The SYNTAX ERROR Blog » 旅する http://www.thesyntaxerror.net MIT Sloan / London Business School MBA留学記 Mon, 22 Nov 2010 02:24:03 +0000 http://wordpress.org/?v=2.8.6 ja hourly 1 浮沈のオーヴァーブッキング - 浮 http://www.thesyntaxerror.net/2009/08/08/123449 http://www.thesyntaxerror.net/2009/08/08/123449#comments Sat, 08 Aug 2009 17:34:49 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/?p=991

渋谷のセルリアン・ホテルまでタクシーで行って、そこからバスで成田へ。空港のカウンターでチェックインしたら、「座席の調整」でビジネス・クラスにアップグレード。これはラッキーだなぁ、なんて思ったもののこれは機上の楼閣で、ボストンの新居の寝床はソファにダウングレード。「僕の部屋にまだ前の住人が住んでる」なんていうオーヴァーブッキング、ありえないっていうか笑えるよなぁ。

水曜日の朝、「しばらく東京ともお別れだなぁ」なんて感傷で、特に思い入れのあるわけでもないセルリアンのロビーの写真なんか撮ってみたりして。ゴルフのバッグも持って行こうと思っていたのだけれど、ワゴンのタクシーは予約制ということで断念。既に、大きなスーツケースとキャリーオン・バッグにバックパックという大荷物だしね。セルリアンで妻に見送られて出征。成田へバスで行くのは初めてだけど、駅みたいに高低差がないから非常に楽。成田エクスプレスは渋谷駅構内の遠さも東京駅構内の深さも半端じゃないし、京成の日暮里駅構内は狭くて上野駅はJRから遠い。

空港でチェックインすると、ニュー・ヨーク行きは「お座席の調整」ということでプレミアム・エコノミーからビジネス・クラスへアップグレード。8月だし旅行客が多いのかなぁ。ラウンジのカレーは11時からしか食べられないので、辛子明太子と昆布の佃煮、そして梅干に白飯、という涙が出るほど日本な朝飯をとる。僕はいわば「日本納め」という気分になっていたから、機内でも和食と和定食。読む新聞もスポーツ紙なら、映画も「GOEMON」、「デスノート」、そして「デスノート the Last name」と日本づくし。しばらく出張に行っていない間に、僕がJAL名物だと勝手に思っていた納豆スナックととんこつラーメンは提供終了でした。

たしかアラスカあたりで見たのが、この朝焼け。飛行機に乗ると毎回感じるひとつの事実は、「雲の上は常に晴れている」ということ。僕の気分は自覚する以上に天気に左右されてしまうので、外が曇天だとつい、全世界が陰ったような気分になってしまう。けれど、どんなに厚く黒い雲の上にも、そこには必ず宇宙まで続く無限の晴天がある。要は、その雲を物理的あるいは心理的に突き抜ける力を持つか否かだ。高度1万メートルを時速1,000km近くで飛ぶ旅客機に教えられること。

東海岸に差し掛かる手前で「右手にナイアガラの滝が見えます」という機長のアナウンスがあって、左舷の窓側で「モンスター対エイリアン」を観ていた映画漬けの僕はカメラを持って反対側の非常口へ行く。先客は意外にも乗務員で、彼女は「探してみましたが見つかりませんでした」と言う。恐らく機長はナイアガラの滝が五大湖のどの辺りにあるのかを知っていて、だからこそ彼にはそれが見えたのだろう。僕は今になって地図と写真を見比べて、ようやく、「あの辺かなぁ」と分かった気分になるのがやっとだった。

その埋め合わせ、ということではないけれど、多少は知っているマンハッタンを席から見た時は、ナイアガラがあるしい景を見るよりはもっと遊べた。「あれがセントラル・パークだ」、というのは別になんら発見ということでもなくて単なる確認なのだけれど、この確認には発見にも似た興奮と遣り甲斐を感じる。これは東京で高い建物から外を眺める時もそうだけれど、知らない建物を見るよりも知っている建物を見つける方が楽しいのは何故なのだろう。ずっと行きたいと思っていた未だ見ぬナイアガラの滝を探すことよりも、何度も止まったタイムズ・スクウェアのホテルを探すことに、どういう訳だか数段熱心になってしまう。

ニュー・ヨークからボストンへはアムトラックで行こうと思っていたのだけれど、成田のラウンジで調べたら片道で100ドル近くした。冬に行った時はたしか60数ドルだったので、これは考えどころだ。オービッツで調べたらデルタのシャトル便が105ドル弱で飛んでいた。これなら、手荷物の追加手数料を考えても、JFKからマンハッタンまで荷物を持って行って、時間がかかる上に時間にルーズなアムトラックに乗るよりもよさそうだ。そこで結局、空路にする。成田で搭乗の案内が始まってから乗継便を手配する、というのも随分、行き当たりばったりな話だけれど。

ちなみに、デルタの国内線の受託手荷物の制限は50ポンドまでで、僕の荷物のひとつは70ポンド近くあった。追加料金を聞いたらなんと90ドルだというので――これじゃあ運賃が倍になるようなもんだ――、カウンターの脇でバックパックに荷物を詰め替える。量り直したらちょうど50ポンドで、カウンターのお姉さんにも「やるわね」なんて言われ、僕の隠された目分量スキルに我ながら驚く。仕事が見つからなければ総菜屋か肉屋でアルバイトでもしよう。

デルタのラウンジでプレッツェルにヌッテラのクリームを塗りたくって、それを朝食にする。僕はスキッピーのピーナッツ・クリームだとかこの種のクリームが、スプーンですくってそのまま食べるほど好きだ。だから、この極めてジャンキーな朝食も、それでいて、実はそこそこ嬉しくもある。白飯と梅干の食事と別れを惜しんだ、まさに舌の根も乾かぬうちに、という変わり身が自分でも申し訳ない。そうそう、2009年9月からプライオリティ・パスではデルタとノースウェストのラウンジに入れなくなるらしい。アメリカ国内の個人旅行で重宝していたけど、これは残念なお知らせだなぁ。

ともかく、ボストンまではそれなりに快適な空の旅を送る。

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岩盤浴とテニス - 伊豆高原旅行 http://www.thesyntaxerror.net/2009/07/22/153653 http://www.thesyntaxerror.net/2009/07/22/153653#comments Wed, 22 Jul 2009 06:36:53 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/?p=979

クジ運に恵まれたことなんてほとんどないのだけれど、妻が友達の結婚パーティのビンゴで見事、伊豆高原の宿泊券を射止める。グッド・ジョブ! ホテルはアンダ・リゾート伊豆高原というカラオケのパセラの系列。カラオケの系列かぁ、なんて始めはタカを括っていたのだけれど、ところが想像以上の楽しさ。お見それしました。インテリアも凝っていれば料理も旨かったし、スパも充実。そしてなにより、ビリヤードやマンガ図書館という等身大の娯楽が、他にはない居心地の良さを与えてくれた。岩盤浴で皮脂腺から汗を流して、帰り際に、テニスで汗腺から汗を流す。この順番は逆の方がよかったかも知れないけどね。

平日の官庁街へサーフボードを乗せた場違いな車で妻を迎えに行って、東名高速・小田原厚木道路を経て伊豆高原へ。妻もサーフィンをやりたいというので一旦家に寄ってサーフボードやウェット・スーツををもう1枚積んだりして6時過ぎに都内を出たら、ホテル到着は9時過ぎになってしまう。それでも、チェックインしたフロントでは花火のセットや冷えたラムネの瓶を渡され、10時にオープンしたバーでは、白いテーブル・クロスの上でフル・コースの夕食を出され、遅い到着を悔やませない応対。テーブルで撮ってくれた写真は有料かなぁと思ったらチェックアウトの時に無料でくれたりして、得した気分にさせられる(ビンゴの景品だからもともとタダだけど)。

到着当夜は大浴場や貸し切りの露天風呂で温泉を堪能して、ビリヤードで遊ぶ。なぜか寝つけなかった僕は、図書館で「サラリーマン金太郎」なんかを借り、ビールを飲みながらマンガを読んで夜明けを迎える。部屋の冷蔵庫にあるビールやお茶は無料で、僕の商魂が無駄に残念がるのだけれど(笑)、それも束の間。翌朝は、実は僕は生れてはじめての岩盤浴で汗を絞り出す。なんでみんな岩盤浴岩盤浴と騒ぎ立てるのだろうかと思っていたけれど、百聞は一見に如かずというか、やってみたら納得。サウナよりも体の奥底から老廃物が滲み出てくる感じだった。この日は生憎の雨だったので海に行くのはやめ、チェックアウトしてもなお、ロビーのプール・テーブルで飽きずにビリヤードを楽しむ。

雨プランとして、車には密かにテニス用具を忍ばせて来ていたので、カーナビで近くの屋内テニス・コートを探す。伊豆高原ロブィングという施設、電話で予約して行ってみたら松岡修造のサインが飾ってあったりして何だか本格的。フロントから車で数分の屋内コートはよく整備されたカーペット敷きで、屋内コートの宿命として蒸し暑いのを除けば申し分ない状態。ただ、この屋内コートの更衣室にシャワーがないのは、宿泊じゃない僕らにとっては不親切だったけれど。ともあれ、ここで1時間しっかりラリーをして、岩盤浴に続いてまた、汗をかく。箱根あたりの日帰り温泉に寄ろうかなんて言いながらそのまま車で、おおまかに東京を目指す。

結局、日帰り温泉には寄らなかったけれど(ということは汗をかいたままだ)、代わりに仔犬探しの参考のためにペット店めぐり。伊豆高原、湯河原、真鶴の山奥、小田原、鴨宮、秦野という具合に、カーナビや看板や記憶を頼りに行き当たりばったりで店を探す。チェーンのペット・ショップもあれば個人のブリーダーもあって、犬種や個々の仔犬について聞き込み捜査(笑)を重ねる。犬舎の臭いペット店は衛生状態が良くないとある本に書いてあったけれど、当の犬にしたら僕らの方がよほど汗臭くて気の毒だったかも知れない。

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http://www.thesyntaxerror.net/2009/07/22/153653/feed 0
学生ヴィザの取得 http://www.thesyntaxerror.net/2009/06/27/112037 http://www.thesyntaxerror.net/2009/06/27/112037#comments Sat, 27 Jun 2009 02:20:37 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/?p=910

留学のための学生(F-1)ヴィザが届いた。申請書類を揃えるのをTさんが手伝ってくれたので無事に取得できたけれど、レターの文例などは共有した方が他の誰かの役に立つのではないかと思うので残しておこう。

必要書類

F-1ヴィザの申請に必要な書類は次の通り。

  • パスポート / パスポート紛失釈明文
  • I-20
  • DS156
  • DS157 (16~45才の男性のみ)
  • DS158
  • カラー写真 1枚
  • 英文卒業証明書 1通
  • 英文預金残高証明書 1通
  • 自己推薦保証状
  • I-901 SEVIS費確認書
  • 面接予約確認書
  • ヴィザ申請料金の払い込み領収書
  • 返信用封筒Expack500
  • クリアファイル

パスポート

現在有効なパスポートおよび過去10年間に発行された古いパスポート。 渡米の際は、通常、米国での滞在期間+6ヶ月有効なパスポートを所持していなければなりません。 この6ヶ月ルールが免除される国があります。 それらの国のリストはこちらをご覧ください。 パスポートはIDページ(顔写真付)が見えるよう開いてクリアファイルに入れてください。

僕の場合は2003年にパスポートを失くしてしまい、それまでの海外渡航歴がなんとなくしか分からない。そこで、失くしちゃいまいした、という説明書――というか始末書みたいなバツの悪いレター――を書く。使い回されている雛型があるようで日付だけ変える。ちなみに、そのパスポートは僕がアメリカから帰る飛行機の中で紛失。降機時に気づいて係員に説明し、クルー総出で探してもらったのに見つからず。結局、運転免許証で再入国、という稀有な体験をする。さて、今回提出した釈明文はこんな感じ。

June 23, 2009

Embassy of the United States of America
Consular Section
Tokyo, Japan

Re: Application of E-1 derivative visa

Dear Madam/Sir;

I, the undersigned hereby declare that since I have discarded the latest old passport in January, 2003 when I received the current valid passport, I am not able to submit the latest old passport at this point of time.

