- 2009-07-11 (土) 13:52
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7月10日、家にいようかと思ったら、金正勲先生のTwitterでAR(Augmented Reality、拡張現実)のシンポジウムを知りドタ参させてもらうことに。ARについては東大のデジタル・ミュージアムでの坂上健教授の作品を見て興味を持っていたけれど、いよいよ盛り上がってきた感じだ。今年2月にTEDで発表されたMITメディア・ラボのシックス・センス(The Sixth Sense)の映像はネット上で話題になり――僕自身も興奮した――、スマート・フォンの普及と相俟って、ARは話題としてかつてほど突飛なものではなくなってきた。
「映像によるプロジェクト・ショーケース: ARの新たな地平を切り開く世界のパイオニアたち」として紹介された世界のAR事例は以下の5つ。
- Layar
- PTAM/Active Vision Group, Department of Engineering Science, University of Oxford
- Amateur Practice enhanced by AR/IRI-Centre Pompidou
- Sirikata Project/Stanford Humanities Lab
- Sixth Sense /Pranav Mistry from the MIT Media Laboratory
なかでも一番カッコよかったのが、やはりMITメディア・ラボの「シックス・センス」で、これについては岩渕先生も「新しい技術の見せ方として学ぶべきものがある」というコメントをされていた。まさに、百聞は一見に如かず。井口氏によるセカイカメラも実演ということもあって迫力があったし、何よりも、iPhoneとそのアプリケーションで作動する、という点では圧倒的に手近なAR装置であることを見せつけた。
講演では赤松先生が仮想現実(Virtual Reality、VR)とARとの比較で、VRについて、「なぜわざわざ現実を作るのか? それは途方もない徒労である」と一喝。確かに、PC上で現実の劣化コピーを構築するよりも、「何よりも強力なまここにある現実出発点として」情報を付加していった方が効率的に思える。それにしても、「現実空間には一番リアリティがある」なんて議論が真面目になされる現代って、不思議な時代だ。それはまるで、自分の定義からはじめないと自分が誰だか分からなくなるような、そんな危うさ――あるいは可変性――を孕んでいるように見える。
ARはいわば、危うくも便利なその仮想空間を、現実に引き戻すバランサーのようだ。「ネットの向こう側とこちら側をつなげる」、という井口氏の説明がそれを端的に表わしている。ネットに広がる広大な情報空間をそれはそれで肯定しつつ、しかし、最終的な立脚点としてはあくまでも物理空間の側に立つ、という意気込みがある。このシンポジウムで中尾氏が「汗」、「土」、「セックス」というような体感に言及するのはともすると唐突に聞こえるけれど、僕たち自身の構成要素であるそれらから離れるな、という文脈で僕も同感だった。
他に面白かったのは、今後ネット上で非言語による自己表現が広がっていくのではないか、という海部氏の予感。また、荻野氏の、人々はTwitterなどの断片化した情報で満足するようになっているのではないか、という指摘も面白い。情報の権威がフラット化すると同時に、情報の構成自体にも断片化が進んでいるのだろうか。そういえば、Twitterについては海部氏も「コミュニケーションの流しそうめん化」なんて面白い表現をしていた。
一方、硬派なところでは古川氏はARは戦争が生んだ技術であり、これを平和や文化のために利用するべきで、使い方によっては中傷などで人を傷つけうる、という警告は示唆的だった。ARを誰かに説明するとき、「ドラゴンボールのスカウターのようなもの」というのが一番分かりやすいけれど、それって要は戦闘機のディスプレイと同じってことだ。また、ARによるタグ付けについて、加藤先生が提示した「知る権利」、「知る義務」、「知らせる権利」、「知らせる義務」という四象限――、これだけでも随分議論ができそうだ。
VRは結局のところアーケードのレース・ゲームを提供するに留まっているように見えるけれど、ARはいわばカーナビとして僕たちの物理的な生活により直接的な影響を与えうる。もちろんいいことばかりではないかも知れないけれど、技術や僕たちユーザーがこなれていくことを素直に期待したい。楽しみだ。
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