The SYNTAX ERROR Blog » 金融 http://www.thesyntaxerror.net MIT Sloan / London Business School MBA留学記 Mon, 22 Nov 2010 02:24:03 +0000 http://wordpress.org/?v=2.8.6 ja hourly 1 鈴木貴博「カーライル―世界最大級プライベート・エクイティ投資会社の日本戦略」 http://www.thesyntaxerror.net/2009/06/21/124923 http://www.thesyntaxerror.net/2009/06/21/124923#comments Sun, 21 Jun 2009 03:49:23 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/?p=875

http://blogs.wsj.com/deals/2009/05/29/carlyle-group-humbler-but-in-many-ways-bigger/

5月29日のウォール・ストリート・ジャーナル紙が「カーライル・グループ: より質素に、しかし多くの点でより巨大に」という記事で伝えるところでは、カーライルの年次報告書によると同社の運用資産額が2007年から2008年にかけて40億ドル増加し、850億ドルに達したという。そこで、ガディッシュ他「プライベートエクイティ 6つの教訓 経営のための知恵袋」に続き、鈴木貴博「カーライル―世界最大級プライベート・エクイティ投資会社の日本戦略」を読んで同社の理由の秘密を学ぶことにする。

カーライルの会長、ルイス・ガースナー(著書に「巨象も踊る」)は「とどのつまり、カーライル・グループは株主です。株主の立場で長期的に企業の価値が高まることを目指します」と言う。また、著者は「米国のように一年で交代する株主には、長期の視点で経営者を統治するインセンティブはない。一方で、長期にわたって株式を保有する日本の機関投資家の場合は、物言わぬ株主であり続けた結果、企業ガバナンスからは遠い存在となっている」と解説する。プライベート・エクイティ(PE)の価値の源泉は、このような企業統治の間隙を埋めることにあるように思える。例えばマネジメント・バイアウト(MBO)について、本書は次のように言う。

株式会社では通常、これ(MBOのこと、引用者注)と逆のメカニズムが働いている。つまり、「株主による経営陣の交代」である。この株式会社としてのあたりまえのメカニズムが、ある経営環境においては経営にとってマイナスになる現象が起きる。そのときに経営者は、株主を後退させたいと考える。そのようなケースが、カーライル・グループの考えるMBOの本質である。

岩瀬大輔氏が先日の講演で「誰からお金を集めるかが」も重要であると言っていた。僕もまた、資本は無色透明ではなく多様な思惑に染まっている以上、どのような色の資本構成にするかもまた、企業に対して経営者が負う責任のようにも見える。もちろん、経営者は第一義的には既存株主に対して責任を負う(MBOには既存株主との観点では情報格差などの課題もある)。その一方で、副次的ではあるもののより長期的な観点では、経営者は永続的な存在としての企業の成長に責任を負い、それによって製品/サービスや雇用の供給の形で社会的な責任を負っているといっても言い過ぎではないだろう。

上記に引用した「ある経営環境において」の例として本書は、東芝セラミックスの事例が挙げられている。同社は上場を維持したまま大規模な設備投資を行っていれば、株価下落を招いた可能性があったという。既存株主の意向に沿って投資を行わなければ長期的な企業価値が損なわれ、また、既存株主の意向を無視して投資を行えばそれは経営陣による背任的行為だ。そこで第3の選択肢として「MBOによる株主の交代」があるという。ちなみに、設備投資について次のような興味深い言及があった。

株式市場についての研究論文によれば、時価発行増資を伴う大規模投資の発表により、上場企業は平均して25%の企業価値を失うというファクトがある。株式市場は投資により得られるはずの長期リターンよりも、増資によって希釈される足元の企業価値に過敏に反応するのである。

個別の事例の中で、カーライルがキトーに出資した際、カーライルのマネージング・ディレクターである山田氏が行った提案が面白かった。同氏はキトーの北米、欧州、中国の現地法人経営者を集めた経営会議(グローバル・コミッティ)の創設を取締役会に提案して実現させているのだけれど、同会議体の発言の順序に一計を案じたという。発言の順序を米国→中国、の順にしたという。

米国人の新しいCEOは、経営計画を語るにあたって必ずグローバルな視点を加える癖のようなものがあった。米国の利益だけではなく、今キトー全体がどこに向かおうとしているのかをまず語り、いかに成長の可能性があるのかグローバルな事業機会を語り、その絵の中でキトーの米国法人がなすべきミッションを語るようになる。次に中国の発言の番だ。当然、対抗意識を持つ。最初に発言したアメリカのCEOがポジティブに事業機会を示した以上、自分もポジティブに語らなければならない。グローバルな絵の中での中国の役割についても意識せざるをえなくなる。

