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僕が死んだ日

Poplars
(Camille PissarroPoplars

夕暮れのなか図書館に向かいながら、iPodでジャスト・ジャックの「ザ・デイ・アイ・ダイド」を聴く。「僕が死んだ日は僕の人生で最高の日だった。僕の友人たちと子どもたちと妻に、全てはうまくいくよ、と伝えて欲しい」――。何度も聴いたはずのこの曲にふと心を奪われ、最後まで聴いてはRWボタンを押して繰り返す。そして、1月に履修したトーマス・マローン教授による分散型リーダーシップのワークショップを思い出した。そこでは自分の臨終がどのような情景であって欲しいか、弔辞はどのように語られて欲しいかを心に描き、そして、他の参加者たちと共有した。

僕の希望は、およそ次のようなものだった。まず、これは他の参加者にもほとんど共通していたけれど、妻と子どもたちと孫たちにいて欲しい。そして、病院の雰囲気と医療機器が嫌いなので、最期は郊外の自宅で迎えたい。ベッドのある部屋の大きな窓からは緑の木々を眺めていたい。そうそう、寒いのは苦手なので冬は避けて、そうだな、4月か5月くらいがいい――。教授に促される通りに椅子に深く腰掛け、目を閉じ、深呼吸をして自分の死に際を思う。

マローン教授があとで総括した通り、僕たちはこの体験を通じて、僕たちがそのために今まさに日々を捧げている職業的成功が、人生最後の瞬間においては最重要事項ってワケじゃないことに気づかされる。というか、ほとんど関係ない、って言ってもいいくらいだった。何を望んでもいい弔辞の言葉にあって、どれほど多く参加者が「偉大な経営者」と称されることよりも「良き家族のメンバー」であったと惜しまれたいと願ったことか。

こんな甘ったるい一般論を聞かされると僕は決まって眠たくなるというのに、フリーハンドで描いたはずの死にゆく僕は、まさにその甘さのなかで最後に目を閉じることを望んでいた。「個人の価値観を深く掘り下げれば掘り下げるほど、大抵の場合はより一般的なものに行き当たります」とマローン教授がいう。ゆえに、個人的な価値観に基づいたリーダーシップは、むしろそれに反した表層的なものよりも、人に強く訴えかける、と。

職業的成功の意味はむしろ、「僕の友人たちや子どもたちや妻に、全てはうまくいくよ、と伝えて欲しい」という言葉の裏書として集約されるのだろう。世の問題を解決するひとつの手法として、営利・非営利それぞれの事業がある。これらが効率的かつ永続的に発展するよう、少しでも寄与できたらいい。善き事業たちが回り続けるのであれば、「全てはうまくいくよ」なんて言っても強ち虚勢にはならないんじゃないかな。

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