The SYNTAX ERROR Blog » 未分類 http://www.thesyntaxerror.net MIT Sloan / London Business School MBA留学記 Mon, 22 Nov 2010 02:24:03 +0000 http://wordpress.org/?v=2.8.6 ja hourly 1 サントリー・ホールとメセナの民主化 http://www.thesyntaxerror.net/2009/07/23/122007 http://www.thesyntaxerror.net/2009/07/23/122007#comments Thu, 23 Jul 2009 03:20:07 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/?p=987

表参道の病院で髄膜炎の予防接種を受けたとき、僕は待合室の雑誌をあらかた読んで待つことになった。うっかり予約の時刻に遅刻して、1時間ほど待つハメになったからだ。自業自得なんだけどね。そこには「MUSE」というサントリー・ホールの会員向け雑誌もあって、指揮者ズービン・メータのインタヴューが載っていた。サントリーがキリンと統合して資本市場により直接に晒された時、この企業のメセナはどうなるのだろうか、なんてことを思わずにはおれない。このホールを今後維持する主体は企業であるべきか、創業者等の資産家であるべきか、あるいは、個々の聴衆であるべきか。

会報誌でメータは、サントリー・ホールに請われて開催した子どもか何かのためのコンサートの出演料を全額寄付した、と話す。そして、それはそのような企画を支援する佐治敬三氏個人への敬意と賛同のためだ、という主旨が続いている。別のページには同ホールが誇るパイプ・オルガンが如何なる苦労――端的に翻訳すれば費―の末に設置され、さらに維持されているかが語られている。佐治氏という個人とサントリーという企業とが分かち難く一体となり、結果として、東京に素晴らしいコンサート・ホールが存在し、また、世界的指揮者がこの土地で公演する物理的および属人的な素地を形作っている。

コンサートのチケットは安くはないけれど、それでも、実費を考えたら破格の安さだろう。このホールが、機会費用はもとより運営費をも回収できてはいないだろうから、その差損はサントリーの株主が負担していることになる。このホールがなければ主軸商品のウィスキーや、ようやく黒字化したビールが売れないとは思えないから、広告宣伝費という正当化も難しい。結局のところ、僕らは佐治氏の寛大さに支えられてコンサートを聴いているのだ。オーケー、いい話じゃないか。けれど、と思う。キリンの株主は佐治氏ほど寛大だろうか? まさか。僕が株主だったら、都心の贅沢なホールなんかさっさと手放して、1円でも多く配当して欲しい。あと1週間で晴れて無職のこの身なら、これくらい期待したって投資家の傲慢と謗られることもないだろう。

個人投資家として投資先にメセナを期待する理由は、少なくとも僕にはない。けれどこれは、文化芸術など廃れてしまえ、と言っているのではない。僕はコンサートに行くが好きだから、配当が増えればその剰余で、ウィーン・フィルのチケットを買うことも充分にあり得る。これはいわば、国に公共事業をやらせるのか、定額給付金で自分の好きなものを買うのか、という対比にも似ているかも知れない。後者の方が意思決定はより自由で透明で、ゆえに主的言えるかも知れない。けれど、と思う。その民主的なメセナの分担は果たして、次のサントリー・ホールにつながっていくのだろうか? CDの売り上げが減り、有料配信がそれを補うわけでもないコンテンツ市場を見ていると、いわば権者投票すなわち消費は文化や芸術に向かっているように見えない。それが悪い、とは言わないけれど。

あるいは、消費者の視線で。プレミアム・モルツやC.C.レモンがある日から1円安くなって、その代わりに「その1円をホール建設に寄付してください」って言ったら、みんな寄付するんだろうか? 僕だったら、趣旨には賛同するけれど、なんか面倒くさい。「面倒くさいなぁ、でも、やんなきゃなぁ」なんて言っているうちに、一定期間気にしたらそれで気も済んで、その1円はじきに財布に溶けていくだろう。サントリー・ホールに関してサントリーの果たした機能は、まさに、こういう1円を消費者/株主から掻き集めて、実際にホールを建設してしまったことにある。いわば芸術振興における疑似国家の機能を発揮して、独裁と呼ぶ人もあるかも知れないけれど、ともかく立派なホールを出現させた。

とはいえ、オーナー企業でもない限りこんな荒技はできないし、また、すべきでもないように思える。僕たち個人の感性と行動力が試される訳だけれど、メセナは民主化・分権化した方が――つまり企業よりも個々人がタニマチであったほうが――文化の下支えとしては底堅いだろう。会った事のない資産家が何百万円も寄付するより、自分自身が1千円でも2千円でも寄付した方が、よほどオーナーシップを感じる。もちろん、そういう千円単位の活動を刺激するのはやはり百万円単位あるいはもっと多額のロール・モデルだろう。この率先垂範の担い手はここ数十年は企業の独壇場であったかもしれないけれど、先の民主化の文脈の中で、今後は企業という漠たる存在よりもむしろ、事業家個人に回帰していったらいいんじゃないかな、と思う。

乱暴な試案だけれど、サントリー・ホールを佐治氏が買い戻して佐治ホールなんて名前にしたら、「よーしオレも○○ホール造っちゃうぞ」っていう若い起業家がもっと生まれて活気が出るんじゃないかなぁ。企業自体は個人のロール・モデルにはならないけれど、個人は後達の手本や目標になっていくからだ。

ぐっちーさんの記事「プレミアムモルツ一番搾り」へのコメントで下記のようなものを読んで、ふと思ったことを書いてみた。

サントリーという会社は恐らく、日本の文化のタニマチ意識の非常に強い会社で、大正以来、資生堂や出光興産と並んで、日本の芸術・スポーツなど、「文化」の牽引車だった企業の代表格です。収益性が低いのも恐らくそのせいでしょう。(略)サントリーが時価会計の洗礼を受けてしまうと、経済原理以上の文化面でのネガティブインパクトが計り知れないと思うのですよ。半分カーネギー・メロン財団みたいな志向の強い企業でしたから。少なくとも企業メセナの担い手が変質してしまうでしょう。

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http://www.thesyntaxerror.net/2009/07/23/122007/feed 1
チャイルド・レーバー$ミリオネア http://www.thesyntaxerror.net/2009/07/13/135053 http://www.thesyntaxerror.net/2009/07/13/135053#comments Mon, 13 Jul 2009 04:50:53 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/?p=971

グローバルギヴィング(Globalgiving.com)から、「あなたが寄付したプロジェクトが更新されました」というメールが届く。僕がグローバルギヴィングを通じて寄付をしたのは、殊勝な心がけからというよりは、アメリカ人の友人Mのおかげだった。彼は昨年3月、なぜか唐突に、同サイトで使える100ドル分のクレジットを僕にプレゼントしてくれた。そこで僕は数あるプロジェクトのなかから、インドで人身売買の末に強制労働に従事させられた児童へのリハビリテーションや、アフガニスタンの地方部における情報網整備などに寄付をした。僕自身も忘れかけていたところへ、前者についての経過報告が届いた。

この経過報告によると、児童労働のリハビリ施設で、8歳から15歳の児童25人が2009年の期末試験を受験したという。90.6%(の正答率?)で1位になった8年生(中学2年生?)のKinshu Kumar君の「僕たちにチャンスを下さい! 僕たちが一番だって証明しますから! (Give us a chance! We will prove we are the best!)」という言葉に引き込まれる。僕は映画「スラムドッグ$ミリオネア」で案の定ボロ泣きしてしまったけれど、経過報告の冒頭に引用されたこの一行のセリフには圧倒的なリアリティ、あるいは、切れば血の出る人生がある。

7年生(中学1年生?)のManan Ansari君はこう言う――「クラスで一番になったことは、人身売人と、僕を重労働と暗闇に陥れた元雇い主への痛快な仕返しです。(First position in my class is my sweet revenge to the trafficker and my former employer who put me in the slavery and darkness)」。彼は2007年に雲母の鉱山で働かされていたところを救出され、このリハビリ施設で保護されたという。記事は、「Manan君のように、過去の経緯にも関わらず、能力を発揮しようという気概と意志をもった生徒たちが(他にも)いる」として、成績優秀者の名前を次のように掲げる。

Student Name Class Percentage Rank/position
Kinshu Kumar 8th 90.6 1st
Amarlal 8th 84.22% 2nd
Manan Ansari 7th 80.50% 1st
Virendra Singh 6th 76.05% 2nd
Sandeep Kumar 6th 75% 2nd
Banti Kumar 8th 71.11% 4th
Dhara Singh 9th 72% 3rd
Kailash kumar 7th 72% 2nd
Billu Kumar 5th 66.28% 1st
Mukesh Kumar 5th 65.71% 2nd