Very Truly Yours,

I-20

学校から送られてくるので、それに署名。実は署名欄があるなんて知らなくて、僕はこの書類に署名をしていなかったので、大使館の入口の書類確認で指摘される。中身も読まずに署名する。大抵の手続き同様、ヴィザ申請の過程もすべて「仰せの通りに」という感じだ。肚の中で安らかに眠る僕の反骨精神を悼む。

DS156

アメリカへの渡航歴が記入欄に書き切れなかったので、下記のような表をエクセルで作って添付。

Record of US Entries

Applicant: xxxx xxxx

US Arrival Date | US Departure Date | Length of Stay (Days)
28 Feb., 2009 |  8 Mar., 2009 | 9
27 Jan., 2009 | 30 Jan., 200 | 4

DS157

こちらも海外への渡航歴が書き切れなかったので、どうやら使い回されているらしいエクセルの表に記入。なぜか日本語だけど、気にしない。そもそも日付の表記だとか言い回しとかマチマチで気にならなくもないけれど、「壊れていないものは直さない」の鉄則で、気にしない。

Applicant: Shinta Yoshida

#9 過去10年間に渡航した全ての国(渡航歴も記載)

Countries | When?
U.S.A.  | 2001, 2002, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008, 2009
France | 2001, 2006, 2007, 2008

DS158

これは空欄を埋めるだけで済んだ。やれやれ。

カラー写真

僕はこいつのことをすっかり忘れていて、面接当日、溜池山王の駅の構内で撮る。普段は、証明写真機なんて需要に対して供給過剰だと思っていたけれど、僕はこれに救われる。溜池山王にあるはずだ、という野生の勘――というか神頼み――が報われてよかった。ちなみに米国大使館の敷地内にも証明写真機はあったけれど、ATMはないので現金がないと撮れない。大使館に入るためにせっかく長い列をならんだのに、写真と小銭がないために戻される人もいたので念のため。

5cm x 5cm。背景は白で、最近6ヶ月以内に撮影されたカラー写真1枚(白黒不可)。頭部(頭上から顎の下まで)は25mm〜35mm で、顔を写真の中央に置き正面に向けて撮影しているものをDS-156の所定の場所に糊またはテープで貼付してください。ホチキスで止めないでください。

英文卒業証明書

母校に行って発行してもらう。

英文預金残高証明書

学生ローンを借りようと思っているので、残高証明書の代わりにMITの学生資金課(Student Financial Services)が送ってきた財務援助(Financial Aid)のレターを添付してみる。財務援助といっても、MIT連邦信用組合(Federal Credit Union)からの借り入れを確保してくれるだけで、全然得した気がしないんだよね。

自己推薦保証状

雛型を元に、「お金は自分でなんとかします。アメリカの法律を守ります。」という趣旨の保証状を書く。こういうものが必要ということは言いかえれば、お金がなくても流れついて住み着いてしまう(果ては犯罪に手を染めてでも)ほど、アメリカという土地に求心力があるということだ。面接では僕も「卒業したら日本で仕事をするのか?」、「はい、もちろん! 家族が東京にいますから」。「仕事探しは不安じゃない?」、「いいえ、まったく!」というやりとりをした。今年はハーヴァード・ビジネス・スクールの学生すら2割が就職先未定のまま卒業するというから、「いいえ、まったく!」には誇張がある。けれども、「元気?」と訊かれたら「元気元気!」と答えておくことにする。雛型をいじって提出した保証状は下記の通り。

June 23, 2009

Embassy of the United States of America
Consular Section,
Tokyo, Japan

Dear Madam/Sir;

This letter is to certify that I have been employed by xxxxx since April 2003 and that I am admitted to Massachusetts Institute of Technology Sloan School of Management as a full-time graduate student in a Master of Business Administration (MBA) program. The MBA program will commence on August 12, 2009 and it will end on June 5, 2011.

I will leave Japan for the United States after the F-1 is granted by your section.  I hereby confirm that I myself will fund all the travelling expenses including the tuition and living expenses and that I will observe all laws and regulations in effect while I am in the United States.

On the basis of foregoing, I am respectfully requesting the F-1 visa be granted at your earliest convenience.

Sincerely,

I-901 SEVIS費確認書

移民税関捜査局のウェブサイト https://www.fmjfee.com/i901fee/ で必要事項を記入してクレジット・カードで200ドルを支払う。確認書というのは支払い直後に表示される領収の画面を印刷したものでいいので、追加料金を払ってDHLで領収書を送ってもらう必要はないとのこと。

その他

面接の予約やヴィザ申請料金の払い込みは、Tさんが好意でやってくれた。レターの雛型をくれたり、何から何までTさんにお世話になった。感謝!

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http://www.thesyntaxerror.net/2009/06/27/112037/feed 3
愛宕山トレック http://www.thesyntaxerror.net/2009/05/02/212747 http://www.thesyntaxerror.net/2009/05/02/212747#comments Sat, 02 May 2009 12:27:47 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/2009/05/02/212747


 4月18日、筑波山のときと同様に、アトリエ「一、館」に一泊して翌日にトレッキングをする。今回は旧友Tを連れて3人で行ったので、アトリエでの夜も賑やかだった。土木作業のあとは庭でBBQをしてワインを飲んで、屋内ではウクレレやらサックスやらヴァイオリンやらを銘々に弾き、そして朝まで焼酎片手に語り明かす。翌日は気ままなドライヴの末に愛宕山に登り、ひと風呂浴びて帰京。これは週末の過ごし方としては理想形のひとつだ。


 昼に都内を出て中野でTを乗せ、常磐道でアトリエを目指す。車内では中央官庁と民間企業との組織力学の違いや日本の公害対策行政なんていう、ともするとおカタい話題を冗談交じりに議論して、気づけば茨城。
 3月末に日曜大工でアトリエの土留めを造ったのだけれど、まだ長さが足りない。そこで、到着早々にまたDIY店に行って杭を買って土留めの延伸工事をする。二回目ということでちょっと気が緩んだのか杭の一本がかなり曲がってしまい、さらに、別の杭は打ちどころが悪かったのか地面に刺さったまま見事に割れてしまい、それぞれに悔いが残る。いまでは、この土留めにはツタを這わせて何とか素人仕事を誤魔化せないかと思案している。
 ともあれ労働のあとは楽しみが待っていて、まずは庭でBBQ。団扇で懸命に火を起こして、肉やら野菜やらを突きながらビールとワインで喉を潤す。日が暮れかけたあたりで室内に入って、こんどは余興。僕はサックスを手に楽譜集をめくって、吹けそうな曲を片端から吹く。妻はウクレレを弾いて、Tは僕が貸したヴァイオリンで即興曲を演る。それにも飽きたあたりで二次会が始まって、こんどは焼酎とウィスキー。Tと語り合っているうちに妻は早々に寝てしまい、気づけば夜明け。
 午前中はアトリエを整理。未使用の画材を二階の寝室に運んで、空いた棚に額装された作品を並べる。これだけで随分とさっぱりした。さっぱりしたところで、出発。特にあてはないけれど山登りをしよう、ということで近くの書店でガイドブックをパラパラめくり、難台山に狙いを定める。ところが岩間駅周辺には難台山ではなく愛宕山の案内ばかりなので、そういうものか、という好い加減さで愛宕山に登ることに。



 ところが、山の中腹にある駐車場に車を停めて歩き始めると、登山靴を履いたのが恨めしいほど呆気なく山頂へ。山頂の神社を参拝するのだけど、圧倒的に物足りない。そこで山頂をぐるりと歩いて別の道を見つけ、ただトレッキングを続けたいという気持ちで、地図もないままそちらに歩く。そんな折、僕の足下をスルスルと這う蛇を見つけ、仰天して奇声とともに後ずさってしまったのは妻の手前バツが悪い。逆の立場なら「蛇くらいで慌ててしょうがないなぁ」なんて平然と言うことも出来ただろうに。ともあれ、その道は意外にも難台山へと続くものだった。



 愛宕山を、上ってきた方向とほぼ反対側から降りると、天狗の森公園という広場に出た。そこにはさまざまな種類の桜の花が咲いていて、長いローラー滑り台なんかがあって牧歌的な雰囲気に包まれている。そして何よりも僕を喜ばせたのは、その公園から難台山に続く登山道が出ていたことだ。ともかく歩きたかった僕は、行けるところまで行って引き返す、という作戦で歩き始めることにする。



 登山道はよく整備されていて歩きやすかった。公園を出て間もなく木の橋があって、それは巴川という川の源流らしかった。その橋の木の欄干の上には苔が蒸して植物の小さな芽が生えていた。天然の盆栽といった風だったので接写。さらに歩き続けると、展望台が見えてくる。この小高い丘に建てられた道案内がちょっと墓標のようだったので、なんとなくシャッターを切る。

