- 2009-09-28 (月) 22:18
- MBA留学記

きょう、ハーヴァード大学ライシャワー日本研究所のエズラ・ヴォーゲル(Ezra Vogel)教授のお宅にお邪魔して、氏の私塾であるハーヴァード松下村塾に参加した。79歳のヴォーゲル氏は矍鑠としていて、流暢な日本語で我々を迎えてくた。「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」の著者である氏の邸宅は日本画や日本人形が飾られているというだけでなく、壁紙まで竹の柄だった。そんな米国随一の知日派である教授から聞いた「日本は民主的になりすぎたかも知れない」という言葉は、僕が薄々感じていた問題意識を掻き立てるものとなった。
ヴォーゲル邸には、ハーヴァード大学行政大学院ケネディ・スクールや同大学公衆衛生大学院、さらにはタフツ大学法律外交大学フレッチャー・スクールなどから20人ほどの日本人学生が集まった。その僕たちを前にヴォーゲル教授は、次のようにこの私塾の目的と氏の問題意識を話してくれた。
まず、この私塾が始まったのは10年ほど前に遡る。教授の目には、日本の学生は帰国するとそれぞれの組織で忙殺されて「全体像」を描く時間がないように見えたという。また、日本は個々人が各々の道を追求できるほどに成功を収め、それぞれの官僚(的)組織の中での忠誠心を強め、「国家を全体として」考えることが少なくなったと氏は感じたという。そこで、氏が50年前に初めて訪れた日本で触れた人々の優しさに「恩返し」――と彼は日本語で言った――するために、この私塾を始めたという。
教授はまた、「自分を吉田松陰になぞらえるつもりはないけれど」と断った上で、国家の為に個人が何を為すべきか、を考える場という意味でこの私塾を「ハーヴァード松下村塾」と名付けたという。これだけでも氏の日本への思いに身震いするほどだったけれど、僕は教授の次の言葉に返す言葉を失った。各々の道を追求して国家全体について考えることが少なくなったことについて、教授は、「日本は民主的になりすぎた(too democratic)のかも知れません」という。
「too democratic」の適当な訳語が見当たらないけれど、僕なりに、国際競争に対する戦列の乱れ、という形でひとまず理解した。「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」がベストセラーになった1979年は奇しくも僕が生まれた年でもあるけれど、当時はつまり「ナンバー・ワン」の基準が何であるかとか、「ナンバー・ツー」がどの国であるか、ということが自明だったのだろう。翻って今の日本を支配しているのは「No.1にならなくてもいい/もともと特別なOnly One」(槇原敬之「世界に一つだけの花」)という気分ではないだろうか。
その平和で肯定的な気分自体は喜ばしいものだとしても、一方でそれは、「オンリー・ワン」に甘んじて国家戦略を軽んじても構わない、ということではない。その意味では「too democratic」は、リーダーシップ不在という皮肉な意味での一億総中流、ともとれる。この私塾の参加者は現職の国家公務員や医師、そして国際開発や国際機関を志す方々など各方面のリーダー達で構成されていて、海を渡ったボストンでありながら――あるいは「だからこそ」――日本を語り合うには実に魅力的な環境となっている。
必修科目の宿題で「時間がない」というのは言い訳を超えた切実な事実だけれど、この私塾が僕にとってまたとない成長の場になるであろうこともまた、本能的にヒリヒリと感じる。「日本」という、僕にとってはいわば永遠のテーマを、この私塾でじっくりと掘り下げて行こう。
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