僕はもちろん、この中の誰とも会ったことはない。けれども、児童労働から救出されるという幸運のみに甘んじず、勉強に励んで自らの人生を掴み取ろうとしている彼らへの敬意を禁じ得ない。この記事を読んで、僕は自分が叱咤されるような気分になった。そして、彼らを見守るリハビリ施設の運営に、数千円とはいえ貢献して関与できたことを嬉しく思う。この中学生たちの「気概と意志」こそが、まさに、インドを牽引していく動力源だろう。児童労働を脱出し、インド経済の波に乗るミリオネアの出現も、フィクションの世界のみに留まるとは思えないし、是非そんな彼らを見てみたい。

Manan君が搾取されていた鉱山で採掘された雲母は、絶縁体や塗料として僕たちの生活にも無縁ではなかったはずだ。善良な寄付者を気取っても、もし世界を二つに分けたならば、僕は、児童労働が一端を担うインド製品の廉価によって恩恵を受けた側にいるだろう。僕は現職での最後のプロジェクトとして行った市場調査でインドについても調べ、その規模と勢いに圧倒された。必ずしも偽悪的あるいは自虐的な発想をとる必要はないけれど、少なくとも経済圏として見た日本はインドによって、「痛快な仕返し」を食らう可能性はある。もっとも、日本は既にインドの「仮想敵」ですらないかも知れないけれど。

上に名前を挙げた彼ら、あるいは彼らが表象する気迫こそが、5年後あるいは10年後に日本が世界経済で相見える良き競争相手になる。この子どもたちが無事に期末試験を終えたことを喜びつつ、僕自身もまた鍛錬しなければ相手にもされないだろうな、と悟る。ひとたびそれに甘んじてしまえば、日本における恵まれた環境は、その実、成長をもたらさない不幸な環境に容易に転じてしまう。いまだかつて経験したことのない防戦を、日本はどのように戦っていくべきなのだろうか。

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http://www.thesyntaxerror.net/2009/07/13/135053/feed 0
退職 http://www.thesyntaxerror.net/2009/07/06/044440 http://www.thesyntaxerror.net/2009/07/06/044440#comments Sun, 05 Jul 2009 19:44:40 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/?p=929

2003年4月に新卒で入社して以来、6年間お世話になった会社を退職。最終出社日も、新規事業に関する契約文言を読み合わせたり署名を手配したり投資申請を回したり、という具合で慌ただしかった。けれど、最後の最後まで慌ただしかったその分、フロア中が見守る中で執行役員から花束を手渡される、いわば終劇のその瞬間が鮮烈だった。僕もこうして何人かを拍手で送ったけれど、あれー、今度は僕が送られちゃうの?というか。退職届を出しといて、あれー、ってのも変な話だけど。うーん、まだ実感が湧かないなぁ。

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http://www.thesyntaxerror.net/2009/07/06/044440/feed 0
In Debt We Trust http://www.thesyntaxerror.net/2009/06/11/231054 http://www.thesyntaxerror.net/2009/06/11/231054#comments Thu, 11 Jun 2009 14:10:54 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/2009/06/11/231054


 Murray Hill Journal: オバマ一家を救った「ジャックと豆の木」を経由して見つけた新聞記事が面白かった。それはDaily News誌の意見欄に掲載されたPresident Obama’s troubling mantra: In debt, we trustという記事だ。オバマ米大統領夫妻もかつては自宅を担保にした借り入れで生活を支えており、オバマ氏の著書が「ジャックと豆の木」のごとく印税をもたらすまでは貯蓄もほとんどなかったようだ。夫がやがて大統領となる弁護士夫婦ですらこのような状況であれば、他の家庭の貯蓄性向は推して知るべしだろう。


 オバマ家の借入金の推移についてはMurray Hill Journalに詳しいけれど、要約するとおよそ次のようになる。夫妻は約16万ドルの住宅ローンを借りて1999年4月にマンションを購入し、翌月にはもうそのマンションを担保に約2万ドルを借り入れ。2002年には住宅ローンを借り替えて21万ドルに増額。そのマンションに別の抵当権を設定して10万ドルの借り入れ枠を設定。記事の推定では2004年当時のオバマ家の負債は約24万ドルで、当初の住宅ローン借入額約16万ドルに8万ドルほど借入金を積み増している。
 2000年から2004年までのオバマ家の調整後総所得は平均約26万ドルで、オバマ大統領が大統領選で自ら定義した税務上の「高額所得世帯」の25万ドルを上回る。一方で記事は、当時のオバマ家の税務申告書には課税対象の利子所得が申告されていないことから、オバマ夫妻には明らかに貯蓄がほとんどなかった、としている。自身の「高額所得世帯」の定義に該当するオバマ家自体が、約26万ドルの年間所得に対して実質無貯蓄で、住宅を担保に24万ドルの借金を背負っている。さらに、その借入金のうち16万ドルは住宅購入費用としても、残りの8万ドルは一家の消費に回されている。
 これでは記事が指摘する通り、「オバマ夫妻は彼らの資力以上の生活をしており、住宅価格の下落で彼らも苦しんでいたかもしれない」。けれども、結果としてそうはならなかった。オバマ氏の著書がミシェル夫人いわく「ジャックと豆の木のような」収入をもたらしてくれたからだ。「その豆の木がなければオバマ家も最後には過大な負債に苦しんでいただろう」と筆者。
 Nikkei Netにはという記事もあった。

「J. Crew」や「Banana Republic(バナナ・リパブリック)」などのカジュアルブランドもミシェル夫人は日頃から人前で着ている。「J. Crew」や「H&M」の服を着て選挙キャンペーンに臨んだ際は、米国中のショップからその商品がまたたくうちに消えたという。

 もちろん、彼女のファッションには政治的な意図あってのことだろう。けれど、印税所得以前のオバマ家の家計を見る限り、意外性を訴える「セレブリティすらもH&M」という神話が多少霞んで見える。彼らは日頃オートクチュールで生活するようなセレブリティではなかったからだ。少なくともオバマ氏の著書が売れる前は。
 住宅担保ローン(Home Equity Loan, HEL)の債務者のうち、著書が何百万部も売れたり、米国大統領になったりする人は稀だ。東洋経済の記事によると、HELの抵当順位は住宅ローンに次ぐ第2位で、その融資総額が2008年3月末で約8,800億ドルあったという。優先するサブプライムが不良債権化している以上、HELも凄惨な状況だろうと思うけれど、現状はどうなっているんだろうなぁ。

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http://www.thesyntaxerror.net/2009/06/11/231054/feed 0
有益な相互依存 - H. クリントン米国務長官の卒業祝辞 http://www.thesyntaxerror.net/2009/06/06/002854 http://www.thesyntaxerror.net/2009/06/06/002854#comments Fri, 05 Jun 2009 15:28:54 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/2009/06/06/002854


 購読しているメールマガジン「『ソシアレ』~社会起業家的な新しい働き方のスタイル」で、ヒラリー・クリントン(Hillary Rodham Clinton)米国務長官がニュー・ヨーク大学の卒業式で話した祝辞の内容を知る。そこではSNSやマイクロファイナンスに言及されているというので、さっそく米国務省のサイトで原文を確認。SNSなどに加え、益な相互依存民外交官いったキーワードが散りばめられたうえに、「世界にいる30歳未満の若者のうちの60%が、こんにち我々が直面する最大の問題を解決するだろう」という。その根拠は明かされないけれど、それは「若者が解決してくれなければお手上げだ」という背理法かも知れない。ともあれ、彼女の祝辞はSNSなど現代の胎動を増幅して響かせる。僕もまた、鼓舞される思いがした。


 若者を奮起させるこの祝辞も、しかし、クリントンは謝辞のあと早々に次のように釘を差す。

[拙訳] さて、卒業式の祝辞を理想主義的にやるのが流行りだと知っていますし、この祝辞もそんな風に聞こえるかも知れません。けれども、私の信念の根は強い現実感なのです。お分かりの通り、我々には選択肢があるとは思えません。傍観を決め込んでもいいでしょうし、気をもんでいてもいいでしょうが、それがどんな結果になるかは明らかです。良心と信念ある世界中の人々には受け入れがたいような思想を持つ人々に、場を明け渡すことになるでしょう。ですから我々は、有益な相互依存という事実によって、これらの課題[気候変動、飢餓、極度の貧困、過激な思想、新しい病気、そして核拡散]に対応すべく備えましょう。しかしこれらの課題はもはや、政府同士だけの課題だとは見なせません。新しい技術が利用可能になった今、我々には市民外交官や市民活動家となり、問題をひとつひとつ解決していく時間と機会があるのです。問題は勤勉と忍耐と粘り強さに屈し、その結果、我々が望む解決策へと集約していくでしょう。