このようなソフト面での経営への関与も、株主が企業統治のために取るべきひとつの手法だろう。ちなみに上記の米国人CEOは、カーライル側がヘッドハンターを通じて雇用したもので、同社はそれに先立って前任者の責任について証拠を集めて提示し、訴訟回避の準備をしたうえで経営陣を交代させているという。企業の成長にとって必要なアクションは建前としては経営陣によって実施されるべきだけれども、それが何らかの理由で完遂されないときは、新たな経営陣あるいは株主の手によって補完される必要がある。PEはこのような事態の安全網として機能しているように見える。本書はこの点について次のように説明している。

メインバンク制と株式持ち合いという歴史的経緯の影響で資本市場が機能しにくかった日本においては、成長の停滞や部分的に非効率を抱える企業が欧米と比して相対的により長く放置されてきた。放置される期間が長引くことで、当該企業の成長機会を実現するリスクはより高まる。こうした企業の成長を実現するためには、より高いリスクを許容することができ、同時により強いガバナンスを発揮できるリスクキャピタルの担い手が必要となってきた。(略)企業へ直接リスクマネーを投下するのではなく、企業へのガバナンス能力を持つプライベート・エクイティという存在に機関投資家はリスクマネーとガバナンスを同時に委嘱することで、この矛盾を解決しようと図っているとも言えるのである。

日本における資本市場の未発達は、経営者市場のそれとリンクしているだろう。リスク・マネーの供給は、当然に企業統治(ガバナンス)を追求し、場合によっては経営権を直接に要求する。この最終段階で実際に経営にあたれなければ、つまり伝家の宝刀が錆びついていては、リスク・マネーと企業統治とが成すべき表裏一体の関係が剥離してしまう。本書の指摘を引用する。

日本の経営陣はまだまだ経営のプロと呼ばれるほどの人は少ない。欧米のように経営を専門に学び、経営者として何社もの企業を経営し、その結果現在の地位にあるといったプロの経営者は、日本にはほとんど存在していない。多くの日本の大企業ではつい数年前まで社員だった人々によって企業がと経営されているのが実態であるがゆえに、多くの企業は彼らプロになったばかりの経営者によってアンダーマネージされている。

伝統的な日本企業であればあるほど、先輩である経営者が後輩である従業員を指導するというヒエラルキーがピラミッドのほぼ全ての階層を構成していて、不特定の株主に対する責任を意識する機会は驚くほど機会が少ないだろう。僕もまた、大学を卒業してすぐに株主側として投資先の事業計画をともに作成したり役員会に陪席したりしたけれど、僕自身が負うべき自分たちの背後の投資家への責任について本当に意識をしたのは、それからもうしばらく経ってからだった。このような状況を鑑みると、カーライル日本代表の安達氏の考えは明快に響く。

投資をした以上、資金の提供者である企業年金や生命保険などの投資家はリターンを得なければならない。投資家は自らリスクを負いながらリスクマネーを提供しているのだから、その資金を集めたファンドのゼネラルパートナーは経営者の行動に直接責任があるのである。「だからもし経営者ができないとなったら、カーライルは自分で腕まくりをして経営するぐらいの覚悟をもった人間でなければならない。」(と安達は語る、引用者注)

本書はカーライルの日本における投資事例を知る情報源として有益だったけれど、それだけに、全体に散見される「カーライルはいい企業だ」という論調や、ともすると「プロジェクトX」ばりの情緒的な描写が耳障りで残念だった。一方、僕はこのあとで、ダン・ブリオディの「戦争で儲ける人たち―ブッシュを支えるカーライル・グループ」という対照的な論調の本を読んだりもした。結局のところこの分野の――つまり、非文学的な――本における論調や描写なんて、その向こう側にある事実の重要性に比べたら、フィルターで濾してしまえる澱に過ぎない。

]]> http://www.thesyntaxerror.net/2009/06/21/124923/feed 0 Finance予習 http://www.thesyntaxerror.net/2009/06/03/234938 http://www.thesyntaxerror.net/2009/06/03/234938#comments Wed, 03 Jun 2009 14:49:38 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/2009/06/03/234938


