- 2009-09-13 (日) 0:24
- MBA留学記


Laurentius de Voltolina "University of Bologna, Italy"
「SNSリテラシー」で触れたFMLを読んでいたら、こんなのがあった。「3ヶ月間の就職活動がうまく行かず、きょう、ウォルマートの求人に応募した。ロー・スクールを卒業したばかりなのに。しかも、首席で。FML」。例えば2011年の卒業生に関しては前向きな見通しも囁かれてはいるけれど、足許の雇用市場は依然として厳しい。そんな中で、OECDが高等教育の個人的および社会的価値の試算を発表したのを新聞で知る。フィナンシャル・タイムズ(FT)紙は個人の生涯収入の違いに焦点を当てるに留まっていたけれど、OECDの調査結果は時間の経過と社会的な利益にも言及していた。FTの議論は一面的でちょっと残念。
9月9日付のFT紙の記事は、次のようなもの。米国の男性学士は男性高卒者に比べて生涯収入が367千ドル多く、これは先進国中で最大の差異。OECDの調査担当者は大きな差異の要因として、米国の柔軟な労働市場が労働者の高いスキルに報いること、また、労働者の側も自身の資質に見合う報酬が得られるまで何度も仕事を変えること、を理由として挙げている。一方で、この差異は米国における労働組合の組織率が欧州に比べて低いこと、米国が文化的に同一企業内での報酬格差に寛容であること、などを理由として指摘するエコノミストもいる。女性の学士と高卒者との生涯収入差異は229千ドルに留まり、これは女性がフルタイムではなくてパートタイムで勤務したり家庭のために仕事を中断したりしがちであるため、という。しかし、この差異は依然として先進国中最大である。
僕は日本のデータが気になってOECDのサイトを確認したのだけれど、残念ながら日本は調査対象になっていないようだった。けれども代わりに、この調査がFT紙の紹介する以上に示唆に富むものであったことを知る。例えば、個人における学位の価値については単に生涯年収の額面を比較するのみならず、学費などの直接費や在学中に働いていたであれば得られたであろう収入の逸失、所得税や社会保障の増加額なども加味されており、さらに、年率5%で割り引いた現在価値として学位の価値を試算していた。各国の数字を見ると、それぞれの国の事情が自ずと浮き彫りになる。
たとえば韓国においては、女性の中等教育までのNPV(正味現在価値)はマイナス12千ドルになっていて、それは主に同等の教育を受けた男性の収入増の現在価値が68千ドルあるのに対して、女性のそれが5千ドルを切ることに起因するようだ。韓国では高卒女性のほとんどが専業主婦になるのだろうか。また、高等教育のNPVもスウェーデン男性については調査国平均の131千ドルの半額に留まる58千ドルとなっている。収入増の現在価値123千ドルに対して所得税と社会保障費の増額が74千ドルにのぼり、収入の実に6割弱を相殺するのが響いている。
一方で、FTの記事を読むとあたかも「勝ち組」のように見える米国の大卒者像も、データを注視すると見え方が変わってくる。米国の高等教育にかかる直接費は男女とも56千ドルで、調査国平均の8千ドルの7倍に相当するのみならず、2番目に高額となるカナダの25千ドルと比べても2倍となっている。OECDの調査結果の見出しは「教育への投資で不景気克服と収入増を」となっているけれども、米国の学生の教育への支出は巨額の投資となっており、しかも、冒頭のFMLの例の通り投資への効果は必ずしも保証されているわけではない。
MBAを含む修士号の学費も僕たち学生の頭痛の種だ。ビジネスウィーク誌で「ビジネス・スクールの投資効果」なんて記事を初めて目にしたときには浅ましい気がしたし、MITスローン校を含むビジネス・スクール各校が生徒の卒業後の平均収入を開示するのはカルチャー・ショック以外の何物でもなかった。けれども、米国における高等教育の学費の高さを考えると、これらは無視できない情報だ。ちなみにビジネスウィークの定義する投資効果――学費を年収の増分で割った回収年数――においては欧州のビジネス・スクールが上位を占めていて、スローン校(44位、6.34年)を含む米国の私学は下位に並んでいる。
OECDの調査は個人のみならず公共部門の利益にも言及している。チェコにおいては高等教育が個人にとって147千ドルのNPVを持つ一方で、高い所得税と社会保障費のために公共部門としても160千ドルのNPVを見積もっている。チェコについで高等教育が公共部門にもたらすNPVが高いの米国で、これは学費の個人負担が平均の8倍にも上る一方で、公共部門の学費負担は平均の1.5倍に留まり、かつ学士号保有者がチェコ同等の100千ドルの所得税を吐き出していることに起因するようだ。冒頭のロー・スクール卒業生も、スーパーでしか職が見つからないリスクを負いつつ、もし弁護士として成功していれば税収に大きく貢献していたことになる。
米国の社会構造が個人に多くのリスクを負わせ、その対価として個人に多くの報酬をもたらすものになっている、というのは想像通りだ。それ以上に、低率とされる米国の所得税も、しかし、大卒者ひとりあたりの絶対額としては大きく賦課されているのは発見だった。大卒男性の所得税支払額の現在価値では、例えば高税率高福祉国家とされるフィンランドでは74千ドルであるのに対し、米国ではその4割増に近い105千ドルとなっている。米国の個人が自身の教育にかける費用とリスクを考えると、米国の大卒者が不当利得を貪っているとまでは見えないし、――納税は教育の社会的効果のめちゃくちゃ副次的な部分とは言え――所得の再配分にも絶対額ベースで大きく関与している。
この調査、なぜ日本が対象になっていないのか分からないけれど、日本はどのように見えるのか是非見てみたい。特に少子化によってなし崩し的に大学全入時代を迎えるとなると、大学教育が付加する個人的そして社会的価値を吟味しなければ、若者の時間を単に浪費するに帰結してしまわないとも限らない。学士号の正味割引後価値という発想、なかなか面白いなぁ。
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