 そして、新しい技術がどのようにして人道問題を解決する手段となりえるか、クリントンは事例を挙げる。これらの事例によって僕たちは、彼女の言う「市民外交官」や「市民活動家」という概念が、単なる抽象論を超え、テクノロジーのはしごを伝ってどのように地表に降りてくるのかを確認することになる。

[拙訳] 事例をいくつか。コロンビアでは、2人の若い大学生が祖国の武力衝突に耐えられず、フェイスブックを使って1,400万人を組織して世界史上最大となる反テロリズムの反対運動を行った。(拍手) 彼らの平和的な努力は数週間で、数年間の武力行使にも匹敵する打撃をテロ組織に与えたのです。

[拙訳] みなさんは我々[国務省]が新しい政策を立案するのを待つ必要はありません。今日みなさんが家に帰ったら、インターネットでキヴァというウェブサイトを探してください。K-i-v-aです。そこでは、ヴェトナムに住む母親で、家庭農園用にコメの種と肥料を買うため小額融資を探しているサン・マのような人を助けることができます。また、へファー・インターナショナルのサイトにログオンし、一晩外食するよりも安いお金で、アジアやアフリカの餓えた家族にガチョウの群れを寄付することができます。あるいは、植林をして二酸化炭素排出を相殺し、アフリカの女性を力づけるための、ワンガリ・マータイによるグリーン・ベルト運動を支えることもできます。

 リンクはKivaへファー・インターナショナル、そして、グリーン・ベルト運動。これらの運動は市民と市民をつなぐ昨日を果たしており、市民レベルでのいわば水平の「有益な相互依存」を促している(僕がこれをなぜ「相互」だと思うかはまたの機会に)。のみならず、国務省などの国策とも補完関係にあって、その観点からはいわば垂直の「有益な相互依存」を実現しているように見える。国家的な国際協力にも得手不得手があり、NGOにもまた、得手不得手があるからだ。独立こそが国是、と高らかに謳っているようなアメリカの、その国務長官が「有益な相互依存」を説く。そこに現代の胎動を感じちゃうのは僕の勝手な期待ゆえかなぁ。

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http://www.thesyntaxerror.net/2009/06/06/002854/feed 1
著作財産権とファントム・エクイティ http://www.thesyntaxerror.net/2009/06/03/110427 http://www.thesyntaxerror.net/2009/06/03/110427#comments Wed, 03 Jun 2009 02:04:27 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/2009/06/03/110427

 ガディッシュ他「プライベートエクイティ 6つの教訓 経営のための知恵袋」のなかで、「保証よりもチャンスに興味を持つ人材」を探して雇用する方法としてファントム・エクイティが紹介されていた。同書で挙げられていた方法と合わせて、ファントム・エクイティの発想を知的所有権にも応用すれば著作財産権の間隙を縫った人材確保策になるのではないか、なんて思う。それは、著作権の散逸を防ぎつつ、例えば放送番組の制作者やアニメーターに対して、作品成功のアップサイドをもたらすことになるだろうからだ。


 まず、ファントム・エクイティについての説明を引用する。

ファントムエクイティとは、ファントムストック(自社株連動型報酬)や株価上昇に連動した利益配分権などの支給方法を指す。この方法では、社員は企業の株価の上昇率に基づいて現金または株式を受け取るが、実際の持ち株比率は変動するわけではない。

 なによりも、「実際の持ち株比率が変動しない」という点が面白い。ここで従業員に対して与えようとしているのは、企業価値の増加に応じた金銭的報酬であって、企業価値の持ち分そのものではない。ファントム・エクイティであれば実際の持ち株やストック・オプションを付与することで、原投資家の持ち分が希薄化してしまう懸念がない。
 持ち分が希薄化しないことは、著作権事業において一層意味があるように見える。例えば、ある映画作品をインターネット上の映像配信事業に提供しようとしたとき、複数の著作権者がいる場合にはそれぞれの承認を得る必要が生じる。結果として、意思決定に遅れが生じたり、ともすると合意が得られなかったりさえする例がある。これは、いわば経営権が分散するデメリットだ。
 けれど、かといって著作権の持ち分を諦めることは得策でない。大抵の仕組みでは著作権と受益権が表裏一体になっているから、著作権の手綱を手放した瞬間に収益源は走り去ってしまう。問題は、著作権と受益権の分離で、それはまさに、ファントム・エクイティが目指す所有権と受益権の分離と相似形を成すように思えた。
 必ずしも株式投資を伴わない従業員にもファントム・エクイティが与えられ得ることを考えると、これは映像制作などの労働集約的な事業にフィットしそうだ。例えば、現在のアニメーション制作会社には、アニメーターに対する報酬を増額する体力は時点ではいかも知れない。そうだとしても、ある作品からの収入が一定額を超えた部分について来にわたって定割合を還元する、といった仕組みは考えられるだろう。もちろん、この収益配分によって、著作権に基づく事業上の意思決定が複雑化することはない。
 「プライベートエクイティ 6つの教訓」の著者は、人材を次のように発掘せよと説いている。

● 「会社に一生安住する」というメンタリティに、まだ汚染されていない人材を探す。
● 賃金が低いセクターに人材を求める。現在の報酬が少なく、自分にどれだけの価値があるかを知らない人たちは、(あなたの会社のように)確実に発展すると思われる会社に採用される幸運を歓迎するだろう。

 クリエイターには概して、――少なくとも「サラリーマン」よりは――会社に安住するというメンタリティは稀だろうし、さらに多くの場合は低賃金に甘んじている。著作権事業にはまだまだ、制度改善と人材活用の余地があるように思える。もっとも、それもそのはずだ、と思う。著作権事業なんて、結局のところどの事業よりも厳格な意味で、まさに人間と制度だけでできているんだから。

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http://www.thesyntaxerror.net/2009/06/03/110427/feed 0
骨折力 http://www.thesyntaxerror.net/2009/05/30/110830 http://www.thesyntaxerror.net/2009/05/30/110830#comments Sat, 30 May 2009 02:08:30 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/2009/05/30/110830

 5月15日、三宿のしゃぶしゃぶ屋さんで会食。すると同席者の知人がお店に入ってきて、もうひとりはソムリエ。ワインが進み、最後にはお店の人と一緒になってボトルを空けていったような記憶が。そして、朝。なぜか脇腹に鈍痛。その後はあまり気にせずサーフィンなんか行ったものの、ちょっと気になる。依然として痛いし。そこで数日後、オフィスにある診療所に行ったら、肋骨がしっかり折れてました。昨晩飲んだ友達も鎖骨を折っていて、こんど「骨折力」という題名で本でも書こうという話になっています。そんな力、まったく要らないけど。やれやれ。

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http://www.thesyntaxerror.net/2009/05/30/110830/feed 1
[備忘]世界各国の地デジ完全移行予定表 http://www.thesyntaxerror.net/2009/05/24/101011 http://www.thesyntaxerror.net/2009/05/24/101011#comments Sun, 24 May 2009 01:10:11 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/2009/05/24/101011

 今春カンヌで開催されたMIPTVの資料より。同見本市で配布されたMIPTV Preview誌に、英国の記者ジュリアナ・コランテング(Juliana Koranteng)氏が、世界44カ国とグローバルでの地上波放送デジタル化完全移行スケジュールをまとめていた。ありそうでなかった資料なので備忘のためメモ。