 展望台から周囲を眺め、弁当代わりに昨日のBBQの残りなんかをつまんで、先を急ぐ。急ぐといっても目標があるわけではないけれど。難台山へ続く尾根道は土の路面で幅が広く歩きやすいものだったけれど、まるでサン・フランシスコの道路のように波打っていた。上りは路傍のロープを伝わなければ上れないような、下りは意図せずとも駆け降りてしまうような、そんな勾配ばかりだった。
 それでも何とか「団子石」という地点まで歩いて、折り返し地点としてはちょっと中途半端ではあったけれど、日が暮れる前に車に戻ろう、とうことで踵を返す。結果として、愛宕山には登ったものの、難台山は志半ばで登頂出来なかった。難台山登頂は、次回以降の宿題ということに。この登山道は愛宕山から難台山まで縦走できるようになっているようなので、今度はそれに挑戦したい。だって、行って戻る、ってのは達成感という意味ではちょっと寂しいものもある。なにしろ、ようやく辿り着いたゴールが、なんのことはないスタート地点なんだから。
 ともあれ、一時はどうなることかと思ったトレッキングも、それなりに時間をかけて無事に堪能。帰りに小美玉市の四季健康館で汗を流す。そして帰りは妻が運転してくれたので、それに甘えて後部座席で旧友Tと缶ビールで打ち上げ。妻も参加したかろうにと思うけれど、ついつい旧友の誘いに乗って――というのは正確ではなく、僕からTを誘って飲んでしまう。太宰の「桜桃」が脳裏をよぎるけれど、この缶ビールを「極めてまずそうに」は飲めない。トレッキングと風呂のあとに常磐道を並走する車を眺めながら飲むビールの、気まずいほどの旨さといったら。

 私の家では、子供たちに、ぜいたくなものを食べさせない。子供たちは、桜桃など、見た事も無いかもしれない。食べさせたら、よろこぶだろう。父が持って帰ったら、よろこぶだろう。蔓(つる)を糸でつないで、首にかけると、桜桃は、珊瑚(さんご)の首飾りのように見えるだろう。
 しかし、父は、大皿に盛られた桜桃を、極めてまずそうに食べては種を吐(は)き、食べては種を吐き、食べては種を吐き、そうして心の中で虚勢みたいに呟く言葉は、子供よりも親が大事。
<太宰治「桜桃」>

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筑波山トレック http://www.thesyntaxerror.net/2009/05/02/195416 http://www.thesyntaxerror.net/2009/05/02/195416#comments Sat, 02 May 2009 10:54:16 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/2009/05/02/195416


 4月4日の夜にアトリエ「一、館」に行き、そこで一泊して翌日は筑波山をトレッキングした。このところアトリエでは何かと作業ばかりしていたから、今回はあくまでも別宅としてゆっくり過ごすことにする。ガスを止めているせいで風呂には入れないけれど、キャンプ用のバーナーで湯を沸かしながら妻と焼酎のお湯割りを飲る。最近僕はこの手の野趣にかなり傾倒しているのだけれど、筑波山の峰でお湯を沸かしてカップラーメンを食べ、ついに小さな悲願を達成する。



 常磐道を降りてから筑波山を目指す道は広い平野を横切っていて、それはアメリカの――たとえばヨセミテを目指す――それのようだ。僕は生まれも育ちも神奈川で、特に十代の頃に住んだ秦野は丹沢の麓の街だったから、茨城の広大な土地はいつも新鮮でならない。
 
 
 つづら折りの坂道を登って駐車場に車を停めて、数件の温泉宿と何軒もの土産屋が並ぶ通りを歩く。何しろ僕らは前夜風呂に入っていないから、日帰り湯のクーポンなんかをしっかり集めておく。そして、筑波山神社へ。境内からは、上品な山桜を近景にして4月の澄んだ空がよく見えた。


 当時、MIT Sloanからの合格通知待ちだった僕は絵馬に同校合格祈念を託して、いざ登山開始。合否の心配は晴れない雲のように垂れこめていたけれど、足を動かして山を歩いているとそういう憂慮を忘れられるのがいい。


 登山口にほど近い境内には「となりのトトロ」に出てきそうな大木があったりして、大山もそうであったけれど、あらためて山と信仰の関係を思う。事前に見たつくば市観光協会のウェブサイトを思い出しながら、僕たちは、筑波山神社→つつじヶ丘→女体山→男体山→ケーブルカーで下山、というコースをとることにした。


 筑波山神社からつつじヶ丘に向かう道は杉林のなかの緩斜面で、山道もさることながら杉林の手入れが入念で、いつか聞いた「人手をかけないと山が廃れる」という話を思い出す。人手など入らない方がよほど山は然ろうと思ったけれど、人間が手を加えることによって生まれる調和もまた、あるのだろう。その一方で、立ち枯れた大木につる性の植物が巻きついた前衛的な風景もあったりして、小規模ながらも気まぐれで猛々しい自然の姿もまた目を楽しませてくれた。



 山道を抜けて着いたつつじヶ丘には大きな駐車場や売店があった。自動車で来られるからといってトレッキングの価値が減るわけではないけれど、ちょっと残念な気がするのはなぜだろう。そんなことを考えていたら、突然、パラグライダーが一機、駐車場に降り立った。不時着なのか狙ったものかは分からないけれど、アスファルトに着地してそそくさと生地をまとめる様子が珍しかった。
 一番珍妙なのは巨大なガマガエルを据えた小さな遊園地で、わざわざ壁を黄色に塗る悪趣味も、それでいてなんだか独特の旅情を醸していた。写真を見ても「ガマ洞窟」、「小鳥園」、「ダチョウ王国」、「SLのりば」、「ゲームコーナー」とまるで取りとめがない。「イノシシ」の文字まで見える。敢えて行こうとは思わないけれど、地方独特のこの奔放な商業施設にはなんだか憎めないものがある。
 この駐車場からが実は意外にも大変で、女体山までは岩がゴロゴロする道を息を切らしながら登ることになった。駐車場から僕たち同様かそれ以上の軽い気持ちで来た親子連れは、「もう無理!」という子どもを励ましながら親も親で予想外の難路に閉口していた風だった。そんな岩にもしっかり根を張った木があったりして、植物が過酷な環境にいかに辛抱強く対応しているか驚かされる。

 その先には「母の胎内くぐり」と題された岩があって、巨岩と巨岩の間の狭い穴を抜けろということらしい。妻から以前、熊野古道で同様の岩を通った話を聞いたけれど、こういう母体信仰には何か元ネタがあるのだろうか。それとも、人間というのはそもそも穴を見れば直観的にこう連想するのだろうか。僕も生まれ変わろうと思ったけれど、その穴は垂直に登るような格好だったので途中で断念して横から出てきてしまう。そして、ついに女体山山頂へ。


 女体山から男体山へと続く尾根道の傾斜は緩くて、途中にはカタクリの花が咲いていた。さて、僕は前週末に大山の山頂でコッヘルを使ってうどんを茹でている一団を見て羨望を感じていたのだけれど、ついにその雪辱を晴らすことになる。売店で水を分けてもらって、持参したバーナーで湯を沸かし、カップ麺をつくる。お湯を沸かしただけだけれど、アウトドア感満点で満悦至極。



 尾根は風が強くて思いのほか寒かったので、カップ麺で暖を取ってすぐに男体山を目指す。お湯が沸くまでに奪われた体温とカップ麺が与えた温かさのどっちが大きいかは正直、微妙なところだけれど、「コッヘルで湯を沸かして暖をとる」という響きが何ともいい。妻は同意しないかもしれないけれど、このあたりの価値考量はジェンダー・ギャップが最も大きい分野のひとつだろうから仕方ない。


 頂上から眺める麓の風景もそうだけれど、男体山から望む女体山には達成感を覚えたし、男体山山頂の真上に広がる空は今までよりも青く見えた。トレッキングは自分の足で進んで風景を変えるという、文字通り地に足の着いた充実をもたらしてくれる。
 そして、その後の温泉がまた、いい。僕たちはケーブル・カーで筑波山温泉街まで戻って、青木屋という温泉宿の露天風呂で汗を流す。屋上の風呂からは関東平野が一望できて、何を焼いているのか麓の畑のそこここから煙が上がっていて、海岸沿いにはコンビナートなのか工場が並び、その先の水平線には貨物船が浮かんでいる。
 筑波山が手つかずの自然というよりは信仰と営林という生活の山であるように、そこから見える風景にも人間の営みがあった。それらの営為は人間性の輪郭であって、ゆえに美しいと思う。足を動かしたからこそ特に思うのであろうこういう感想は、眺望や温泉をも上回るご褒美かも知れない。

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瞑想のアナーキズム - 青龍寺 http://www.thesyntaxerror.net/2009/05/02/181353 http://www.thesyntaxerror.net/2009/05/02/181353#comments Sat, 02 May 2009 09:13:53 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/2009/05/02/181353


 4月29日、中学校の同級生たちと御殿場の青龍寺を訪ねる。僕たちが前にこの寺を訪ねたはたしか中学3年生の春だから、それから15年経って倍の年齢になっての再訪となる。中山和尚と昼食をご一緒して、寺の本堂と縁側でそれぞれ30分の座禅をする。そして、お茶を飲みながらの哲学談義。新緑の晴天の下、静かな禅寺での思索は最高の知的散策を与えてくれた。考えるってのは、それ自体がアナーキーな魅力を放っているように思える。



 事故で渋滞した東名をなんとかやり過ごし、御殿場インターからほど近い青龍寺へ。正門は閉ざされていたので、車を降りて通用口――といっても石畳が敷かれた立派なものだけれど――から境内に入る。途中の池には蓮の葉がびっしりと広がっていて、小さな蛙たちがケロケロと鳴いていた。

 本堂と正門を結ぶ通路の半ばにある鐘楼は木漏れ日の中に凛として建っていて、周囲の空気に心地よい緊張を与えている。以前この鐘楼に登らせてもらって記念写真を――しかも戦隊モノのポーズなんかで――撮ったりしたのが懐かしく思い出されて、もう戻れないその無邪気さに老けた感傷を感じたりもする。いや、僕たちは実際に老けたのだ、と思う。
 
 建物の中には、社寺特有の簡素さと清潔さがあって、それだけで襟を正される思いがする。さらに釘を刺すように玄関には「照顧脚下」の文字がある。靴の脱ぎ方と食事の仕方で人間の品格は大抵バレてしまうだろうに、そんな「足元」はともすると忘れてしまいがちだ(だからバレるんだけど)。
 そういうわけでテニス・シューズをちょっと丁寧に脱ごうかと思ったら、脱いだ瞬間に靴下についたどこかのテニス・コートの砂がパラパラと落ちてきて参った。したかなく足で払って知らん顔をした、なんてのは仏のみぞが知る秘密だ。結果として、我が身の罪深さを玄関からして思い知らされる。ブログで告白したってなんの免罪にもならないけれど。


