- 2009-12-08 (火) 5:16
- MBA留学記

昨日、アンドリュー・ロウ教授による金融危機特別講座が招聘したローレンス・ゴンザレス氏の講演が、同講座受講生以外にも開放されたので参加した。氏は「緊急時サバイバル読本―生き延びる人間と死ぬ人間の科学」の著者で、ロウ教授が乗り継ぎ中の空港で同書を買ったところ、読んでいて飛行機に乗り遅れるほど面白かったので講演を依頼したという。演題は「知的な間違い: なぜ賢い人がバカなことをするのか」というもので、無意識の思い込みが招く悲劇を多く学ぶ。マインドセットを変えることは簡単ではないけれど、だからこそ、その危険性を事例に学んで肝に銘じるべきなのだ。

講演は車椅子のマークのように単純化された図案が、なぜ「車椅子」と認識されるか、という脳の認識プロセスから始まる。一度パターンを認識してしまえば、我々は「十分な情報を得た」と仮定して、「それが何か」を瞬時に理解する。あるいは、それ以外の選択肢を切り捨てる。ルビンの壷を出して、僕たちは顔と壷とを両方「同時」には見られない、という脳のメカニズムを体験させられる。
これは情報を効率的に取捨選択するための合理的な方法だとしながらも、ゴンザレス氏は、「それ以外の選択肢を切り捨てる」ことの危険性を幾つもの例で痛快に示す。例えば、ある実験で、天才ヴァイオリニストとされるジョシュア・ベルがワシントンDCの地下鉄でヴァイオリンを演奏した時のこと。彼が3億円超のストラディヴァリウスで奏でる音楽に立ち止まる人はごく少数で、1日の演奏でベルが得たのはわずか32ドルだったという。地下鉄構内でヴァイオリンを弾いている人を見た瞬間に、僕たちは自動的に「彼らは一流ではない」と決めてしまうのだ。

ある精神学者3名が幻聴を偽って精神病院を訪ねたところ、即座に統合失調症と診断される。学者らは「もう幻聴は聞こえない」といっても投薬と入院は続き、長い者では入院は3ヶ月にも及んだという。さらに彼らが一連の出来事を記録すべくノートに細かく書き込みをしたところ、その行為も「奇行」として看護師により医師に報告されたそうだ。ここにも先入観の怖さがある。傑作なのは、「本当は病気ではないのではないか?」と先に指摘してきたのは、医師ではなく本物の精神病者の方だったという。
さらに組織にはバイアスが加わる。組織論でも事例研究の題材としたチャレンジャー号の悲劇は、打ち上げを前提とするプレッシャーを誰しもが受けていた。テキサスのある大学では、かつて学生が始めた焚き火も、いつしか「前年よりも大きく」が恒例となり、いつしかプロの業者に依頼しなければならないほどの大きさになり(もはや学生の焚き火ではない)、ある年にその巨大な焚き火が倒壊して死者が出るまで「前年より大きく」は続いたという。精神病院の例もそうだけれど、組織にも認知的不協和を回避するバイアスがあるようだ。
さらに個人のウッカリや過度の慣れがこれに輪をかける。世界一とされたあるロック・クライマーは、絶壁を登って降りようと体を反らしたところで谷底に転落して亡くなったという。ロック・クライミングの最も初歩的な手続きであるにも関わらず、命綱を体に留めることを忘れていたからだ。ワシントン発フロリダ行きの飛行機が墜落した原因のひとつは、吹雪にも関わらず本来は必要なエンジンの防氷装置を解除して離陸したことだったそうだ。フロリダでもワシントンでも、通常はこの装置を解除することが手順だからだ。
あるFBIの捜査官は、暴漢を取り押さえる際に犯人から銃を奪い、なぜかその場でその銃を暴漢に返してしまったという。同僚が銃を再度手にした暴漢を撃ったので大事には至らなかったそうだが、銃を返してしまった捜査官はそれまで、FBIの格闘訓練で教官を努めていたという。彼が訓練で行っていたのは、同僚から銃を奪い取るという役割で、そして奪い取った銃はその場で同僚に返していた。そんな慣れが、暴漢に銃を返す、という通常ならば絶対にありえない行動につながったのだ。
ゴンザレス氏自身も似たような経験をしたという。ある山道を歩いていて打ち捨てられた家を見つけ、子どもへの土産になるものを探そうと中に入る。そこで彼は、子どもの頃に祖母が持っていた、蛇をかたどった美しい灰皿とよく似たものを見つける。ゴンザレス氏がそれを拾い上げようと手を伸ばした時、彼は赤い舌が動くのを見て慌てて手を引っ込めたという。彼はその地域に毒蛇が出ることも知っていたし、蛇の映像も見ていたけれども、「土産物を探そう」という気持ちのために、蛇を見てそれを灰皿だと決めつけていた。
彼はとても話が上手いので、僕はその情景をありありと目に浮かべることができたし、とぐろを巻いた蛇が急に舌を突き出す節では講堂で思わずビクりとした(ビビりなので)。これほど明確なことでも、人間は平然と間違えを犯す。僕も数日前に、髭剃りのクリームを食べそうになった。髭を剃ったら歯を磨こうと考えていて、クリームと歯磨き粉を勘違いした。カミソリを咥えていたら大変だった。難しいプロセスをいつしか無意識に出来るほどの人間の頭脳の優秀さが、却って、死ぬほどバカな過ちを導くことがあるのだ。
金融危機との関連でゴンザレス氏は、「特に見返りが設定されていると、思考のパターンが定着しやすい」という。動機付けとしての報酬は組織論で常に議論になるところだけれど、報酬が合目的的かという議論だけではなく、「報酬制度自体が思考の盲点を生まないか」という論点はこの講演の収穫だった。企業が利益のみを業績の尺度にすればバランス・シートを軽視するのみならず、いずれは見なくなってしまうかも知れない。完璧な評価基準はないからこそ、どの評価基準も完璧ではない、という自覚が重要になるだろう。
無知の知、という言い古された言葉の心理を改めて思う。僕たちは、自分たちが思う以上に死ぬほど間抜けなのだ。その致命傷に対していま何か出来ることがあれば、その間抜けさに向き合うことだろう。
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