  • 国名:地上波放送デジタル化への完全移行予定
  • アンドラ:2007年9月に完了
  • オーストラリア:2013年12月
  • オーストリア:2008年5月に完了
  • ベルギー:2008年12月(フランダース)、未定(ワロン)
  • ブラジル:2013年12月
  • ブルガリア:2012年12月
  • カンボジア:2015年12月
  • カナダ:2011年8月
  • 中国:2015年12月
  • クロアチア:2010年12月
  • チェコ共和国:2010年6月
  • デンマーク:2009年10月
  • エストニア:2008年8月
  • フィンランド:2007年9月に完了
  • フランス:2011年11月
  • ドイツ:2008年12月
  • ギリシア:2011年12月
  • 香港:2012年12月
  • ハンガリー:2010年から2013年の間
  • インド:2013年12月
  • アイルランド:2012年12月
  • イタリア:2012年12月
  • 日本:2011年7月
  • ケニア:2012年から2015年の間
  • ルクセンブルク:2006年9月に完了
  • マレーシア:2015年12月
  • メキシコ:2022年12月
  • オランダ:2006年12月に完了
  • ニュー・ジーランド:2012年12月
  • ノルウェー:2009年12月
  • フィリピン:2015年12月
  • ポーランド:2012年から2014年の間
  • ポルトガル:2012年12月
  • ロシア:2015年12月
  • スロヴァキア:2012年12月
  • スロヴェニア:2010年12月
  • 南アフリカ:2011年7月
  • 韓国:2012年12月
  • スペイン:2010年4月
  • スウェーデン:2007年10月に完了
  • スイス:2007年11月に完了
  • 英国:2012年12月
  • ウクライナ:2015年7月
  • 米国:2009年2月(但し延期の選択肢あり)
  • グローバル:アナログ遮断(cut-off)年は2015年[国際電気通信連合(International Telecommunication Union )]

(出典:MIPTV Preview Magazine 2009)

]]> http://www.thesyntaxerror.net/2009/05/24/101011/feed 0 こんちには みさなん おんげき ですか? http://www.thesyntaxerror.net/2009/05/08/234223 http://www.thesyntaxerror.net/2009/05/08/234223#comments Fri, 08 May 2009 14:42:23 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/2009/05/08/234223

 最初と最後の文字さえ合っていれば、順番は滅茶苦茶でもそれなりに読めてしまう、というコピペを発見。人間の脳って、本当に省力化されてるなぁ。その一方で、微妙な誤字脱字を探す構成という作業も人間の技なわけで、僕らは手抜きとコダワリという二つの相反する病理を抱えて生きているんだなぁ。いや、それらこそが僕たちの生理なのかも知れないけれど。

こちにんは みさなん おんげき ですか?  わしたは げんき です。 この ぶんょしう は いりぎすの ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか にんんげは たごんを にしんき する ときに そのさしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて わざと もじの じんばゅん を いかれえて あまりす。 どでうす? ちんゃと よゃちめう でしょ?
(ねとらぼ:確かにめてしまうピペに2ch住人が「人間すげー」と驚く)


 元スレにあった英文の元ネタ。これは僕は平仮名のものほど自然には読めなかった。これが和文と英文とに対する慣れの差なんだろう。

Aoccdrnig to a rscheearch at Cmabrigde Uinervtisy, it deos mttaer in waht oredr the ltteers in a wrod are, the olny iprmoetnt tihng is taht the frist and lsat ltteer be at the rghit pclae. The rset can be a toatl mses and you can sitll raed it wouthit porbelm. Tihs is bcuseae the huamn mnid deos not raed ervey lteter by istlef, but the wrod as a wlohe.
(http://web.archive.org/web/20071226205915rn_1/www.mrc-cbu.cam.ac.uk/~mattd/Cmabrigde/)

 上記のサイトには、スペイン語、フランス語、オランダ語、デンマーク語、ドイツ語、チェコ語、アイスランド語、ポルトガル語、スウェーデン語、インドネシア語、ロシア語、アルバニア語、ハンガリー語、イタリア語、アイルランド語、ポーランド語の例が載っていた。
 って、日本語がないじゃん! ということで、アーカイヴのサイトで連絡が取れるか分からなかったけれど、サイトの作者のマット氏に日本語版を送ってみた。エラーのメールは返ってこなかったからアドレスはまだ使われているようだけれど、どうなることやら。

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http://www.thesyntaxerror.net/2009/05/08/234223/feed 0
土木工事と経営の視点 http://www.thesyntaxerror.net/2009/04/26/090341 http://www.thesyntaxerror.net/2009/04/26/090341#comments Sun, 26 Apr 2009 00:03:41 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/2009/04/26/090341


 「ジンガロ」を観て土のある生活への憧憬を募らせていた僕は、3月20日、義父のアトリエ「一、館」でちょっとした土木工事をやる機会を得て、最高に充実した終末を過ごす。僕は生まれて初めて大きな槌を振るって杭を打ち込み、崩れかけた斜面の土留めを造った。経営に必要なビジョンと信念と行動力を涵養するのに、これほど相応しい作業ってないんじゃないだろうか、なんて、汗をかいたあとに最高のビールを飲んで思った。



 アトリエの前の窪地、駐車場にうってつけのように見えたけれど、材木が大半を占拠していた。その材木はストーヴの薪として蓄えられていたのだろうけれど、あまりにも大量なのでこれを燃やして空間を確保することにした。そう決めてから、僕はアトリエに来るたびに材木を燃やし、燃やし、そして、燃やした。そしてこの日、1年ほどかけた焼却の作業が完了する。
 その達成感に浸る間もなく目に飛び込んできたのは、崩れつつある斜面だ。以前の土留めが朽ちてきていて、辛うじて支えになっていた材木がなくなってしまうと、その斜面はいかにも危うげに見えた。梅雨が来て雨が降れば土が流されていくだろうし、斜面の土が流されればこのアトリエの美観は損なわれるだろう。

 そこでホーム・センターまで行って、資材を物色。僕はここで、世の中に本当に杭というものが製品として売られていて、おまけにそれが20種類近くもあるということを知る。さらに、「シティ・ハンター」に出てくるハンマーみたいな木槌を買う。その場で妻は、素人の僕には無理かも知れないから業者に任せた方がいいんじゃないか、なんてことをいうから取締役会は一時紛糾するのだけれど、犬も食わない結果としてやっぱり僕がやることにする。
 そう、これは経営そのものだな、なんて、材木を燃やしながら僕は感じていた。床が傾いているとか土留めが朽ちているとか資料が散在しているとか、大小様々な課題を発見して、それらのあるべき姿を描く。いま自分たちがかけられるお金だとか時間だとか、あるいは持っている能力だとかの資源を勘案して解決策を練る。そして、最も重要な点としてそれをひたすらに実行する。
 特に取締役会で反対の動議なんかが出された案件は、なおさら確実に遂行しないといけない。巻尺で1メートル間隔を測って、水準器で杭を垂直に保ちながら何キロあるか知らない槌を下す。始めは楽しいほど刺さっていくのだけれど、だんだん地面の抵抗が強くなり、さらに杭の頭が割れてきたりする。打つ力が弱いと杭は刺さらないけれど、強すぎると杭の頭が欠けてしまう。このミクロな塩梅が結局、アトリエの美観というマクロの課題に直結していく。
 杭を打って角材を寝かせて無事に土留めを造ってアトリエに戻ると、事務用の戸棚を流用しただけの食器棚に、妻が布を敷いていた。彼女には土留めは無理だったろうけれど、同様に、食器棚にちまちま布を敷くなんて僕には無理だ。異なる着眼点ゆえに様々な課題が解決されていって、結局はこのアトリエが以前よりも良いものになっている。人間の営みとしての経営って、つまりこういうことなんだろうね。

 庭にはバラの花のようなツバキが咲いていた。

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http://www.thesyntaxerror.net/2009/04/26/090341/feed 0
吉野弘「祝婚歌」 http://www.thesyntaxerror.net/2009/01/25/221131 http://www.thesyntaxerror.net/2009/01/25/221131#comments Sun, 25 Jan 2009 13:11:31 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/2009/01/25/221131

From Blog 2009

 学生時代の先輩の結婚式と披露宴に出席して、ある俳優の方がスピーチで朗読された詩に心を打たれる。この詩の作者である吉野氏は「自由に使っていい」と話されているようなので、この温かい人間味と鋭い洞察とに満ちた詩の全文を書きとめておこう。吉野氏はこの作品を「民謡」のごとく自由に使っていいという。賛美歌もそうだけれど、美しい言葉が共有される、そのことの美しさを思う。賛美歌312番を歌いながら、「もしこの曲に著作権があったらどれほどの収入になるか」なんて一瞬思った自分の小ささを知る。

