理をチームの推進力に変えていけるのだろう。チームワークという観点では、他人の評価についても著者はサンテグジュペリの興味深い発言を引用している。

相手の自己評価を傷つけ、自己嫌悪におちいらせるようなことをいったり、したりする権利はわたしにはない。たいせつなことは、相手をわたしがどう評価するかではなくて、相手が自分自身をどう評価するかである。相手の人間としての尊厳を傷つけることは犯罪なのだ。

 もちろん僕は、本書が描くような寛大で思慮深い、つまりはデキた人間じゃない。けれど、同書に引用されたシェイクスピアの「徳はなくても、徳あるごとくふるまえ」という言葉には勇気づけられた。徳あるごとく振る舞ったら、それってまさに有徳の人じゃんか。寛大で思慮深いかのように振る舞えば、それって寛大で思慮深い人だよね? ともかく、まずは謙虚に模倣からはじめましょう、ということで。
 さて、本書は最後に「幸福な家庭をつくる七原則」についても触れてあるのだけれど、ここで引用されていたドロシー・ディックス女子なる人の発言が面白かった。この部分だけでは本筋には関係ないけれど、備忘。「結婚という出来事にくらべると、出生は単なるエピソードにしかすぎないし、死もまた取るに足らない事件にすぎない。」

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