 座禅の一区切りとして線香1本が燃え尽きる時間があって、これを1炷という。中山和尚は小さな置時計を使って15分を計ったので語源通りではないけれど、これを1炷と呼ぶならば、僕たちは合わせて4炷を座った。ほの暗い本堂で2組に分かれ相対して2炷、そして縁側で中庭に向かって2炷。
 全身の力を抜いて呼吸を整える体操をしてから、本堂で1炷目を座る。
 何しろ15年ぶりの座禅だから、1炷目は「呼吸はこんな感じでいいんだっけ?」とか「どこを見ればいいんだっけ?」とか「何を考えればいいんだっけ?」なんてあれこれ思案するばかりで過ぎてしまった。そして「僕は向かいのアイツより姿勢がいいんじゃないか」なんて妙な対抗心まで出てきて、さすがにこのアイディアのょうもなさ気づき、そのことが試運転としての1炷目の収穫となった。こういう小さくて固い、それでいて移ろいやすい無意味な対抗心が、どれほど自分の思索を阻害することか。ちなみにこれには後日談があって、帰京して自宅で友人たちと飲んでいたら、僕の隣に座ったA君の姿勢は向かいから見て実に良かったらしい。
 2炷目はもう少し建設的で、僕がこのところどれほどい呼吸急き立てられるように生活してきたかを思い知らされた。局所局所ではそれなりに善戦していたとしても、全体としての人生戦略はツギハギだらけだ。だから、ビジネス・スクールへと退避して立ち位置をオーバーホールしようという直観はあらためて適当だったようにも思える。ぴかぴかに磨かれた本堂の床は向かいの級友の鏡像をおぼろに映して、彼の肩越しには明るい初夏の新緑が見えた。この謙虚で静かな時間が永遠であればと思わず願ったけれど、それはただただ僕のマインドセット次第だった。
 2炷目の途中で中山和尚が警策を持って回られて、一同4人のうち3人が願ってこれを受けた。この樫の棒で背中をパンと打つ警策、居眠りする者を罰するものだと誤解されている節もあるけれど、実は願って受けるものなのだ。少なくとも僕が経験した例では常にそうだった。前屈して背を打たれると、同じところをぐるぐる回っていた思考が、警策の与える衝撃でその軌道を飛び出す。艦載機がカタパルトで離陸するように、外部からの物理的な力が思考に与える推進力というのは、現に存在する。
 力学的エネルギーをこの効率で以て形而上エネルギーへ変換できたら、原発一基で人類はみんな悟りを開いちゃうんじゃないか、なんてSFまがいのことを考える。これはまぁ我ながら途方もない話だとしても、原発何万基分ものエネルギーを消費しながらそれに見合うだけの幸福を人類は勝ち得ているか、というのは現実的なトピックだろう。座禅の充実が、どれほど少ないエネルギーで実現されるかを考えると、これほど高効率な事業はないんじゃないだろうか。
 3炷目と4炷目は、生まれてのはじめて屋外を向いた座禅で、僕は中庭の草木や池や岩の膨大な情報量に圧倒されてしまった。このところのガーデニング熱もあって、特にツツジの安定した生命力にはあらためて魅力を感じたし、風に吹かれては葉を落としながらも決して痩せ細ることのない高木の緑には、僕の浅薄な想像の範疇を超えた営みの均衡を感じた。その高木には、こんなに葉が落ちたらすぐに丸裸になってしまうだろうに、なんて思わされたけれど、決してそうはならない。一方で、地球規模での均衡はいままさに崩れつつあって、それは僕たち人間の行動力がその浅薄な想像の範疇を超えたところにまで膨張してしまったからだ。
 子供たちは「想像力>行動力」の不等式を生きているとしたら、大抵の大人たちは「想像力<行動力」の不等式を生きている。15年の時を経て、僕も立派な大抵の大人になった。僕がビジネス・スクールでの2年間に期待しているのは結局、この不等式を等式に、できれば拡大均衡として変えていくことだ。
 それにしても、と思う。この思索は臨済宗の教義とは直接に関係がなさそうで、これは座禅という方法論を僕なりに実践してみた結果だ。教義としてレクチャーされたら僕のような性格だから必ずしも素直に従ったか分からないけれど、瞑想という形で自分自身が造形した発想ならば受け入れやすい。瞑想という方法論は実に分権的あるいはアナーキーで、そして、それだけに個人に対しては内側からの推進力を与えやすいんじゃないだろうか。実務的な、例えばコーチングのようなシーンでも、案外有用かも知れない。

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ほうとうの県外者 - 御食事処 歩成 http://www.thesyntaxerror.net/2009/03/29/145013 http://www.thesyntaxerror.net/2009/03/29/145013#comments Sun, 29 Mar 2009 05:50:13 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/2009/03/29/145013


 ほったらかし温泉のあとは名物ほうとうを食べようということで、同僚のR君が勧めてくれた一味屋という店をカーナビで探していくのだけれど、「目的地周辺」でも見当たらず電話をかけても出ず。午後7時半には閉まってしまうのか? そこで、誰もいない葡萄工房ワイングラス館という施設の駐車場で携帯電話をひらいて食べログで山梨市のほうとう店を検索。けれど、検索の結果に関わらず歩成という店の店構えに吸い寄せられる。これは正解だったみたいで、新鮮な馬刺しと熱々のほうとうに舌鼓を打つ。




 山梨市駅まで戻って、一味屋のプランBとして探した のんきばーば に向かっていたのだけれど、直前に目にとまった歩成という店の店構えに惹かれる。路地裏の一軒家は寒空の下で温かに見えた。引き戸を開けると店内は賑わっていて、僕たちが入ってすぐに満席になる繁盛ぶりだった。豊富なメニューに目移りしたけれど、あくまでも目当てはほうとう。ほうとうを待つ間の前菜ということで名物らしい馬刺を頼む。
 
 この馬刺は格別で、500円は安すぎるんじゃないかという鮮度。臭みもなく柔らかで食べやすくて、それでいて、ひと噛みごとに馬肉の滋味が浸み出してくる。奥の小上がりが飲み会の若者で埋まって、はじめは僕らだけだったカウンターも地元のオジサンたちで賑わってくるころには、
このお店は当たりだ!という予感が確信に変わってくる。そこで2皿目は、メニューのお勧め2位の馬のレバ刺。馬刺が旨ければ、馬のレバ刺も旨いだろう。というか、馬のレバ刺なんて初体験だけれど。

 この馬レバ刺もプリプリとした歯応えがあって、運転のためにビールも日本酒も飲めないのを恨みながら、それでも嬉しく平らげてしまう。これで600円も破格の値段。これは胡麻油の香りではないと思うのだけれど、レバーからは栗の実のようなコクのある甘みがあって、これらの馬は一体どこで育てられたのかと思う。それが旅人の安直な連想を誘って、信玄の騎馬隊が馬の文化を甲州に育んだのだろうか、なんて。


 そうこうするうちに、「13分経ったら食べてください」と言いつけられた卓上のほうとうが完成。店にはただの「田舎ほうとう」と、「かぼちゃ田舎ほうとう」、「豚肉田舎ほうとう」、そして「きのこ田舎ほうとう」があったので、僕たちは豚肉ときのこを頼んで、それぞれの鍋と対峙してこの瞬間を待っていた。といっても、馬刺と馬のレバ刺でほとんど時を忘れていたけれど。
 味噌汁には何種類もの野菜の味が溶け込んでいて、ほうとうの麺はゴツゴツと無骨な形をしている。このゴツゴツの表面がよく汁と絡んでいて、麺もコシがやたらに強いというよりはむしろシナヤカで、シンプルな味付けなのに飽きずに食べられる。けれど、たぶん本来ならば2人で鍋1つというのが相場のようで、妻の鍋を手伝ったら完食したときには完全に満腹。ほうとうを食べるなら、一品料理を楽しんでから、最後にシメで鍋をシェアするくらいがちょうどいいのかも。
 店の手洗いで女の子と居合わせたので、「このお店は人気ですねぇ」と話したら、「そうなんですよ。あ、県外の方ですか?」と言われる。「東京から来たんです」と答えたら、「そうですかー。そういえば、カウンターのこっちで、ほうとう食べてましたよね!」と彼女。見られていた! というか見破られていた! 県外者のみなさん、イキナリほうとう食べると県外者だってバレますよ。地元の通は最後にほうとう、なんでしょうか?

歩成 (居酒屋 / )
★★★★ 3.5

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風の吹くまま露天風呂 - ほったらかし温泉 http://www.thesyntaxerror.net/2009/03/29/131953 http://www.thesyntaxerror.net/2009/03/29/131953#comments Sun, 29 Mar 2009 04:19:53 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/2009/03/29/131953


 大山山頂からヤビツ峠に戻っても、まだ陽は高かった。このまま帰京するのは惜しい気がしたので、ETC割引もあることだし――それがどんなものかはよく知らないけれど――、もう少し遠出を楽しみたくなった。そこで名前が挙がったのが、クチコミで聞いた勝沼のほったらかし温泉。午後3時頃に大山を下山して、まだ明るいうちに勝沼に到着。こんな気まま――というか無計画な――旅はカーナビがあるからこそ。技術はしばしば、「便利」を超えて新しい体験の類型を創出するんだなぁ、なんて、湯船から甲府盆地を見ながら思う。


 東名の秦野中井から御殿場へ、東富士五湖道路を経て中央道、そして勝沼へ。中央道を降りるとワイナリーや果樹園の看板が並んでいて、観光地に到着した浮足立つような気分になる。甲府盆地の縁を登ると山梨県果樹試験場というのがあって、イチゴやモモをかたどった街路灯が並び、山の中腹には月面基地のようなドームが浮かんでいたりして、ちょっと浮世離れした風景を造っている。その試験場の先が、目的のほったらかし温泉。


 ほったらかし温泉は名前の通り簡素な山小屋風で、甲府盆地を見下ろしている。その簡素さとは裏腹に、それでも、この施設がよく考えてつくられたってことはすぐ分かる。売店が建つ入口はキャンプ場の炊事場のような雰囲気で、温かな一体感がある。トイレの看板も女性は「眺望トイレ」で男性は「ごく普通のトイレ」だなんて書いていて、洒落ている。人類のうちどちらの半分が、クチコミを広めたり、旅行の意思決定をしたり、あるいは、トイレからの眺めを気にとめたりするのか、という科学的事実に基づいた設計だ。