≪吉野弘「祝婚歌」≫

二人が睦まじくいるためには

    愚かでいるほうがいい

    立派過ぎないほうがいい

   立派過ぎることは

    長持ちしないことだと

    気づいているほうがいい

   完璧をめざさないほうがいい

  完璧なんて不自然なことだと

  うそぶいているほうがいい

 二人のうち どちらかが

  ふざけているほうがいい

    ずっこけているほうがいい

 互いに非難することがあっても

  非難できる資格が自分にあったかどうか

   あとで疑わしくなるほうがいい

  正しいことを言うときは

   少しひかえめにするほうがいい

  正しいことを言うときは

   相手を傷つけやすいものだと

   気づいているほうがいい

  立派でありたいとか

   正しくありたいとかいう

   無理な緊張には色目を使わず

   ゆったりゆたかに

   光を浴びているほうがいい

  健康で風に吹かれながら

   生きていることのなつかしさに

   ふと胸が熱くなる

   そんな日があってもいい

  そしてなぜ 胸が熱くなるのか

   黙っていてもふたりには

   わかるのであってほしい

]]> http://www.thesyntaxerror.net/2009/01/25/221131/feed 0 ビストロ・リヨン(池尻) http://www.thesyntaxerror.net/2009/01/24/224330 http://www.thesyntaxerror.net/2009/01/24/224330#comments Sat, 24 Jan 2009 13:43:30 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/2009/01/24/224330

 金曜の夜、池尻のビストロ・リヨン(Bistro Lyon)へ行く。友達との食事でまたイヴローニュ(Ivrogne)に行きたいと思ったのだけれど、満席ということで所の同種の店探してこの店に行きあたる。店構えは、重厚さの軽重は大いにあるにしても以前パリで行ったアラン・デュカス(Alain Ducasse)のオー・リヨネ(Aux Lyonnais)に通じるものがあって、これはもしかしたらリヨンの雰囲気なのかもしれない。料理は必ずしもリヨンに偏らず多様で、ワインにも選択の幅がある。友達とワイワイやるにはイヴローニュよりもいいかも知れない。ただ、閉店時間の早いのが致命的。


 金曜腹を空かせた大人が4人というのは、品数が増やせて、それでいて「食いそびれない」ちょうどいい人数かも知れない。多分れゆえに会話もまた無理なくテーブルで共有できる。グラスのスパークリング・ワインで乾杯して、前菜はラタトゥーユ、ブロッコリーとアンチョビのソテー、ムール貝のワイン蒸し、パテ・ド・カンパーニュ、トリッパの煮込み。まずは
この中ではパテとトリッパが旨かった。ムール貝は小ぶり過ぎて、このサイズなら紺碧海岸流に山盛りで供さないと白ワインに追いつかない。けれど、4人のうち1人は白ワインが苦手で別の1人は貝類が苦手という不幸を背負っていたので全体として事なきを得る(笑)。
 主菜に牛ほほ肉のじっくり赤ワイン煮込みと牛肉のパイ。前者のブフ・ブルギニオンはよく煮込まれてワインがソースに馴染んでいて、この価格にしたら最高の出来栄えだと思ったし、同郷のブルゴーニュ・ワインとは「当然」という以上に申し分ない相性だった。パイも、添えられたこの赤ワインのソースが軽いパイ皮と思い粗挽き肉とを調和させていた。それはお酒も進むわけで、僕は自分がどのワインを選んだかすっかり忘れてしまった。白はモンラッシェだったような。赤はなんだったか。ともかく、これは楽しい時間を過ごしたという証左としよう。けれど、楽しい時間は速く過ぎるとは言うものの、22:30にラスト・オーダーを訊かれた時は興醒めで、23:00閉店というのはあまりにも早い。平日は諦めて休日に訪ねるのがいいかも知れない。
 最後に、これはお店のせいではないけれど、僕たちのテーブルの目と鼻の先のカウンターに座った男性の一人客が2度も、長い屁を放ったのには大閉口した。そのうち1度はご丁寧にスタッカートつきだ。友達同士だから笑い話になったものの、これがデートだったら僕は氷点下の落胆と沸点の憤慨とを同時に感じただろう。せめて無音がマナー・モードというやつなんじゃないか。他山の石として気をつけましょう。

ビストロLyon 池尻大橋店 (ビストロ リヨン) (フレンチ / 池尻大橋)
★★★☆☆ 3.0

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http://www.thesyntaxerror.net/2009/01/24/224330/feed 0
未だ見ぬストイックな朝のために http://www.thesyntaxerror.net/2008/06/29/220759 http://www.thesyntaxerror.net/2008/06/29/220759#comments Sun, 29 Jun 2008 13:07:59 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/2008/06/29/220759

IMG_0119.jpg
 低血圧のせいか分からないけれど、僕は朝が弱い。そのせいで却って、夜明けくらいに早起きして近所をランニングしてシャワーを浴びて、さらにシリアルを食べて新聞に目を通してから悠々と出社したい、という熱望がある。その熱望のために僕は過剰に早く目覚ましをセットして、一旦は起きるものの案の定二度寝をして、結局はシリアルはおろかコーヒーも飲めずにバタバタと家を出る、という悲哀を幾度となく経験している。寝過ごすほどの理想の枕を手に入れたのならば、理想の朝を演出する目覚ましが欲しい。早起きへの熱望とコンプレックスとが物欲に化けてベッドサイドを襲う。


 まず、ラジオつきアラーム・クロックでiPodが接続できるものを探した。夜はiPodで好きな音楽を聴きながら眠りの海に沈み、朝もまた好きな音楽に導かれて活動の水面に浮かびたい。この基準で一番良さそうだったのが日立マクセルのMXSP-2100だったのだけれど、結局は見送ることにした。主な理由はふたつある。
 まず、好きな音楽では僕はなかなか起きれないのだ。小学校のころコンポのタイマーをセットしてヴィヴァルディの「四季」あるいは「調和の幻想」を毎朝大音量で流したのだけれど、起きるのは家人ばかりで僕にはなかなか効果がない。もちろん、起床の音楽としては選曲にも難があった。
 けれど、本質は選曲ではない。最近もTVのタイマーをセットしてニュースとともに起きる、という試みをしている。確かに半分目覚めてニュースは聴こえるのだけど、それはただ睡眠学習的な効果にとどまってベッドから飛び出す気が起こらない。ニュースが終わって連続テレビ小説「瞳」が始まると、僕はその音声だけで寝ながらにして退屈になってしまうからむしろ逆効果だ。こんな具合だから、音楽はやめた方が賢明だろう。
 次に、ならばアラーム音ということになる。目覚まし代わりにラジオやiPodが起動するのはいいアイディアなのだけど、僕に必要なのはやはり耳障りなアラームなのだ。けれども、この製品のアラーム音は石丸電気やらソフマップやらで鳴らしまくったけれど、店内の騒音を差し引いても音量不足なんじゃないかと思う。これだけ多機能なのに、アラームの音量を変えられないようなのが残念。
 そこで、結局はヤマギワ・リビナ本館で見つけた電波時計にする。電波による時刻補正が売りなのに、展示している電器屋では電波状態が悪くて肝心の電波を受信できない、というのはどうかと思う。けれど、自宅で電波を受信しなければ諦めて手動で時計を合わせればいいのだし、なによりも小さな本体に似合わない大きなアラーム音がいい。しかも、温度計と湿度計もついていて無駄に楽しい。
 家に帰ってベッドサイドに置くと、早速電波を探索し始める。果たしてうちは内のかとドキドキして様子を見守ると、心配させるほど長い探索の末に現在時刻を表示。これが日本標準時か!と妙に感動する。今まで気にもしなかった居室の温度と湿度も分かり、これもまた僕のだらけた生活にストイックさを加味するようで頼もしい。
 唯一の難点は、明るさを二段階のうち暗い方に設定してもなお、LEDがちょっと眩しいことだ。あんまり明るいと、こいつがドラマ「LOST」の時計のごとく僕の生活を支配するのではないかと警戒してしまう。いや、むしろそれくらいで丁度いいのかも知れないけれど。無政府状態の朝をなんとかすべく、僕は進んでこの暴君を迎え入れたのだから。すべては、未だ見ぬストイックな朝のために。

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http://www.thesyntaxerror.net/2008/06/29/220759/feed 0
プロヴァンスの破裂と後釜の渉猟 http://www.thesyntaxerror.net/2008/05/10/141442 http://www.thesyntaxerror.net/2008/05/10/141442#comments Sat, 10 May 2008 05:14:42 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/2008/05/10/141442

IMG_0005-1.jpg
 地域が破裂する瞬間を、僕は生まれて初めて目の当たりにした。破裂したのは南仏プロヴァンス、日付は2008年5月9日、場所は渋谷駅前交差点でだ。1996年4月4日のピーター・メイル「南仏プロヴァンスの12ヵ月」出版に遡る日本における南仏の物語は、膨張の末にハチ公の目にロクシタンのカフェが映るに至って、145ヶ月で消尽されたようだ。残念ではあるけれど、ランスの話を書いた手前もあって、ほうら次は北西部じゃないか、という気分がないでもない。物語を消費する側に立てば、の話だけれど。