 ビジネス・スクールの必修科目のうち、苦労しそうなところを予習しておこう、という企画。教科書に関する在校生の意見は二通りで、一方は「時間がかかっても原書のみで読んだ方が身につくし英文を読む速度が早まる」というもので、他方は「和訳も併用した方が時間の有効利用になる」というもの。それぞれに説得力がある。結局、僕は過去の経験から前者に近い立場を取って、まずは原書に挑戦してみることにする。そして、必要に応じて事後的に和書を参照しようという腹積もりだ。ところが、この原書という奴が想像以上に分厚い。先が思いやられるなぁ。


 MITスローン校が必修科目のFinanceで使う教科書は、ロンドン・ビジネス・スクールのリチャード・ブリーリー(Richard A. Brealey)教授とスローン校のスチュワート・マイヤーズ(Stewart C. Myers)教授による「Principles of Corporate Finance」。最新の第9版には、ペンシルバニア大学ウォートン校のフランクリン・アレン(Franklin Allen)教授も執筆陣に加わっていると言う。勤務先の先輩からひとつ前の第8版を借りる。第9版はボストンで読むとして、その時に2つの版の違いが分かるくらい内容を飲み込めたら自分を褒めてやろう、という算段だ。
 ところが、手渡されたこの本の重みで、僕の甘い計画はぺしゃんこに押しつぶされそうになる。アメリカの本は厚い。それはスカスカの紙に印刷されているからであって、決して分量が多いからというわけではない――という通説は霧散した。この本は薄く上質な紙に印刷されていて、1000ページ近くある。推理小説の最後を読んで興味を失うのにも似て、僕は最終ページのページ番号を見て自信を失ってしまう。重版の違い云々という以前に、とても読みきれる気がしない。
 けれども、原書のみを読むべしと勧めてくれたある先輩ですら「最初の1, 2週間は教科書5, 6ページ読むのにも1時間かかった」という。それが、量をこなすうちに「最近は斜め読みが出来るようになって1時間もあれば20~30ページは読める」というから、乗りかけた船だし、これを愚直に信じてやってみよう。
 思えばこれに似たことは経験済みだ。2002年の冬、サン・フランシスコの図書館とドーナツ店で、辞書と首っ引きでマイケル・ポーター(Michael E. Porter)の「Competitive Strategy」と「Competitive Advantage」を読んだ。はじめて読む洋書に、なぜこんな本を選んでしまったのかと自分を恨みながら。あの時に比べれば、多少は読解力もついたのではないか。否、読解力は上がっているべきだ、という前提で行こう。結局のところ、僕はあれから7年後に立っているべきところに自らを押しやるしかないのだ――現在地がそこに至っていなかったとしても。
 ミクロ経済学も読んでおこうと思ったけれど、1時間10ページ読んだとして「Principles of Corporate Finance」を読み終わるのに100時間。うーん。ともあれ、まずは目の前の敵からやっつけてしまおう。

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ガディッシュ他「プライベートエクイティ 6つの教訓 経営のための知恵袋」 http://www.thesyntaxerror.net/2009/06/03/092425 http://www.thesyntaxerror.net/2009/06/03/092425#comments Wed, 03 Jun 2009 00:24:25 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/2009/06/03/092425


 本書はプライヴェート・エクイティ(PE)事業の詳説というよりは、副題の通りPE側から事業会社側に対する助言、という内容だった。前書きは「本書をその一助とされながら、正しい時期によいパートナーを選択され、名実ともに業界内でのグローバルリーダーシップをお取りになる日本企業が、たくさん出てこられることを、祈念してやまない。」と訳者であるPE幹部が宣伝調で結んでいる。時折見えるこのような論調がポジション・トークの疑いを無用に招くのが残念だったけれど、それを差し引いても、PEの競争力の泉源を示唆する良書だった。


 著者は「結局のところ、フルポテンシャルを追求するための現実的で実施可能なタイムフレームは、ほとんどの場合、3~5年ということになる。つまり、それがPE投資家の標準的なタイムフレームなのだ。」という。僕は3~5年の時間軸が絶対的に意味があるとまでは思わない。それは「フルポテンシャル」というゴールの高さ自体が時間軸によって伸縮するだろうからだ。3~5年という時間軸は、しかし、それでも相対的な意味があるだろう。それは、四半期決算に一喜一憂する短期保有の投資家にも、企業統治が弛緩しがちな長期保有の系列会社にもない、新しい時間軸だろうからだ。その傍証として次のような記述がある。

