Home > MBA留学記 > クレイグ・モッド「iPad時代の書籍」

クレイグ・モッド「iPad時代の書籍」

CraigMod1

MITプレスのツイッターで、あるブック・デザイナーが書いた「iPad時代の本」(Books in the age of the iPad)という記事を知る。クレイグ・モッド氏は記事で、出版コンテンツには「形式不問コンテンツ(Formless Content)」と「形式依存コンテンツ(Definite Content)」があると二分した上で、前者は「印刷をやめてデジタル化すべき」と提案。一方で、後者については印刷への選別が強まることで品質が高まることを予見しつつ、さらに、iPadが後者にも切り込むことを示唆。興味深い記事だったので備忘を兼ねて紹介したい。

「出版業界は低迷しキンドルの売上が上がる。本のロマン主義者たちは泣き濡れているが、いったい何が悲しいのか?」――記事の冒頭でモッド氏は問う。「読み捨てのペーパーバック、空港のペーパーバック、浜辺のペーパーバックがなくなるだろう。『読み捨ての本』という出版のクズがなくなる。形式やサステナビリティや保存性を考えずに印刷された本、引っ越しや大掃除で捨てられる本が、真っ先になくなるのだ。もう一度いう。清々するじゃないか。」

モッド氏の分類は次の通り。まず、形式不問コンテンツは内容がレイアウトから切り離されていて、他の形式に移植されても本質的な意味を失わない。ほとんどの小説やノンフィクションがこれに該当する。(下図参照)

CraigMod2

形式依存コンテンツはこれと反対で、画像や模式図やグラフを伴った文章、詩が該当する。他の形式に移植することができても、その方法によっては「意味」や「質」が変わってしまう。(下図参照)

CraigMod3

モッド氏は、読み難さやバッテリーなどの電子書籍の課題にも言及したうえで、しかし、「重要なのはそれらの苦情は文章が『意味を失っている』と言っているわけではないことだ」と指摘。続いて、技術の進化が紙と電子書籍の差を埋めるであろうことや、電子流通や軽さや検索性といった電子書籍ならではの特性が「すでに伝統的な印刷物への切り札になっている」という。

以上の議論を踏まえた上で、筆者は「形式不問コンテンツの印刷をやめてデジタル化し、よく吟味された形式依存コンテンツのみを印刷すべき」という処方箋を紹介。しかし、「iPadがこれを変える」という。

モッド氏は次のように続ける。コンピューター画面と違ってキンドルやiPhoneは読者に近く、読みやすい姿勢がとれる。さらに文字に触れられるため読書体験の親密さが増した。けれどもこれらは文字だけ(訳注:「主には」ということだろう)を扱っていたのに対し、iPadは違う。iPadは吟味されたレイアウトを表示するに十分な大きさと柔軟性がある。(下図参照)

CraigMod4

そのため、iPadは形式依存コンテンツにもデジタル化の道を開く、と著者は言う。また、興味深いのは、iPadにおいては「ページ」という概念にとらわれる必要がないため、新しいコンテンツのデザインが生まれることも示唆している。

筆者の結論は次の通り。まず、形式不問コンテンツはデジタル化され、形式依存コンテンツはiPadか印刷かに分かれる。今後印刷されるものは 1) 内容とともに物語を飾るべき物性を包含して、2) 形式と素材の使用に確信があり、3) 印刷の長所を引き出し、4) 後世に残すべきもの、になる。

CraigMod5

その結果として、今後の本は 1) 手にとると完全で確かな手応えがあり、2) 遠い記憶の図書館の匂いがして、3) 全てをデジタルで接する我々の子どもたちにも価値が伝わる何かとなり、4) 人々に印刷された本が思想と知識の彫刻たり得ることを気づかせるものになるだろう、とモッド氏はいう。

「それ以下のものはどれも、デジタル化の行進に踏みつけられ、すぐに忘れ去られるだろう。グッドバイ、読み捨ての本よ。ハロー、新しいキャンバス。」

これを読んで、モッド氏の明確な指摘によって僕自身の考えが整理されたばかりでなく、デジタル/アナログの別を問わずに同氏がブックデザインに注ぐ職人魂に心を打たれた。デジタル化すれば、お決まりのフォーマットに割いていた量産的ブックデザインの需要は消えるだろうけれど、一方で、内容によっては依然としてブックデザインという機能は必要になる。ある部分ではより高度な知識とセンスが要求される、ということもありそうだ。

出典: Craig Mod (craigmod.com)

関連記事:

blog comments powered by Disqus

Home > MBA留学記 > クレイグ・モッド「iPad時代の書籍」

Return to page top