 中学生の頃の僕は、書店で平積みになっている本を片っ端から読むという苦行を進んで励行していた。汗臭いテニス部員が「南仏プロヴァンスの12ヵ月」なんて本を手にした理由なんて、実はそれくらいのものだ。とはいえ、読めば読んだで楽しい夢想が広がるものだ。巻末のレシピまで読んで、どんな料理かと想像した。レシピがあるのに作ろうとしないのは、いかにも僕らしい。けれど、馴染みのない材料ばかりだったから、という口実がないでもない。ともあれ、プロヴァンスは遠かった。
 いまだって遠い。けれど、「ロクシタン・アン・プロヴァンス」の徳用シャンプーはQVCで売られているし、元祖のシア・バターはJALの機内販売でバラまき用の海外土産として出港地に関わらず売られている。ニナ・リッチのペンダントがシンガポール土産になるのと同じ構図で、値段は手頃だけどなんとなく高級っぽい、というだけだ。けれど、その高級っぽさの裏打ちはピーター・メイルが世界に布教したプロヴァンスの地域性にある。ロクシタンのシャンプーやらクリームやらは、そのロザリオとして世界にバラまかれる。
 すでに十分インフレ気味だとは思うけれど、さっき渋谷の交差点でロクシタンのカフェを見つけて仰天した。調べてみたら昨日オープンしたばかりだから、気づかなかったのも無理ない。カフェを開くのは世界初らしいけれど、なぜ銀座や青山じゃないのだろう。もとの店がなんだったか思い出せないけれど、安い女の子向けの下着屋があるような雑居ビルだ。ロクシタンも安い女の子向けのブランドに成り下がっていくのだろうか。ともあれ、渋谷駅前交差点には「プロヴァンスの風」など吹いていないし、それを辛うじて手繰り寄せる高級感もない。そこにはただ人間と財布が、つまり、生活があるだけだ。
 それにもかかわらず、「プロヴァンス」を力任せに掲げてもなお南仏物語が成立するかのように見えるのは、つまり、日本におけるプロヴァンスが渋谷駅前交差点程度の親近感で迎えられるようになったということじゃないか。そこまで堕ちた、とは言わないけれど。ともあれ、南仏物語への羨望はもはや消費しつくされて、いまはその余熱で製品を消費しつくそうとするばかりに見える。
 次のステップは、南仏なら南仏でより細かい村々に物語を求めていくか、南仏を棄ててフランスでほかの「田舎」を探すか、だろう。恐らく先行例はイギリスにあって、ロンドンが午後の紅茶とともに棄てられてから、東欧や北欧がチヤホヤされるのを我慢して、ようやく湖水地方が注目を集めたりしたんじゃないかと思う。ワインとかチーズとか何かのとっかかりがないと村々にまでは辿りつけないから、やはりほかの地方に逃げるだろう。ならば、南に飽きたら北じゃないか、というのが僕の身勝手な予想だ。
 べつにフランス北西部を流行らせようとしている訳ではないけれど、現に僕のなかで流行ってしまっているのだから仕方ない。なんだこれ、読み返すとランスへの興味が余ってプロヴァンス憎しになってるかのようだけど、そんなつもりでは…。このランス熱、風呂場に鎮座するロクシタンの徳用シャンプーで洗い流そうか。

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http://www.thesyntaxerror.net/2008/05/10/141442/feed 0
悩ましきかな外国語 http://www.thesyntaxerror.net/2008/05/04/005936 http://www.thesyntaxerror.net/2008/05/04/005936#comments Sat, 03 May 2008 15:59:36 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/2008/05/04/005936

 アメックスのことを延々と書いていて外国語の表記に悶々とした。同社の冊子は「ヴェニスに行かれるのでしたら…」とゴンドラを勧められた話の下で、「トラベル・サービス」について説明をする。「v」の音の表記の不統一は実に見栄えが悪く、「ヴェニス」なら「トラヴェル・サーヴィス」じゃないかと僕の気持ちは場外乱闘をする。外国語表記はこのブログだって二転三転するのだけれど、八つ当たり的にこの悶絶を吐露してやろう。


 アメックスが連発する「コンシェルジェ」も気持ち悪い。英語でもフランス語でも「コンシエルジュ」なんじゃないかと思うけれど、どうなんだろう。以前アメリカの大学で「Vehicle」を「ヴィークル」と発音したら舌っ足らずだと注意された。「ヴィヒクル」だ、と。けれどそれはカタカナとしてやり過ぎな感じがして、僕は「ヴィークル」と書いている。だから「コンェジェ」のことは言えた義理ではないけれど、でも語尾は「ジュ」のほうが適当ではないだろうか。
 そもそも「v」音の「ヴ」表記にも悩みがないわけじゃない。日本語会話として僕らはあの楽器を「バイオリン」と呼ぶのであって、「ヴァイオリン」と呼んでいたら鼻持ちならない。そして、字面のまま読んだら鼻持ちならない書き方でもって「ベートーヴェン」だの「トラヴェラーズ・チェック」だのと書くのは自己矛盾ではないのか。さらに、「徳用昼食」とでも言うべき和製英語「サービス・ランチ」までをも「service lunch」かのごとく扱って「サーヴィス・ランチ」と書くべきなのか。
 中黒もひどく悩む。フィアンセに言わせたら「ニュー・ヨーク」はやり過ぎらしいけれど、二単語であることは僕なりに尊重したい。そこで彼女の好きな村上春樹を引っ張り出して英単語間の中黒を正当化しようとしたら、彼女曰く「ハルキはジャズの人だからいい」のだそうだ。確かにジャズの世界では「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」で、僕は別に「ジャズの人」じゃない。けれど、もし「ニューヨーク」でそれを聴くなら「フライミートゥーザムーン」となるべきで、これは実に具合が悪い。一方で、「ニュー・ヨーク・ヤンキース」というよりも実は「ニューヨーク・ヤンキース」という方が読みやすいだろう、とも思う。
 リエゾンが働くとさらに中黒は悩ましい。このブログも「ロス・アンゼルス」と「ロサンゼルス」で揺れた。この地名はさらに「~アンジェルス」とすべきか、という別の問題も孕むが、それはさておき。このリエゾン問題を決心させてくれたのは、リエゾンが溢れかえるフランス語だ。「サン・オノーレ」(音として不正確だ)も「サン・トノーレ」(「t」音が二語目に属するとまでは言えまい)もしっくりこないから、消去法的に「サントノーレ」とせざるをえない。結果として、「ロサンゼルス」に落ち着くことになった。
 中黒には日本語として並列の機能があるから、「リンゴ・バナナ・ミカン」は間違ってないと思う。けれど、「リンゴ・バナナ・ミカン・アメリカン・チェリー」は読むに堪えない。そうすると並列は読点でかわして、「リンゴ、バナナ、ミカン、アメリカン・チェリー」とするけれど、これまた前後に読点が多いと目に悪い。最後の逃げ場はスラッシュで、「リンゴ/バナナ/ミカン/アメリカン・チェリー」なら中黒とも読点とも干渉しない。ただし、難点はスラッシュの用法に共通理解が醸成されたとはまだ思えないところだ。
 中黒といえば、アメックスの冊子でもうひとつ気になったものがある。中黒を箇条書きの記号に流用するから「・プラチナ・カード・アシスト」などと落ち着かない字面になる。僕の知り合いが入社したマーケティングの会社で、「中黒を箇条書きに使うべからず」と叱られたという話を聞いて、立派な会社もあるものだと思ったのを覚えている。おっと、ついつい外国語から話がそれて中黒の話になってしまった。僕はよほど中黒が好きなのだろう。
 一方、アメックスの冊子にも安堵すべき点もあって、それは、「Fine Hotels and Resorts」を「ファイン・ホテル・アンド・リゾート」としたところだ。複数形をカタカナに持ち込んで、「ファイン・ホテルズ・アンド・リゾーツ」とすると、特に「リゾーツ」って何だよ?ということになる。英語の複数形はあくまでも英語側の問題として、日本語では複数形を無視して単数形でカナ表記すればいいのではないだろうか。こういう例はたくさん見覚えがあって、僕は目にするたびにその節度に感心していた。
 もっとも、そうは言うものの、ここでイタリア語の問題が鎌首をもたげる。単数形「パニーノ」よりも複数形「パニーニ」が浸透している事実を無視して、単数形だから「パニーノ」というのは些か意固地だ。けれど、なぜイタリア語では単複活用を取り込むのに英語では無視するのか、と言われると答えに窮する。常にカナ表記が既に定着したものばかりを扱うとは限らないから注意したいけれど、どうしていいか見当がつかない問題は多い。
 悩ましきかな、外国語。