 「あっちの湯」と「こっちの湯」という2種類の風呂のうち、こっちの湯はもう閉まる時間だったので、あっちの湯へ。掘っ建て小屋で700円の入場料を払って服を脱いで、隣にある男湯の小屋に渡る。肌に当たる風の冷たさに反比例して温泉の温もりが強調されて、少しずつ暮れゆく甲府盆地を見ながら温泉を堪能する。露天風呂は二段に分かれていて、岩に囲まれた下段の2つがぬるめのお湯。一方は浅く、寝そべってようやく肩まで浸かるようなごく浅いもので、他方は半身欲程度の深さ。上段は下段よりも多少熱くて、ヒノキに縁取られた深い浴槽。一通り試した末に上段に居座る。
 風呂からあがると、はじめは青い空に白く浮かんでいた細い三日月が暮れの空に輝きを増していて、甲府盆地はまさに夜景に変わるところだった。売店では、妻がキウイ・フルーツ(見事な実が4個で150円!)と食用のナノハナ(こちらもたった100円!)を買っている間に地元のワインを矯めつ眇めつ吟味して、ようやく甲斐ノワールという品種のものを選ぶ。これは先の果樹試験場が生んだ品種ということ。せっかく日本のワインを飲むのだからカベルネやメルローよりも、「日本の気候に適した本格的なワイン専用種を目指して育種した」というこの品種を試すことに。
 風の吹くまま温泉を訪ねて、夜風を感じながら風呂上がりに初めての土地で夜景を見る。そして名産品の土産。こんな旅情が半日で味わえるのなら、週末は常にかくありたいなぁ。

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一味平等 - ヤビツ峠から大山登頂 http://www.thesyntaxerror.net/2009/03/29/113820 http://www.thesyntaxerror.net/2009/03/29/113820#comments Sun, 29 Mar 2009 02:38:20 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/2009/03/29/113820


 3月28日、大山登山に挑戦。前回登ったのはたしか10年以上前だけれど、果たして大丈夫かなぁ? はじめは蓑毛からヤビツ峠を経由して登頂するルートを考えていたのだけれど、前夜2時まで飲み歩いてしまったので出発も遅れ、蓑毛に着くころには正午になってしまった。そこで、蓑毛には駐車場が見当たらなかったこともあってルートを短縮し、ヤビツ峠から登山開始。ヤビツ峠ではなんと粉雪が舞ったりして、多少ビビりつつも無事に登頂。山頂では安倍・元首相に会うというオマケつき。



 まずは東中学校の近くのコンビニでアクエリアスと弁当を、ガス・スタンドで地元産らしきミカンの袋を買って準備万端。ミカンは1袋に8つくらい入って170円。安い! 小さなコンビニにはサイクリストが10人近くいて、輪行の名所の様相。蓑毛のバス停まで車を進めたのだけれど、お寺かなにかの専用駐車場のほかは駐車場が見当たらず、その先のヤビツ峠を目指す。時計が既に正午を回っていたり、最近運動をしていなかったり、前夜深酒をしていたり、という情けない事情もあったので多少ホッとする。

 ヨセミテ旅行を機に買った登山靴を履いて、ヤビツ峠から登山開始。もうすぐ4月だというのにハラハラと舞う粉雪はまったくの予想外で、軽い気持ちでやってきた登山者をちょっと尻込みさせる。登山道の脇には霜柱が降りていて、登山道は解けた霜でぬかるんでいた。久しぶりの山歩きは思ったよりも大変に感じたけれど、それも最初の500メートルほどで、体が慣れてきたら2.1キロメートルのイタツミ尾根は行程表通り1時間で順調に踏破できた。


 涅槃寂静すら感じさせるこのシカの看板を過ぎると山頂まであと10分。シカの看板の前で、山頂から降りてきたと思しき登山者が靴底から雪山用の金具を外しているのを見かけた。僕は彼のことを、失礼ながら大袈裟な道具マニアだと思った。けれど、それが間違いだったことにすぐに気づく。山頂手前50メートルくらいの石段は北側の斜面で木陰のせいか踏みしめられた雪が凍っていて滑りやすく、短いながらも一番神経を使う個所だった。春先の休日の軽い登山で、まさか、粉雪の下で凍る石段を歩くなんて予想もしていなかったからね。登山は計画的に。


 けれど、一番予想外だったのは粉雪でも凍てついた石段でもなく、山頂で安倍・元首相に会ったことだ。山頂に程近い道ですれ違った登山者が「いま行けば山頂で安倍さんに会えるかもよ」と話してくれた。その話は意外だったけれど、そう長居はしないだろうから会えないだろうとも思った。ところが、山頂の奥の院の前には、なんと、SPに囲まれながらヤビツ峠に向かって降りる安倍氏が。登山者の礼儀として「こんにちは」と言ったら笑顔で「こんにちは。どうも」と返ってくる。霊山で一味平等の境地といったら大袈裟かなぁ。


 山頂では、厚木から伊勢原を望む頂上南側の風景を眼下に堪能して、弁当とミカンを食べる。じっとしていると、零度前後と思える凍えた外気が堪えたので、売店で甘酒を買って暖をとる。そんななか、コッヘルでうどんを茹でている湯気の一団もあったりして、実にうらやましい。家からアウトドア用調理器具を持ってこなかった自分を悔いる。隣で汁粉を飲む妻には「あんなの持ってきたら重いじゃない」と言われようと、アウトドア用品はロマンの化身。男の子は大抵、「大袈裟な道具マニア」なのだ。
 帰り道は、凍った石段のほかは難なく歩いて、下るごとに暖かくなる気温に即席の春の訪れを感じる。林道の脇で生える若木も成長の季節を予感させるし、帰りに寄ったヤビツ峠の展望台では、桜が五分咲きの風だった。


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http://www.thesyntaxerror.net/2009/03/29/113820/feed 0
ジプシーの呪い - ヴェルディ「イル・トロヴァトーレ」 http://www.thesyntaxerror.net/2009/03/20/041601 http://www.thesyntaxerror.net/2009/03/20/041601#comments Thu, 19 Mar 2009 19:16:01 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/2009/03/20/041601


 2月28日、メトロポリタン歌劇場(Met)でヴェルディ(Giuseppe Verdi)「イル・トロヴァトーレ」(Il Trovatore)を観る。前日東京で観たジンガロ「バトゥータ」が描いた自由の民としてではなく、どこか空恐ろしい呪詛の民としてジプシーが描かれる。ジプシーの女アズチェーナが、先代の伯爵に母を殺された報復に、その伯爵の子である次代の伯爵をしてその実の兄弟(お互いにそうと知らない)を殺させる、という復讐劇だ。多少無理のある筋書きでも、しかし、壮麗なアリアの連続がぐいぐいと観客を牽引していく。「復讐は成った!」というアズチェーナの最後の叫びには無常感とカタルシスが同居していて、この「引き」の目線が本作の醍醐味なんじゃないかな。



 まず、本作はデイヴィッド・マクヴィカー(David McVicar)による演出で指揮はイタリア人指揮者のジャンアンドレア・ノセダ(Gianandrea Noseda)。Met、リリック・オペラ・オブ・シカゴ(Lyric Opera of Chicago)、サン・フランシスコ・オペラ(San Francisco Opera)の共同制作による新作で、2006年にシカゴで初演されたらしい。原作の舞台は15世紀初頭の内戦下のスペインであったものを、マクヴィカーは19世紀の半島戦争中の同国にしている。そこで舞台美術のチャールズ・エドワーズ(Charles Edwards)は、同戦争を生きたスペインの画家フランシスコ・デ・ゴヤ(Francisco de Goya)の連作銅版画「戦争の惨禍」に着想を得たという。

 このゴヤのイメージは驚くほどフィットしていて、真骨頂は上に貼り付けた金床の情景だ。絵画が動いているとしか思えないシーンで度肝を抜かれた。このシーンではさらに、ジプシーの男たちがリズミカルに金鎚を金床に打ち下ろすので、まるで「マッスル・ミュージカル」を観ているかのようなキャッチーな楽しさがある。ニュー・ヨーク・タイムスによると、どうやらこれは、本来舞踊のない歌劇にも関わらず振付師リア・ハウスマン(Leah Hausman)が制作に参画していることによるみたいだ。ともすると重苦しいだけの復讐劇のなかで、このシーンの軽快さは際立って楽しい。

 隣に座った老婦人によると劇場の幕も話題になっているそうだ。パンフレットによると、その幕はゴヤの1821年の作品「サン・イシドロの泉への巡礼(Pilgrimage to San Ishidro)」の部分拡大なのだそうだ。この幕に描かれた、怒り、悲しみ、あるいは絶望する人々の姿は「イル・トロヴァトーレ」の悲劇そのものだ。母を火あぶりにされたアズチェーナが、その無慈悲な火刑を下した伯爵家への復讐を誓う。彼女は伯爵家の二人の息子のうちマンリーコを我が子として育て、彼にその出自を教えぬまま、彼の実の兄弟であるルーナ伯爵への仇討をけしかける。この兄弟は悲劇のヒロインとなるレオノーラをめぐる恋敵でもあって、さらに内戦の混乱が物語に影を落とす。

 ここでジプシーのアズチェーナは魔女のようにも見えるのだけれど、そうではないことは物語の冒頭に注意すると明白だ。アズチェーナの母は伯爵家の幼子の様子を見ていただけで、子どもに呪いをかける魔女として火あぶりにさせられてしまう。その伯爵家へ復讐を誓う彼女の動機に不思議はない。この物語が描く最大の理不尽は、母が魔女と疑われ焼き殺されたそのことによって、娘がまさに魔女のような復讐鬼となってしまうことだ。アズチェーナの母の話は、冒頭の衛兵の会話を聴き逃すと(僕は字幕なので「見逃すと」だけれど)、なぜ火刑になったかが分からなくなってしまう。

 いや、その「なぜ」が再度説明されることなく物語が進むそのことこそ、実は、この物語が描く諍いの呪いなのかも知れない。復讐劇の火蓋は、幼いアズチェーナが、母を焼き殺されるのを目の当たりにしたその時に始まっている。その昔話として語られる動機が、救いのない結末へと愛憎劇を転げ落ちていく。それは物語の遠景をなす戦争そのものにも通じて、ゴヤの「戦争の惨禍」に結像する。ジプシーの呪いなどない、ただし、そんな濡れ衣を着せることは災いを招く呪いに他ならない。この歌劇にもしも教訓を求めるとしたら、そういうことなのかも知れない。

 ちなみに、エイヴリー・フィッシャー・ホールでオーケストラを聴いたときもそうだったけれど、Metでも劇場で配られるパンフレットがめちゃくちゃ充実している。全体で73ページもあり、あらすじやキャストの紹介があり、今回の演出の見どころが説明され、さらに「イル・トロヴァトーレ」についてローマでの初演からMetでの公演履歴まで詳説されている。巻末の3分の1くらいは本公演や劇場への協賛者のリストになっていて、この1冊だけでオペラで人々を魅了して新しいパトロンを獲得しようとする、いわば歌劇の守護者としてのMetの情熱が感じられる。

 さらにMetの配慮で驚いたのは字幕表示装置で、各座席の手許、ちょうど前の席の背もたれに据え付けられている。ボタンを押せば英語、ドイツ語、スペイン語の字幕が表示されて、もちろん字幕を消すこともできる。隣の老婦人は、これがお気に入りで、Metの常連として自慢気でもあった。確かに通常の舞台上部にある字幕は、特にお年寄りには遠くて読みづらいだろうし、ドイツ語やスペイン語を同時に表示するのは無理がある。さらに、この手元の字幕も、ただでも必要にして十分な薄い光なのだけれど、それが隣席に漏れないように表面に偏光フィルムが貼られている。芸が実に細かい。