いまや企業総価値が1億ドルを超える資産のほぼすべての売却は、意欲的な投資銀行によって競売にかけられているのが現実だ。さらに、1980年代にはプライベートエクイティのリターンが非常に高かったことから、雨後のたけのこのように新しいファンドが設立され、競争も激化している。今日では、資産を潜在的価値より割り引いた金額を買うことはほとんど不可能だ。

 競争を通じて市場の値付けが機能しているからこそ、裁定取引の余地は小さい。この状況下で重要度を増すは、より根源的な企業価値の向上になる。そこで威力を発揮するのがPE投資家の行動力だ。「最初のイニシアチブを100日以内に着手することを目指して、ブループリント・プロセス作成作業に2~6ヵ月ほどの期間をあてるように計画する」という。企業価値向上のための数か月単位のプロジェクトはコンサルティング会社も実施するけれども、PE投資家は自己資金を投じており、主として機関投資家から集めたその資金には期待収益という重荷が課せられている。企業価値向上を早期に仕上げる動機はPE投資家の方が高いだろう。そのためにPEが採用する指標も徹底している。

「顧客1人当たり利益」を測定するのは事後を振り返ることでしかない。それに対して、「先月獲得した、高い価値を持つ顧客の数」の測定は、将来の重要な行動指針を明らかにする。同様に、「売り上げ減少」の測定は確かに問題の指摘にはなるが、何人の顧客が解約したかという顧客チャーン(離反率)の測定は、マネジメントがどういう奨励策を打つべきかの指針を与えてくれる。

 外部の投資家が、投資先事業の「決算報告で明らかになる前にモニターできるような指標」が何であるかを見極めるのは容易ではない。そこで興味深いのはTPGキャピタル共同創業者のジェームス・カルター氏の(James Coulter)次のような発言だ――「私たちは、たちではなくらの価指標を使う。コーポレートセンターが先入観で押しつける経営指標ではなく、ここの事業部門にとって意味のあるパフォーマンス指標を使うべきだ」。それは例えば、下記のような事例に象徴される。

たとえば、投資先の1つがワイン醸造会社だったあるPEファームは、指標に総資産利益率や経済的付加価値(EV)ではなく、キャッシュフローとそのキャッシュの回転サイクルを使った。なぜなら、ワイン醸造業は固定資産が非常に重要な意味を持つ特異な事業だからである。収益から減価償却費を引く評価指標を使うことは、長期的に企業価値を高めることになるブドウ園とワインセラーを持ち続けるワイン醸造会社には、短期的には実態以上に会社の価値を過小評価させることになるからだ。

 このような実直さは投資先の功労者への報酬についても明言されている。「重要なイニシアチブで抜群の功績をあげた幹部に、(かなりの金額の)ボーナスを支給することには何の問題もない。」と著者は断言し、投資先の経営陣への経済的誘因の与え方について次のように説明する。

たとえば、マネジメントチームは当初その企業の全株式の5~10%を保有し、さらにあと20%を手にすることも可能な形だ。つまり、投資期間(3~5年が多い)の最後には、その企業の価値の4分の1が彼らのものになるというタイプのインセンティブだ。これはかなりの金額になる。給与とボーナスを足した額よりもはるかに大きい。それぞれの企業の事情にもよるが、このシステムに数十人が関与するとしたら、全体のパフォーマンスには相当な影響を与えるだろう。

 著者は優秀な人材を引き付けるための要素として、「会社の使命」、「地理的場所」、「出張の有無」、「魅力的な幹部」、そして「刺激的な上司」を挙げている。けれども、その最前列で述べられるのは「人材に対する金銭的オファーは、少なくとも彼らが負うリスクに見合ったものであるべきだ」との哲学だ。そして、次のように続ける。

古くさい給与等級や、時代遅れの階級システムの考え方に縛られてはいけない。ほかの企業が有能な人材にどのような報酬を提供しているかを調査し、そのデータに基づいて、他社と比べて見劣りのしない給与を保証すべきだ。

 ここで語られる経済原理は――その冷たい語感とは裏腹に――、たとえば獲得した顧客の数であったり、人材への報酬であったり、ひたすら実態に根差している。棚卸資産管理や受取・支払勘定管理を通じた現金創出能力向上のくだりなどは、商店街の青果店のそれと全く変わらない基本を説いているに過ぎない。けれど、この愚直さはどこか青臭い危うさを孕みつつ、しかし、若さに満ちていて魅力的だ。ここにPEの熱源があるのではないだろうか。

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