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http://www.thesyntaxerror.net/2008/05/04/005936/feed 0
長野をめぐる中国の束縛 - 再追記 http://www.thesyntaxerror.net/2008/05/02/032236 http://www.thesyntaxerror.net/2008/05/02/032236#comments Thu, 01 May 2008 18:22:36 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/2008/05/02/032236

 「長野をめぐる中国の束縛 - 追記」で、「東京大学の在日中国人留学生掲示板なる掲示板(出典不詳)」と書いたけれど、引用元のブログ「天漢日乗」で出典が追記されていたので、こちらでも補足。僕の中国語は高校の半年間で挫折したままなので文脈は分からないし、「2ちゃんねる」のいち発言を捉まえて世論の如く言うのは危険だけど、ともかくひとつの事例として。

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http://www.thesyntaxerror.net/2008/05/02/032236/feed 0
長野をめぐる中国の束縛 - 追記 http://www.thesyntaxerror.net/2008/04/30/031817 http://www.thesyntaxerror.net/2008/04/30/031817#comments Tue, 29 Apr 2008 18:18:17 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/2008/04/30/031817

 驚くにはあたらないけれど、やはり、世界各地の聖火リレーにあたっては中国政府が旅費を負担して現地の留学生たちを動員していたとか。「東京から参加した複数の留学生によると、前日から夜行バスで向かい、1人2千円の交通費を負担したが、残りの費用は、すべて大使館側が負担してくれたという。 」と朝日新聞が報じている。


 もちろん、大使館が旅費を負担すること自体を問題視しようというのではない。けれど、僕が「長野をめぐる中国の束縛」で書いた参加圧力への懸念は、大使館の旅費負担でさらに濃厚なものになった。あるいは、自由意思での参加であったとみなす材料が減った。
 旅費の大半を負担してもらったから即ち自由意思ではない、と断ずることは妥当ではない。けれど、「大使館が旅費を出す」ということが中国人留学生社会の文脈でどのような意味を持つのかを察する価値はある。もともと自費でも長野に行こうとしていた人や、経済的な理由で長野行きをためらっていた人には幸運だっただろう。けれど、大使館の旅費負担は、長野行きを希望しない人々にとって「『漢奸』の烙印」をチラつかせた踏み絵にならなかったかどうか。
 僕は、旅費を大使館が負担したがゆえに聖火リレー沿道の五星紅旗が虚像である、と短絡しようとは思わない。その背景の自由意思を懸念しているだけだ。だから、東京大学の在日中国人留学生掲示板なる掲示板(出典不詳)で次のような発言があると知って、この発言が事実であるならば、ある意味で予防的に巧妙に議論の次元を下げようとする意図を感じてしまう。

發表於 2008-4-27 22:30
據我一個朋友説,有些人真的是アルバイト,一天給2萬日元.(友達が言ってたんだけど、何人かはホントにアルバイトだって、一日二万円の日給だってさ)
(ブログ「天漢日乗」より)

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http://www.thesyntaxerror.net/2008/04/30/031817/feed 0
長野をめぐる日本の束縛 - 「世界最低の国、日本」転載 http://www.thesyntaxerror.net/2008/04/29/145008 http://www.thesyntaxerror.net/2008/04/29/145008#comments Tue, 29 Apr 2008 05:50:08 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/2008/04/29/145008

 僕の友人がmixiで、ある人のmixi上の日記を紹介していた。その人はアリ氏といって、僕は面識がないのだけれど、チベットでの武力弾圧へ抗議すべく聖火リレーの長野へ行った報告を書いている。動画つきの生々しい記録だ。転載自由ということなので、僕もテキストだけでも転載させてもらう。中国の不自由を先の記事で書いたけれど、日本にもまた不自由がある。中国の拘束には紛争当事国として辛うじて理解の余地はあるけれど、日本の不自由はただただ不可解だ。

世界最低の国、日本
2008年04月27日00:39

聖火リレー、行ってきました。
まず皆さんにお願い。
この日記を転載、リンクして頂いてかまいません。
動画3つまでしか載せれないため、
動画ありと書かれたものは僕のメインページの動画にあります。

4/26日を振り返ります。

早朝、善光寺へ向かった。
Mちん、Tさん、F君、Yちゃんと5人で。

町には何台もの大型バスが乗り入れ、中国人が降りてくる。
僕らがそれぞれ旗を作り、プラカードを作り、前日からカラオケボックスで寝ていたのに対し、
彼らは中国大使館から支給された巨大な旗と、チャーターバスで堂々登場した。

善光寺参拝が終わり、街中へ。
とりあえず聖火リレー出発地点へ向かった。
ここで日本とは思えない景色を目にした。

出発地点に、中国の旗を持った人は入場できるが、チベットの旗を持った人は入れない。
警察の言い分。
「危険だから」
じゃあ、何で中国人はいいんだ?
「……ご協力お願いします。」

は?
それやらせじゃん。
中国国旗しかない沿道って、警察が作ってるんじゃん。

その時の抗議の様子 (引用者注:動画あり)

この後TBSの取材が来た。
チベットサポーターの1人が、
「日中記者交換協定があるから映せないのか?」とアナウンサーに聞いた。
アナウンサーは「は?勝手に叫んでれば?」
と吐き捨てて消えた。

街中に行くとどこに行ってもFREETIBETと叫んでいる。
そこに中国人が押し寄せ、罵声を浴びせてくる。

交差点で中国人と僕らが入り乱れた。
突然Mちゃんが顔面を殴られた。
僕は殴った中国人のババアを捕まえて、目の前の警察に言った。
「こいつ殴ったぞ!!」
警察は何もしなかった。

ババアが俺の手を噛んだ。手から血が出た。
警察と目が合った。
警察は何もしなかった。

ババアが僕の顔面を殴ってきた。
周りのチベットーサポーターが、
「おい、警察、現行犯だろ、捕まえろよ!!!!」
と言ったのに、
警察は何もしなかった。

これが抗議活動中じゃなかったら、普通にブチ切れて乱闘になってる。
でも非暴力を貫く為、ひたすら耐えた。

Mちゃんが1日かけて一生懸命書いたプラカードを、
中国人が叩き落とした。
拾おうとするMちゃん。踏みつける中国人。
「おい、てめー何やってんだよ!」と制止に入った。
2mくらいの距離に警察がいたが、何もしなかった。

街中いたるところで抗議合戦。
救急車が来たり大騒ぎ。
僕らはひたすら抗議活動をした。
(動画あり)

雨が降ってきた。
それでも誰も抗議を辞めなかった。
中国人がかたまってる交差点を、
Tさんと旗を振りながら渡った。
沿道の中国人は蹴りを入れてくる。
とても沿道に入れず、車道を歩いていた。
警察が来て言った。
「早く沿道に入りなさい!!」
は?今入ったらボコられるじゃん。
なんで日本人の安全を守ってくれないの?
「じゃあ、あいつらに蹴りいれるの辞めさせろよ!!」と僕は叫んだ。
警察は「ご協力お願いします」と言った。

雨の中、聖火リレーのゴール地点へ向かった。
何故か中国人とチベットサポーターに分けられた。
警察は、「後で聖火の方に誘導するから。」と言った。
嘘だった。
ゴールの公園の外の何も無いスペースにチベットサポーターは閉じ込められた。
聖火なんか、どこにもなかった。
目の前には警察が何十人も取り囲んでいた。
こんな場所じゃ、声すら届かない。
数百人のチベットサポーターは、泣きながら警察に向かって叫ぶだけだった。
国境無き記者団もこちら側に来させられていた。
代表がマスコミのインタビューに答えていた。
(裏から撮影した動画あり)

聖火リレーがいつ終わったのかも分からないまま、
土砂降りの中僕らは叫び続けた。
この声を、伝えることすら出来ないのかと思ったら涙が溢れてきた。
MちゃんもF君も泣いていた。
こんなのってあんまりだ。
せめて伝えて欲しいだけなのに。
この叫びを聞いていたのは目の前に並んだ警察だけだった。

チベット人の代表が弾圧の現状を訴えた。
涙が止まらなかった。
内モンゴルの代表が弾圧の現状を訴えた。
涙がとまらなかった。

伝えたい。ただ伝えたいだけなのに、国家権力によって封殺された。
悔しい。悔しい。

日本は最低な国だ。
平和だ、人権だと騒ぐ割には、
中国の圧力に負けて平気でこういう事をする。
警察を使って。

帰りに携帯でニュースを見た。
「聖火リレーは無事終了。沿道は大歓迎ムード。」
「聖火リレーで日本人5人逮捕。中国人留学生に怪我。」

僕は愕然とした。
この国のマスコミは終わったと感じた。

あの怒号は、
僕らが受けた痛みは、
彼らの悲痛な叫びは、
どこに反映されたのだろう。

警察によって意図的に中国人のみの沿道を作り、
そこをマスコミは撮影し、
中国人の暴力を黙認して、日本人を逮捕する。
これが日本のやることか?
ここは本当に日本なのか?
中国の旗を持たないと歩けない沿道って何なんだ?