 ともするとハンバーガー的豪快さがアメリカの骨肉、というような印象を持ってしまうのだけれど、オペラというハイ・カルチャーを通じて、この偏光フィルムのようなアメリカの繊細さに触れられたのも到着初日を飾るに相応しい発見だったなぁ、と思う。

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メトロポリタン歌劇場 http://www.thesyntaxerror.net/2009/03/15/200207 http://www.thesyntaxerror.net/2009/03/15/200207#comments Sun, 15 Mar 2009 11:02:07 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/2009/03/15/200207


 木場で「バトゥータ」を観た翌日の2月28日、ニュー・ヨークのメトロポリタン歌劇場(Met)でヴェルディのオペラ「イル・トロヴァトーレ」を観る。機内では「007 慰めの報酬」、「マダガスカル2」、「たそがれ清兵衛」の3本も映画を観てしまったせいで大して寝てもいないのだけれど、晴れた午前の空に伸びる摩天楼を見ると気分が高揚する。レキシントン街と53丁目の角で地下鉄を降りて、西に歩きながら考える。MoMAも気になるけれど見送って、ちょっと小腹が空いたのでホット・ドッグをかじりながら、やっぱりMetに行こうと決める。土曜のマチネーで新作のヴェルディ「「イル・トロヴァトーレ」をやると調べていたので、憧れのMet初体験を飾ることにする。



 窓口でドレス・サークル(Dress Circle)という4階席のチケットを125ドルで買って、まえに出張の合間に訪れた隣のエイヴリー・フィッシャー・ホールのトイレで、盛り上がった気分の表出としてスーツに着替えてタイを締める。英国王立歌劇場で買った紙製のオペラ・グラス、出番もないのに長々と旅行用ポーチに入れていたんだけれど、なぜか今日に限って持ってきていない。劇場の地階で本式のグラスをレンタルして準備万端。
 赤いカーペットが敷き詰められたメトロポリタン歌劇場の内部は想像以上に華麗だった。さらに、うろうろ検ていて行き当たったレストランでは、そこが会員制である旨を伝えられて丁重に追い返されつつ、その空間が持つ、市井の喧騒から隔絶された重厚さに驚いた。このザ・メトロポリタン・オペラ・クラブ(The Metropolitan Opera Club)は紹介制とのことで、アメリカにおけるクラブ社会の外壁に触れた気分だった。

 さて、初めて足を踏み入れる場所の新鮮さと、上記のような多少のウェー感ほぐしてくれたのは隣の座席に座った老婦人だった。彼女の夫は日米協会か何かに勤めていて60年代に夫婦で東京に住んでいたそうだ。「東京文化会館が出来てすぐ上演する作品にプッチーニの『蝶々夫人』を選ぶのははいかがなものでしょう」、という彼女に僕が言えることといったら、「数年前に新宿の近くに新しい歌劇場ができましたよ」くらいだったけれど。
 彼女はこの4階席の3列目で通路側の席がお決まりのようで、視界が通路によって開けているからオーケストラ・ピットの中を含めて全体が見渡せて気に入っているという。こちらは飛び入り参加だから、そういう熱心なファンにはいろいろと教わることが多い。「イル・トロヴァトーレ」については改めて書くとして、例えば、「金融危機で協賛が減ってオペラの製作資金が減っている」なんて話も興味深い。
 僕がMetを初めて意識したのは1988年製作のプッチーニ「トゥーランドット」をDVDで観て、その舞台の絢爛に圧倒されてからだ。老婦人は、Metの舞台が時に派手すぎて「ブロードウェイ的」になるのは好まないと言っていたけれど、良くも悪くも派手さはMetの特徴じゃないかと思っていた。僕は「簡素な舞台の方が音楽に集中できるでしょうね。本来オペラは音楽ですから。」なんて、あながち嘘でもないものの適当なことを言って隣人を喜ばせつつ、「イル・トロヴァトーレ」の幕開けを待つ。
 思えば前回のニュー・ヨーク出張は、夕方空港に降り立ってホテルに直行、チェック・インしてすぐに1番街あたりのピアノ・バーで同僚たちと合流。ウィスキーの水割りを飲みながら日本人の女の子たちとを他愛もない話をして、2件目のカラオケでオレンジ・レンジを歌う、なんて具合で六本木と瓜二つだったから僕の旅情は不完全燃焼だった。
 それに比べて今回は休暇だから、空港からはタクシーではなくて地下鉄で移動して、ホテルも定宿のシェラトンではなくてアッパー・ウェスト・サイドの安宿で風呂も共同。けれど、この旅情と自由はプライスレスだ。学生時代に初めてこの街を訪れたときも、YMCAに泊まって旅費を削りながら美術館代とビール代を捻出していた。
 学生時代のそれに似たスピリットを持って、マンハッタンに足を踏み入れるこの気分は何物にも代えがたい。そして、初めてのメトロポリタン歌劇場をこの気分で迎えられたことが、ただそれだけで嬉しく思える。ニュー・ヨークはなぜか、どうでもいい若さをどうしようもなく輝かせる。

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バベルの塔の破片の破片 - コクニー、クッキー、ビスケット。 http://www.thesyntaxerror.net/2008/08/16/215556 http://www.thesyntaxerror.net/2008/08/16/215556#comments Sun, 17 Aug 2008 02:55:56 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/2008/08/16/215556


 初めてPodcastでABCのWorld Newsを観る。なんで今まで試さなかったんだろう、というくらい便利。しかもスクリプトまでオンラインで買えるみたいで、もはや英語の勉強のためだけにスカパーやCATVでCNNとかに入る時代じゃないんだね。それはともかく、新鮮だったのは街頭インタヴューのロンドン英語(cockney)に字幕が入ったこと。この手の字幕(いわば「『からくりビデオレター』字幕」)、東南アジアやアフリカの人のインタヴューでは見覚えがあるけれど、でも、インド人では見たことがなかったかな?というのが寡聞ながら僕の印象だったからだ。


 もちろん、この字幕はありがたい。8月7日のWorld Newsのインタヴュー、2人目のロンドンっ子はそれほどでもなかったにせよ、1人目はかなり訛りが強かった(1人目にだけ字幕をつけるのは気が引けたのだろうか?)。いくら英語の原産国の首都の住人だろうが、その英語がアメリカ人にすら分かりにくければ、僕らにはなおさら難しい。仕事でも、ロンドンとの電話――特に電話会議――には苦手意識があって、さして時差もないくせについついメールに逃げてしまう。
 ともかく、このPodcastで思い出したのが「クッキー」と「ビスケット」。僕は、アメリカで「Cookie」と呼ぶレイギリスでは「Biscuit」、とごくシンプルに覚えていた。フランス語のビスキュイ(Biscuit)を思い出すと、英米より英仏のほうが地理的に近いし、という感じで連想できる。アメリカのビスケットはケンタッキーのを思い出すと、しっくりくる。ところが、5月にロンドンのホテルでびっくりして写真を撮ったのが、上に貼った画像。部屋のテーブルに同じメーカーと思しき製品で、「イチゴ・ビスケット(Fruit Strawberry Biscuits)」と「チョコ・チップ・クッキー(Chocolate Chip Cookies)」が並んでいるから僕は混乱した。どっちも同じように見える。
 早速コーヒーを淹れて食べてみたら、――例えばアメリカにおける「クッキー」と「ビスケット」のように――明らかに違う食べ物というワケじゃなく、むしろ同種のお菓子にしか感じられなくて僕はさらに混乱した。どっちがビスケットでどっちがクッキーか分からないし、あまりに考え込んでいると、どっちがイチゴでどっちがチョコかも自信がなくなってくる…ワケはないか。ともかく、イギリス人は「ビスケット」と「クッキー」を使い分けているようなのだ。英語と米語の単純な1対1対応じゃない、という新しい発見。
 これを書く前にググって見つけた全国ビスケット協会のサイトには、「ビスケットとクッキーってどう違うの?」というビンゴなFAQがある。ただ、その回答は「イギリスにはクッキーという言葉自体がない」言っているけれど、あるんですよ、しかも使い分けてるらしく。さらに、このサイトによると「ビスケット」と「クッキー」に関する日本独自っぽい区分もあったりして。あのブツをめぐる状況は、字幕やそこらじゃ収集がつかないくらいに、混沌の度合いを増していく。

日本では、ビスケットとクッキー両方の名前が使われていますが、本来、同種のものをさします。ただ、糖分や脂肪分の合計が40%以上含まれていて、手作り風の外観をもつものを、クッキーと呼んでもよいという決まりがあり、両者を区別して使う傾向があります。一方、外国では、ビスケット(英)、クッキー(米)、ビスキュイ(フランス)、ビスキュイート(独)などと呼ばれています。
アメリカでは、ビスケットというとやわらかい菓子パンのことを呼び、イギリスのビスケットに当たるものはクッキーと呼ばれています。また、イギリスにはクッキーという言葉自体がないなど、ビスケットとクッキーの使い分けは、あまりはっきりしていないようです。

 ま、考えすぎても仕方ないのでコーヒーでも淹れて一息入れよう。そして、ハロッズで買ったチョコ・チップのレややこしい上に食べ切ってしまったので、サントベールのストロベリー・タルトを齧ろう。僕の人生には、結局のところ、この甘いシニフィエがあればいいってことだ。

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Day 3 - ヨセミテ国立公園からデス・ヴァレー国立公園まで http://www.thesyntaxerror.net/2008/08/02/225338 http://www.thesyntaxerror.net/2008/08/02/225338#comments Sat, 02 Aug 2008 13:53:38 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/2008/08/02/225338


 きょうは移動日だ。いや、正確に言うときょうは移動日の始まりだ。僕らはカリフォルニアのヨセミテ国立公園からネヴァダ州を跨いでアリゾナのグランド・キャニオン国立公園へと、2日間かけて1,100kmを走るのだ。きょうはヨセミテを発ってタイオガ・パス(Tioga Pass)を行き、そして395号線の風景を下ってデス・ヴァレー国立公園で投宿しようという算段だ。ただし一日の大半を車中で過ごすのも癪なので、早朝の軽いハイキングでヨセミテとの別れを惜しむ。


 朝はまた7時くらいに起き――といっても夜は早々に寝てしまうので特段に早起きという感じはしない――、紅茶を淹れたら登山靴を履いて出勤。カリー・ヴィレッジから遊歩道の入口まで10分ほどで移動して、ミラー・レイク(Mirror Lake)へ片道30分のウォーキング。まさに「鏡の湖」という名の通りで、光の加減で水面に映る風景のほうが明瞭なくらいだった。林のそこここにリスが走り回って、牡鹿も悠然と朝の散歩をしている。ディズニーの「白雪姫」か何かのアニメで見た気もするけれど、本当にこういう場所があるんだなぁ、と妙に納得。



