- 2009-10-03 (土) 23:00
- MBA留学記

ボストン日本人研究者交流会の主催で、エズラ・ヴォーゲル教授の講演があった。回顧録という演題ゆえに特定の論点を掘り下げるという講演ではなかったけれど、それでも、この講演は日本の現代史を振り返るいい機会となったし、例えば「日本人の家族生活」というような新しい視点もを与えてくれた。備忘のため、メモをここに残しておこうと思う。
教授が冒頭に挙げた日本人との交遊録のなかに雅子妃や竹中平蔵氏が挙がることもキャッチーではあった。けれど、教授の当初の研究は「日本人の家族生活」であったと聞いて、僕はちょっとした衝撃を覚えた。教授はそれが日本の政治と経済を知る上で役立ったという。それを動的に捉えたら、例えば個々の家庭生活や家族観の変化もまた、日本の社会全体の変化や行く末と無関係ではないだろう。ニュースで耳目を集める児童虐待や育児放棄の問題がふと頭をよぎる。家族が傷んで社会が傷まないはずがない、と今更思う。
ともあれ、50年前に教授が日本を訪れた時、その社会は経済的・物質的に遅れてはいるものの、――例えば「再来年にテレビを買う」ための――勤勉と貯蓄が見られたという。また、「将来のためには勉強が大事」という母親が子供の受験に一喜一憂していた様子も語られた。個人的には教授が池尻に住んでいた、というのは地元ネタとして面白かったけれど。ともあれ、アメリカにとって未知である日本の社会構造の強みを感じた教授は「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」を著すことになる。
社会構造の強みとして教授は、1)義務教育の水準、2)他の国から学ぶ姿勢、3)会社に対する忠誠、4)長寿、5)優秀な官僚などを挙げていた。面白かったのは、当時の日本は日本自身の強みに無自覚で「外国の方が常に優れている」と信じていた、という教授の指摘。教授は「ハーヴァードの教授が良いと言うから日本も良いのかも知れない」と日本人も思うようになったのかも知れない、と冗談交じりに言っていた。日本自身が第一に日本の隆盛を予感できなかったのだとしたら、それは凋落についても起こるのではないか、というのがこの話で僕が感じた懸念だ。
近年について教授は、教育水準など「日本の良さはまだ残っている」とした上で、民主党政権は官僚の強みを過小評価しているであろうこと、民主党が与党批判を超えた政策立案と遂行を経験していないこと、などを指摘。ただし、民主党は与党として変化するであろうから、米政府は新政権をすぐに批判しない方が良い、とうのが教授の論。その上で、教授は日本の将来にとって重要と思われる論点を次のように挙げた。
第一に、国家戦略のための組織が物足りないこと。かつては、吉田茂が「吉田学校」として首相候補に通産・大蔵・外務を経験させて将来に備えていたり、経団連が産業界をまとめて国益に寄与したり、あるいは大平正芳や中曽根康弘が学者グループを組織するなどして国家戦略を実現していたという。一方で現在は、中国などが多数の研究所を擁しているのに比べ、日本は国家戦略のための中心的な組織が物足りないという。
第二に、歴史問題をはじめとする日中関係への配慮が足りないこと。例えば日本は中国に対して謝罪と開発援助を行ってきたものの、国家よび企業による援助が中国であまり知られていないことを指摘。また、教育の問題として日本の若者が第二次世界大戦について無知であることなどが、日中関係で潜在的な問題となることを示唆していた(と思う。教授の日本語たまに聞き取りにくいんだよなぁ)。教授は、読売新聞の渡辺主筆と朝日新聞の若宮論説主幹が議論した(これのことだと後で知る)ような試みを続けるべきだと言う。
最後に、日本のサーヴィス産業の国際化が不十分であること。教授は、日本は製造業によって立国したとした上で、現在は労働コストが高すぎて将来的には製造業による競争力の維持は難しいだろうと言う。そこで、日本は世界に向けたサーヴィス産業を展開してはどうだろうか、と提案。この点について僕の疑問は、高度経済成長は円安や安定した資源価格など外的要因に支えられた面も多く、現在の日本がサーヴィス産業で外貨を稼ぐ競争力の源泉はどこにあるか?というものだ。その旨を質問したところ、教授は日本の金融機関は保護主義の結果としてニュー・ヨークや香港のような競争力を持っていない点や、例えばシリコン・ヴァレーにおける研究への参画はインドや中国に遅れを取っている点などを指摘した上で、それでもホテルなどのサーヴィス水準は世界的に見ても高いのではないかと言う。確かにそうだとは思うけれど、帝国ホテルが世界展開して――例えばトヨタ車ほどに――商業的に成功するか、というイメージも沸かないんだよなぁ。
面白いのは講演後の飲み会で、例えば上記に関してはアメリカの大学院でホテル経営について勉強された方と話す機会に恵まれたりして、その道の専門家と僕のような素人が話をさせてもらえること。他にも医薬品の合成やら大気の分析やら、あるいは材料工学やら生殖科学やらの研究者とビールを酌み交わしながら話ができるのはともかく楽しい。こういう人たちとお話していると日本の未来は安泰!という気持ちが沸く一方、それぞれの分野で日本の存在感(の薄さ)を聞いたりすると僕の慎重論はますます勢いを増してしまったりもして。まぁ単に憂国ぶっても仕方ないので、いいビジネスを生み出すことで日本の強みに貢献できたら、なんて思う深夜零時。
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