この国は最低な国です。
チベット人は泣きながらありがとうと言っていたけれど、
僕は彼らに謝りたかった。
初めて日本人であることを恥じた。

帰り道、僕らは泣いた。

これが真実です。
僕は日本政府は中国以下だと思った。
弾圧にNOを言えずに、言いなりになって彼らの叫びを封殺したこの国は、もう民主主義国家ではない。

4/26日長野。
そこには言論の自由はなかった。
歩行の自由すらなかった。
中国人を除いて。

追記:どなた様も、転載の許可必要ありません。
報告だけしていただけると、反応が見れて嬉しいのでお願いします。
動画が消えたりするるみたいですが、また報告していただけたら何度でも載せなおします。
マスコミの嘘つき。大嫌い。
FREE TIBET!!

追追記:コメント数パンクのため、
新しい日記の方にお願いします。
また、コメントにあった質問等にもある程度お答えさせて頂きました。

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http://www.thesyntaxerror.net/2008/04/29/145008/feed 0
長野をめぐる中国の束縛 http://www.thesyntaxerror.net/2008/04/29/140421 http://www.thesyntaxerror.net/2008/04/29/140421#comments Tue, 29 Apr 2008 05:04:21 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/2008/04/29/140421

 愛国心に燃える青年が祖国の国旗を持って長野に集まる、というのと、今後の人生や故郷の肉親を人質にとられた状態で否応なく動員される、というのは明らかにニュアンスが違う。否、両者は単にニュアンスが違うのではなくて、両者は自由をめぐる正反対の状況を示している。前者のケースに異論はないけれど、後者のケースが真実ならば、中国の人権問題の根深さを思わずにはおれない。


 まずは報道記事。産経新聞は4月17日、ウェブで次のように伝えている。

在日中国人留学生でつくる全日本中国留学生学友会は17日、北京五輪の聖火リレーが26日に長野市で行われるのに合わせて、日本各地の留学生ら約2000人の中国人を長野市入りさせる計画を進めていることを明らかにした。
在日中国人2000人が長野へ集結 聖火リレーで

 道した意図ともかくとして、淡々とした説明に終始している。一方で、4月25日に書かれた林則徐氏(ペンネームでしょう)のブログには鬼気迫るものがある。

今、帰宅したところ、自宅に明日の午前6時24分発「あさま501号」の指定席のチケットが届いていました。
(略)
明日の朝、指定された列車の席に着かなければ、私は間違いなく『漢奸』の烙印を押されることになるでしょう。
そしてそれは、私にとってこれからのビジネスの道が閉ざされるであろうことを意味します。
しかし、お仕着せの五星红旗を掲げたりT恤(Tシャツ)を着たりして『统一宣传活动』をすることなど、例えこの身が八つ裂きにされようとも断じてしようとは思いません。
私はいったいどうするべきか…
(徒然草「大変なことになってしまいました!」)

 そこで同氏は知人に相談するのだけれど、次のように助言される。

「いいですか? あなたが不利になるということは、あなただけの問題ではないのです。 あなたの会社や、あなたのお母様の親戚まで巻きこむことにもなるでしょう。」
「母の…!」
恥ずかしながら、そんなことまでは全く考えてもいませんでした。
しかしながら、美國の王千源小姐の例を見れば、『漢奸狩り』の手が、大陸に残る母の親族に及ぶ危険は十分に考えられます。
(徒然草「「長野」から戻って参りました」)

 前後の文脈から、知人の発言は決して脅迫ではなくて、親切な助言として発されたものであることが読める。つまりここには、本来ならば無関係であるべき長野への動員の出欠と、故郷の肉親の安否とか不可分にリンクしている現状が示唆されている。知人は脅しているのではなくて、あたかも「傘をささないと濡れる」というような注意を促しているだけなのだ。それが却って空恐ろしい。
 中国政府が本当に恐れているのは、チベット独立の容認がウイグルや内モンゴルの独立運動に連鎖していくことではなく、思想信条の自由が北京の天安門広場に飛び火することなのではないか。林氏のブログを読んで、抑圧にくすぶっているのは何も辺境のチベットばかりではないと知る。

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http://www.thesyntaxerror.net/2008/04/29/140421/feed 1
胡錦濤中国国家主席への請願書 http://www.thesyntaxerror.net/2008/03/31/100653 http://www.thesyntaxerror.net/2008/03/31/100653#comments Mon, 31 Mar 2008 01:06:53 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/2008/03/31/100653

 チベットは2度訪ねた土地だ。はじめは2003年、そして昨年。思い出と思い入れがる。それらが相俟って僕は、チベット騒乱のニュースに二通りの感想を抱いている。ひとつは武力弾圧に対する憤懣、もうひとつは五輪直前という時機への期待だ。中国政府には、世界の注目を意識して、事態の収拾とチベット問題の本質的な解決にあたって欲しい。微力ながら、僕も署名に参加した。


 僕はこの署名運動をサン・フランシスコに住む友人からのメールで知る。そのメールは英文だったから拙訳をここで紹介しようかとも思ったけれど、そのサイトはちゃんと日本語ページも用意されていたので、それを手軽に引用することにする。問題は重くとも手段は軽いほうがいい。

胡錦濤中国国家主席への請願書

世界各国の市民からなる、わたしたちは、チベットの抗議行動への対応として自制と人権の尊重を表明し、ダライ・ラマ大師との意味のある対話を開始して全チベット人の懸念を解消することを中国政府に対し、要求します。対話と改革なくして、安定は持続し得ないのです。中国にとって一番望ましい未来と、世界との肯定的な関係は、調和の取れた発展と対話、そして敬意によって得られるのです。

 この請願書のいいところは、武力弾圧への非難という実質を備えながら、それでいて、建設な提言として品格を保っているところだ。このエントリーを書いている時点での署名総数1,385,062件という。もっと集まってもいいんじゃないかと思うけれど、まだ知らない、というケースもあるだろう。「みんな署名をすべきだ」とまでは思わないけれど、こんなのもあるよ、ということで。
 サイトにもあるけれど、署名要請のメール雛型は次のようなものだった。チェーン・メール的な性格を咎める向きもあるだろうけど、市民生活に誤解や混乱を生じさせたり何かを強要する内容ではないし、こういうものは容認されるんじゃないかなぁ。

こんにちは。わたしは、チベットでの人権の尊重とダライ・ラマとの対話を中国政府に求める緊急請願書に署名しました。これはとても重要なことなので、あなたも行動を起こしてくれるものと思っています。

http://www.avaaz.org/jp/tibet_end_the_violence/98.php/?CLICK_TF_TRACK

中国の支配が50 年近く続いているチベットで、チベット人が変革の声を上げ世界中に伝えています。
チベットと近隣地域で暴力が拡大しており、中国政府はより厳しい弾圧か対話かの選択を行おうとしています。胡錦涛国家主席は、対話を選択した場合のみ、『中国産』製品の輸出や、まもなく開催される北京オリンピックに国際的な支持が得られるという声に耳を傾けるべきです。しかし、胡錦濤主席の注意をひきつけるには全世界の民衆の力を集結させる必要があります。下記のリンクをクリックして嘆願書に署名をお願いします-わずか3 日で、このキャンペーンの目標である100 万人のほぼ半分に達しようとしています。

http://www.avaaz.org/jp/tibet_end_the_violence/98.php/?CLICK_TF_TRACK

ご助力ありがとうございます。なお、このメールをご友人に転送していただくようにお願いいたし
ます。

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