 キャビンに戻って荷物をまとめてチェックアウトをしたら、ヨセミテ・ヴィレッジに寄って写真家アンセル・アダムス(Ansel Adams)のギャラリーを観る。アダムスだけではなくて他の写真家の作品や、絵画やアクセサリーなんかもあって、神の業である自然と人の業である芸術とを上手に見せている。また別途触れたいけれど、アメリカの国立公園は本当によくデザインされている。なんて感心しつつ、自宅用にアダムスのポスターを買う。
 タイオガ・パスを東へ走ると、例によって美しい風景にもじきに慣れてしまうのだけど、それでも思わず車を停めずにはおれなくなる場所があった。そこはオルムステッド・ポイント(Olmsted Point)といって、堅牢な岩肌のそれでいて滑らかなドレープから緑の木々が抑えがたく萌え出でている。この岩肌が視野全体を覆うほどなので、天を目指す松の木立ちも、まるでパンに生えたカビみたいだ。つまりは、そういう縮尺の世界なのだ。遠景にヨセミテ・ヴァレーのハーフ・ドームが
見える。


 次に息を飲む風景はテナヤ・レイク(Tenaya Lake)だ。青い空と白い岩と緑の木立ちの乾いた風景のなかで、底まで透き通った湖がただただ凛然と広がっている。高地の水は、生命の保護者というよりもむしろ解釈を拒む絶対的な存在といった風体で、その対比のために水辺に立つ若木も果敢な挑戦者然と見える。「自然」と「人間」という区分を勝手な前提として僕は木々を「自然」というこう側無自覚に位置づけてしまうのだけど、この冷徹な風景のなかで木々は、しかし、生物としての猛然とした生き残りを見せる。彼らもまた戦線の「こちら側」で戦っているのだぞ、と言わんばかりだ。


 車を走らせてさらに東へ向かうと、水はまったく違った表情を見せる。トゥオルミ・ミドウズ(Tuolumne Meadows)がそれで、牧草地という名前の通り実に、澄んだ静かな流れの両側には安らかな風景が広がっている。まさにどかな高原いった風情で、野草が咲いてリスが駆け回り、そのリスたちも時折、立ちあがっては景色を見渡している。オルムステッド・ポイントやテナヤ・レイクに比べたら、気が抜けるほど安穏な世界だ。荒々しい風景に対して本能的に高まっていた緊張が、これもまた本能的にほぐれていくのが分かる。きっと、動物の棲むべき場所、というのがあるのだろう。



 ヨセミテ公園のゲートを出て、アンコールのようにタイオガ・レイク(Tioga Lake)が現れ、それからは地平線へ続く道路をひたすらに走る。途中でマンモス・レイクス(Mammoth Lakes)という愛らしい街に立ち寄ったりもしたけれど、そんな寄り道を除けばとにかく直進あるのみ。ただし、直線の道路が必ずしも無表情という訳ではない。山ほど積んだ飼葉を散らしながら走るトラックを追走したり、戦車を積んだトレイラーとすれ違ったり、突然襲い掛かる砂嵐に遭遇したり、はたまた砂嵐と戦う消防士のようなスプリンクラーの農場を横切ったり、という具合だ。







 そして、いよいよ見渡す限り砂と岩ばかりの死の谷、デス・ヴァレー(Death Valley)に突入。自動車のオーヴァー・ヒートが即ち生命の危険を伴うというわけで、巨大な冷却水のタンクが警鐘を鳴らす。そして、海どころか水分そのものとまったく無縁な世界で海抜0mの看板が佇む。国立公園の入場料を払うべく事務所に寄ってとにかく驚いたのは、ドアを開けた時の熱気のすごさ。この自動車はいつしか、移動手段というよりもシェルターになっていて、いわば灼熱の海をスキューバ・ダイヴィングしているような状態になっていた。事務所は無人で――これがまた心細い気持にさせる――、自動精算機で入園料を払う。誰もいない小屋の壁にかかった温度計は45.5度を指していて、それは不在の理由としては充分すぎるほどだった。僕も慌てて車に戻る。




 ファーニス・クリークで、ファーニス・クリーク・ランチ(Farnace Creek Ranch)というモーテル風の簡素な宿にチェックイン。原油価格の高騰で冷房費として1泊あたり3ドルほど追加でかかるとの断り書きがあったけれど、冷房こそが生命線だから何の異議もない。宿自体は簡素ではあるけれど、ラングラー・ステーキハウス(Wrangler Steakhouse)食堂の雰囲気とサーヴィスは予想に反してしっかりとしていた。名前の通りステーキが売りだけれど、「夕食を手早く済ませて日没を眺めたい」と相談したら魚料理を勧めてくれた。ニジマスのソテーの焼き加減は適切で、このあと運転がなければ豊富そうなワインと楽しめたのに、と残念なほど。
 ファーニス・クリークから車で10分ほどの、ザブリスキー・ポイント(Zabriskie Point)という小高い山に登って太陽を見送る。柔らかく波打つ砂礫の斜面は夕日に照らされて金色に光り、暑さを以て支配力を見せつけた太陽は遠くの稜線の向こう側へと静かに移動して行く。太陽の方を向かって足を踏ん張り、地球の自転を意識する。そしてすぐに、僕は、砂の波間で地球というサーフボードの上に立ってるみたいな気分を味わう。滑らかにテイクオフして、太陽を追いかけてサーフするかのような贅沢な体感。潮風の替わりに、幾分和らいだ温風が斜面の下から吹き上げてくる。
 ホテルの部屋で久しぶりの風呂を楽しんで、氷で冷やした缶ビールを空けてきょうを締めくくる。

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Day 2 - ヨセミテ国立公園にて http://www.thesyntaxerror.net/2008/08/01/001514 http://www.thesyntaxerror.net/2008/08/01/001514#comments Thu, 31 Jul 2008 15:15:14 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/2008/08/01/001514


 朝は6時くらいに起きて、森が切り取った小さな青空の下、ガス・バーナーでお湯を沸かして紅茶を淹れる。たったこれだけのことで、カレンダーの1日うしろにおいてきた東京の喧騒が、ずいぶんと遠くに感じる。休暇だ! 僕らが滞在するカリー・ヴィレッジ(Curry Village)から、ツアー・バスが発着するヨセミテ・ロッジ(Yosemite Lodge)まで、始発に近いのシャトル・バスで渓谷の朝を眺めつつ20分ばかり移動。新宿で買ったばかりの登山靴の紐を締めて、きょうはパノラマ・トレイル(Panorama Trail)という登山道を目指す。山の上から渓谷へと降りてくるのだ。道程13.7km、標高差975m。



 ヨセミテ・ロッジで、8:30発のグレイシャー・ポイント(Glacier Point)行きバスのチケットを買う。片道20ドル。足を確保したので、次は腹ごしらえ。フード・コートで迷わず選ぶのは定番のアメリカ式朝食。サニーサイド・アップとカリカリのベーコン、そしてシュレッド・ポテトが体を目覚めさせてくれる。


 バスは昨日通ったトンネル・ヴュー(Tunnel View)のほうへ迂回しながら山道を登り、1時間半ほどかけて、ついに僕らのカリー・ヴィレッジの背後にそびえ立つ絶壁の頂点、グレイシャー・ポイントに到着。渓谷の向こう側にはアメリカ最大の落差というヨセミテ滝(Yosemite Falls)が見える。プレゼントでもらったIXY Digital 910 ISのレンズは28mmの広角を誇るのだけれど、絶景の絶景たるパノラマは写せない。生身の目で観てこそ。そして、この渓谷を生身の足で降りるのだ。歩き切れるか、ちょっとだけ心配にもなる。




 印象的なのは山火事が残した立ち枯れの殺伐だ。バスの運転手が、山火事はこの森の生態の一部だという話をしきりにしていたけれど、まさに森の現在進行形を見ながら歩いている気分。殺伐さもここでは相対論で、乾いた空気と固い花崗岩の有無を言わさぬ無慈悲に比べたら、立ち枯れの木々すら瑞々しい生の営みに見える。





 それでも、岩からの染み出す清水や川辺を見つけるとやはり、本能的にホッとする。日本の森から「過酷」という単語は連想されないけれど、この森は一言で言って苛酷だ。その水辺すらも谷底の平穏とは違って、つまりはすぐに滝とつながっているわけで、そんな注意を喚起する看板もある。滝に落ちること自体に、悲劇性に加えて間抜けさという要素もあるせいか、その絵柄もなんとなく間抜けだ。最初に出会う滝がネヴァダ滝(Nevada Fall)。滝に出会うといっても、僕らは上から降りてくるので、主観としては「川の向こうを覗いたら壁になっていた」という感じだ。だから本当に「立派な滝だなぁ」と感銘を受けるのは、さらにひと踏ん張りして滝と並んで急な山道を降り、滝壺の高さから見上げる瞬間までお預けになる。






 こうした風景に加えて、シカやリスやカケスやといった動物、それに野草が目を楽しませてくれる。山歩きは全体としては楽しいけれど、苦役という要素もやはり厳然としてある。何千マイルと言わず数マイル歩くだけで、ハローもグッバイもサンキューも言葉少なになってくる。木々も無言なら岩の彩りも乏しい。小さな――風景が巨大だからシカすらそう見える――動植物たちの愛嬌は、アメリカの甘いグミとならんで疲れを忘れさせてくれる。




 ヴァーナル滝(Vernal Fall)まで降りてくると、滝の飛沫が周囲を潤していて、この登山道がミスト・トレイル(Mist Trail)と呼ばれるのも納得。傾斜は緩く川幅は広くなって、水流も心なしか穏やかになったように見える。これで終わりかと思ったら意外に先がまだまだ長かったのは疲れたけれど、その分だけ最後のビールが旨いはず、なんてことを健気に思いながら歩く。




 ついに登山道の終着点まで歩き切って、このハッピー・アイル(Happy Isles)というバス停でシャトルを拾って10分足らずでカリー・ヴィレッジまで帰る。スタンドでブリトーとタコ・サラダを、隣の売店で冷えたクアーズ半ダースをそれぞれ買って、木陰のテーブルで打ち上げ。5時間の投資の末に、抜群に旨いビールにありつく。

