- 2009-07-04 (土) 17:31
- 読む

部屋の片づけをするのに、古新聞や古雑誌を読まないままで捨てられないのが僕の悪い癖だ。そんなわけで、JALが毎月送ってくる雑誌「アゴラ」2月号を今さら読む。40歳にしてNHKの技術職を辞してヴァイオリン職人になった菊田浩氏の記事が面白かった。氏が師事したクレモナのロレンツォ・マルキは、「バイオリンは人間の赤ちゃんのように人々(演奏家)の手によって、成長してゆくものなんだ。でもね、大切なことはーシェ・ベーネ健やかに生まれること)」と言ったという。いかに育つかだけではなく、いかに生まれるか。僕らはつい行動を急いでしまうけれど、「ナーシェ・ベーネ」にもまた価値がある。
記事は、「イタリア人なら誰でも知っていることわざ」として「キ・ヴァ・ピアーノ・ヴァ・サーノ・エ・ヴァ・ロンターノ(ゆっくり行く人は、安らかに、遠くまで行く)という言葉を引用する。ゆっくりであること、健やかであること、あるいは、急いだり無理をしたりしないこと。30歳を区切りに職業的にも個人的にも新しい段階を迎えつつある僕にとって――まだ実感をまでは伴いはしないものの――、この言葉には人生という長旅のヒントがあるように感じられた。
同誌の他の記事では、マンハッタンの幼稚園受験競争のレポートも面白い。アメリカにおける東海岸のアイヴィー・リーグの権威に、僕はいままで触れる機会がなかった。けれど、ビジネス・スクールの受験で訪問したアイヴィー・リーグの各校には「名門」を体現したとしか思えない風格があったし、アメリカ人の受験生同士の会話に出てくる「アイヴィー・リーグ出身」というフレーズには単なる出身校以上の社会的な文脈が感じられた。恐らくアメリカの社会ではその――少なくとも建前上の――フラットさゆえに、却って学歴が放ちうる威光があるのかも知れない。日本人が期待する、西海岸に表象される陽気なアメリカとは違う、切実な素顔のアメリカが垣間見えた気がする。
パタゴニアの旅行記にもロマンを掻き立てらた。いい写真だなぁと思ったら、筆者の田中克佳氏は「ナショナル・ジオグラフィック」誌でフォト・アシスタントを務めていたという。フォト・アシスタントというのがどういう仕事かは知らないけれど、「ナショジオ」で写真関係というだけで、ミーハーな僕は勝手に我が意を得たりと膝を打ってしまう。それにしても、地球の裏側にあるチリの港町で、全量を日本に出荷するためにウニを獲って加工してるなんて知らなかった。いつか日本人がウニを買い負けてしまう日がくるのだろうか。
シャネル日本法人社長のリシャール・ラコス氏のエッセイ、今号は特段に格調が高く渋い。
日本を象徴する花は桜である。私も桜は好きだ。しかし桜に対する愛情は、別れ際に臆病になる女性に対して感じるような、あまりにも儚く、花びらの涙を見るときの愛惜の情である。私はやはり、桜よりも梅が好きだ。この反骨精神旺盛で勇猛な木は、厳しい冬に立ち向かう最強の戦士である。放棄することも、隠れ家に逃げ帰ることも、不名誉な降伏を受け入れることも許されない残酷な戦闘の場において、武器の穂先に繊細な花を誇らしげに咲かせるのである。
梅雨時に今さら読んだのが悔やまれるけれど、僕もまた梅の花が好きなのでこうやって持ち上げられると我が事のように嬉しい。
ほかには、ヴァレンタイン・デーを日本において「チョコレートの日」にした森永製菓の創業者・森永太一郎がキリスト教に帰依していた、という江上剛氏のコラムを面白がったり。確かに、同社のロゴは天使だ。森永太一郎は23歳でアメリカに渡って菓子職人の修業をしたという。ニトリの似鳥昭雄社長の記事にもアメリカは登場する。親戚から借金をしてまで行ったアメリカの視察で、現在の同社のビジネス・モデルのヒントを得たという。渡米した彼らの成功よりも、人生の手がかりを求めて彼らが渡った先がアメリカだった、という事実が面白い。かの国が持つ抗いがたい求心力、一体なにゆえなのだろう。
あとはイグアスの滝にいつかは行ってみたいなぁと思ったり、以前行った人形町の芳味亭が載っているのを見て満悦したり、なんて旅行誌としても満喫。この雑誌、好きだ。「アゴラ」誌は、沈みかけた日本航空の見果てぬ夢、あるいは梅の花だ。冬を越えて頑張って欲しいなぁ。
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Syntax
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http://www.thesyntaxerror.net/2009/07/06/053303 ビンジ・ドリンカー - The SYNTAX ERROR * Blog = 脳髄の失禁
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Joey
