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たとえ我、ブーイングの影の谷を歩むとも

リー・ハフリー(Leigh Hafrey)先生のコミュニケーション(Communication for Managers)の授業で、映画『アザー・ピープルズ・マネー(Other People’s Money)』のワン・シーンを観る。僕たちはそれまでの数週間、口頭でのプレゼンテーションの練習をしてきた。だから、その観点でこのシーンを観る。話の論理構成だけでなく、間の取り方やジェスチャー、声のトーンや空間の使い方などを、今度は僕たちが批評する番だ。企業の敵対的買収を舞台としたこの映画は観たことがなかったけれど、シーンの冒頭から僕は憂鬱だった。禿頭で短身で小太りで、頭には山高帽、肩にはスカーフ。もうね、マフィアかと。この「乗っ取り屋」は明らかに悪役で、しかも滑稽な役どころなのだ。資本市場に社会的意義を見出す身としては、それが否定される予感に独り身構えていた。(以下ネタバレあり)

舞台は株主総会。役員選任の投票らしく、防衛側の役員がまずスピーチをする。圧倒的に男前のグレゴリー・ペック。壇上に進み出ると従業員株主たちに拍手で迎えられ、彼は旧友たちに語りかける。「不況も恐慌も大戦さえも生き延びたこの会社が、乗っ取り屋によって殺されようとしている」と。そして、この産業はいつか蘇り生き残る、それをウォール街が「株主価値最大化」の名目で殺すのだ、我々は株価よりも人々を大事にするのだ、と畳み掛ける。それは堂々とした語り口だ。そして、従業員株主たちの熱烈な拍手で幕を閉じる。愛と希望に満ちたいい話じゃないか。もういいよ、資本の論理などクソ喰らえだ!

次に乗っ取り屋役のダニー・デヴィートが紹介されると、最前列に座った大株主たちが送る拍手は、しかし、すぐに会場の対部分からのブーイングの嵐に掻き消されてしまう。効果的な沈黙でその嵐が静まるのを待ち、乗っ取り屋ラリーが話す。「この事業は死んでいた。私が殺したのではない、私がここに来たときから死んでいたのだ。」と。光ファイバー(ここは銅線の会社らしい)、新技術、陳腐化――。最高の馬車用ムチを作る会社の株主だったらどんな気分だろうか? この事業は死んでいる。知性と良識を持って死亡宣告書に署名し、生命保険をもらい、未来のために投資をしよう。

それに続くデヴィートの挑発的な主張も、しかし、実は正論にすぎない。効率的な資本再配分によって、より有用な財が社会に供給され、新たな雇用が生まれる、というものだ。もちろん株主総会は選挙ではないのだけれど――じゃあなんで演説が映画の山場になるのか、という野暮な質問は忘れよう――、どうやらデヴィートの反論が説得力で優った、というのが話のオチらしい。やるじゃないか、乗っ取り屋。話のトーン――過度に偽悪的では?――や従業員に対する責任(「知るものか!」)など、八方美人の僕としては諸手を挙げて賛成しかねる部分も多少あるけれど。

ともあれ。ネタバレで申し訳ないが、知らない映画の山場だけをいきなり観せられたのだから仕方ない。授業での議論は、先手のペックが用いたテクニック――株主としての聴衆を従業員としての役割にスリ替える(セコい!)――などもさることながら、後手のデヴィートが逆境に対してどう対処したかで盛り上がった。先手のペックに対が設定した論点(殺す⇔死んでいる)やキャラクター(好人物⇔憎まれ役を否定しない)への対応など、映画の脚本通りとは言えど、敵対的な聴衆に対するプレゼンに際しての示唆は豊かだった。

というか、敵対的な聴衆の前でのプレゼンなんて、想像したこともなかったので新鮮だった。そりゃ手強い会議に臨んだことは幾度かあるし、悔しいダメ出しも数えたらキリがないけれど、さすがにブーイングはされたことがない。例えば「コミュニケーション力」なんて言葉を、自分がいかに限定的に考えていたかを思った。これは余程強烈だったのか、ついに夢にまで出た。先週のある朝、僕は、体育館のような建物を埋めた敵対的な聴衆を罵倒してしまう、というトホホなシーンでハッとして目が覚めた。罵倒、カッコ悪い。寝覚め、スゴク悪い。

数日前に一緒に飲んだ方のお父様はある大企業の広報を担当していたそうだ。記者がいかに酷い態度で質問をしてこようとも、そこで平静を失ったらその発言だけが報道される、ゆえに、絶対に悪感情を露にしてはならない、が鉄則だそうだ。逆境の中でのコミュニケーションでは人間の器を試させられることになりそうだ。とは言え、僕の器が一朝一夕で人並みに大きくなるとは思えないので、今のうちにコミュニケーションの授業でも取って、未来のために投資しよう。

そう言えば、まえに講演を伺った元ライブドア社長の平松庚三氏は、逆境下での社長就任に際して危機管理のコンサルタントを雇って記者会見のリハーサルを徹底的にしたと話されていた。企業を取り巻く利害関係者は多岐に渡るどころか、何かの拍子に利害関係などまるでない世間からも注目を集めることがあるだろう。企業は(好意的に考えれば期待の裏返しとして)とかく攻撃の対象になり易いので、個人として、あるいは組織として、逆境下のコミュニケーションに備えるに越したことはなさそうだ。

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