 ちょっと昼寝をしてシャワーを浴びて、夜はムーンライト・ヴァレー・フロア・ツアー(Moonlight Valley Floor Tour)に参加。これは満月前後の夜のみ開催ということで、ラッキーなことに僕らはそこに当たったわけだ。ヨセミテ・ヴィレッジを21:00に出発、ひとり22ドル。トレイラーが牽引するトロッコのベンチに座って、レンジャーの説明を聞きながら2時間ほど月夜の渓谷を堪能。
 月明かりに照らされたグレイシャー・ポイントも、「あそこから歩いて来たんだぜ」って思いながら眺めると格別だ。そんな余韻に浸りながら、寝る前に飲んだ白ワインは「ハッピー・キャンパー(Happy Camper)」なんていう名前だった。

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Day 1 - サン・フランシスコからヨセミテ国立公園まで http://www.thesyntaxerror.net/2008/07/26/061843 http://www.thesyntaxerror.net/2008/07/26/061843#comments Fri, 25 Jul 2008 21:18:43 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/2008/07/26/061843

 JL2便がサン・フランシスコ国際空港に降り立つ直前、僕は入管書類の滞在先に「ネヴァダ州ラス・ヴェガス、MGMグランド」とだけ書いた。ヨセミテだのデス・ヴァレーだのグランド・キャニオンだのというよりも、最終滞在地のポピュラーな観光地のほうがりがいい思ったからだ。ところが係員に「どうやって行くんだ?」と聞かれるから、僕は正直に「運転していきます」と答える。サンフランとヴェガスは900kmも離れているのに。すると係員は、「じゃあデス・ヴァレーも行くのか?」という。なんとも察しがいい。「そうです。加えてヨセミテにもグランド・キャニオンにも行くんです。」と話したら、係官はアメリカを代表するかのような満足の笑みを見せ、そして僕らは「よい旅を」と快く入国を許される。こうして、実は900kmどころではない、2,000kmの旅がはじまる。


 憧れの車を借りたら、すぐにルート101を北上して、バークレーのアウトドア用品店REIを目指す。時計は――僕らにとっては2度目の――7月15日の正午を指していた。日没までには300km先のヨセミテ国立公園に到着したい。本当は助手席の妻のためにゴールデン・ゲート・ブリッジを通ったりもしたかったのだけど割愛して、ハイウェイ上から超ダイジェストの市内解説。いわく、「あの三角のビルが金融街で、その隣に中華街、そこを降りるとマーケット通り。その突き当たりがカストロ通り。半島の北側にゴールデン・ゲート・ブリッジがあって、その手前にアルカトラズ島やフィッシャーマンズ・ワーフ。あ、いま走ってるのが僕が昔住んでたあたり。」以上。実際に見えたのは冒頭のトランスアメリカ・ピラミッドの先端だけ。また来ましょう。
 バークレーのREIではプロパン・ガスを2本購入。これでランタンと煮炊きは大丈夫。ついでに隣のウォルグリーンズ(Walgreens)で眠気覚ましの缶コーヒーやらグミやらといった遠足グッズを買い込む。そのまたついでに、さらに隣にあるチポレ(Chipotle)というメキシカン・ファーストフードで妻が巨大ブリトーを2個買ってくる。このチキン・ブリトーは傑作で、それほど空腹を感じていなかった僕も、運転席に飯粒やら豆やらをぼろぼろとこぼしながら貪り食べてしまう。そして眼前にはアルタモント(Altamont)の風車群が見えくる。広大で柔和な丘陵と手軽で旨いメキシコ料理。カリフォルニアに来たんだなぁ、という実感が目と胃から沁みわたってくる。


 果てしなく見える風景も、しかし、荒涼とした草原から緑の森へとゆっくりと変わっていく。一直線の道路はやがて曲がりくねった山道になって、湿潤で均一に見えた森林はところどころに山火事の容赦ない傷跡を見せるようになる。そして、ついに僕らは峠からヨセミテの渓谷を見下ろし、この新しい風景に僕はいよいよカリフォルニアの懐に飛び込んだことを実感する。







 峠を超えて渓谷へと下っていくと、半時間ほど前には視点の高さにあった絶壁エル・キャピタン(El Capitan)が、空を覆うばかりにせり上がってくる。そして足元にはマーセッド川(Merced River)が鏡の水面を保ちながら静かに流れ、かつて堅牢な花崗岩を深く削り取った荒々しい氷河の名残をとどめている。


 公園のウェブサイトを通じて予約しておいた山小屋は、ヨセミテ渓谷のカリー・ヴィレッジ(Curry Village)にある。キャンヴァス・テント(Canvas Tent)というだけあって屋根も壁もパイプの骨格に生地を張った簡素なもので、雰囲気がある。一方で板張りの床はしっかりとしているし、パイプ・ベッドには清潔なシーツと毛布が、素朴な鏡台の上にはバスタオルまでもが用意されていて、しかも冬用のヒーターの横には電源コンセントまである。この山小屋は想像以上に、しかし、野趣を害さない程度に、快適だった。これで1泊85ドルなら良心的だ。
 夜はカレー・ヴィレッジの売店で冷えたクアーズと白ワイン、そして明日の山登り用にトレイル・ミックスなどを買って山登りの明日に備える。ビールとワインが旅の疲れに沁みこんで、僕らは日没から間もなく、簡素なベッドで眠りにつく。パイプベッドと荒削りなスプリングのマットレス、そして清潔でいて多少ゴワつく毛布は、なんだか保健室のベッドを思わせた。


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プレイメイトとデートするような - フォード「マスタング」 http://www.thesyntaxerror.net/2008/07/24/043527 http://www.thesyntaxerror.net/2008/07/24/043527#comments Wed, 23 Jul 2008 19:35:27 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/2008/07/24/043527


 高校に通じるケヤキ並木には、いつも大抵、緑色でおまけにコンヴァーティブルのマスタングが停まっていた。それは決まって健康診断なんかをやる建物の前にあったから、おそらくは大学病院の医師のものだったのだろう。ともかく、そのアメリカ車は僕の高校時代の憧れだった。だから、サン・フランシスコのハーツの駐車場で、僕の名前が書かれた区画に銀色のマスタングが待っているのを見た時の驚きと興奮といったらない。ティーンの頃に憧れたプレイメイトと今、思いがけずデートするんだぜ。



 アメックスについてきたハーツ・ナンバー・ワン・クラブ・ゴールド(Hertz #1 Club Gold)というサーヴィスがまた、気を利かせてこの対面を僕らだけの密会に仕立ててくれる。駐車場の掲示板に僕の名前と駐車区画の番号が表示されていて、さして期待もせずにそこへ歩くと、なんとマスタングが待っている。すでにキーがかかっていて、グラビアのアイドルがそのままの姿で僕を包み込む。何の煩わしい手続きもなく、そもままカリフォルニアの青空で快感へと走り出せばい。これは鼻垂れ小僧が日夜夢想した以上に、実に「プレイボーイ」誌的な展開だ。
 そして、ネヴァー・ロスト(Never Lost)というナヴィゲーションを追加したのは正解だった。プロパン・ガスのボンベを買うべくバークレーのアウトドア用品店REIに寄りたかったのだけれど、チェーン店の住所は大抵記録されているらしく、難なく辿り着くことができた。5年も前の記憶を頼りにバークレーの街をさまよわずに済んだ。アメリカの機械だからどうせ大味だろうと高をくくっていたら、どうしてどうして細やかに出来ていて、分岐の案内のタイミングが絶妙だった。この手慣れたリード――あるいは、ステアリングを握る僕だけに響くじゃじゃ馬マスタングの意外な吐息――に、タコメーターの針はいやがうえにも上昇していく。

 実際、ペダルをぐっと踏み込んだ時に見せる4リッター6気筒の息遣いは激しくて、運転席は戦闘機のコクピットようになる。サン・フランシスコを抜け出すベイ・ブリッジで、その攻撃的ないし享楽的な加速に僕の方がのけぞってしまう。それでもステアリングを握りしめて抜けた吊り橋の先で、シーツのようなドレープを見せながら横たわる乾いた峰々が眼前に広がった瞬間。これは、僕の最高のドライヴ体験のひとつになった。
 もちろん、いいことばかりではない。まず、2,000kmにも及んだロング・ドライヴと場所によっては1ガロン6ドルにもなるガス代を考えたら、この大喰らいは地球と財布に手厳しい。そして、交差点をそろりと曲がる時すら静まる気配のないエンジン音は耳障りだ。前に書いたように大荷物の僕らだから、後部座席への荷物の出し入れが窮屈なクーペではそのそも実用的でない。
 ただし、これらの非実用的な要素たちもまた、それでいて、非日常のプレイメイトにとっては欠かせない美点にすら見えてしまう。高校自体はギリギリの出席日数で卒業したものの、高校時代のギリギリの夢想からはなかなか卒業できないものなのかも知れない。

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重装歩兵の孤独な兵站 - JALフライトキャディサーヴィス http://www.thesyntaxerror.net/2008/07/23/051449 http://www.thesyntaxerror.net/2008/07/23/051449#comments Tue, 22 Jul 2008 20:14:49 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/2008/07/23/051449

 1週間ほどかけて、少々早足ではあったけれど、アメリカのヨセミテ国立公園、デス・ヴァレー国立公園、グランド・キャニオン国立公園を妻と巡ってきた。最初の問題は荷物の量だった。グランド・キャニオンではキャンプをするから、テント、イス、テーブル、寝袋、登山靴、食器の類。最後に寄るラス・ヴェガスでは多少洒落込みたいので、ジャケットと革靴。大きなスーツケースと、僕本人が入れるほどのダッフル・バッグで合わせて60kgにもなる。これに身辺用品のキャリー・オンが加わる。この重装歩兵のごとき装備でもなお、旅の幕開けを快適に迎えられたのは、はじめて使うJALフライトキャディサーヴィスのおかけだった。


 窓口に電話をして予約をすると、自宅まで荷物を引き取りに来てくれる。直前まで資料やら何やらを用意する出張には向かないし、そもそも出張はさして大荷物にはならないので、機内誌の事務的なページで見つけたこのサーヴィスに僕はそれほど魅力を感じていなかった。けれど、今回は大助かりだ。一度では運べないほどの荷物を電車に担ぎこむのも骨が折れるし、空港まで車で行ったところで駐車場からカウンターまでに汗だくになる。さらに、帰国するなり同じことをしてさらに自宅まで運転するのは億劫だ。
 登山をしに行くのに空港までの道程を億劫がるのもナンセンスだけれど、疲労の質が違う、としか言いようがない。これまで僕はタクシーでジムに通う人を内心どうかと思っていたけれど、ある意味では同じ穴のムジナなのかも知れない。ともあれ、福山通運は指定した時刻に荷物を取りに来てくれて、氷山の一角とも言えるような軽装で空港に向かった僕らは、JALのチェックイン・カウンターのすぐ近くでズタ袋と大箱とを無事に受け取ることができた。あとは、僕が幼少の頃から愛してやまないショッピング・カートにそれらを乗せ、20メートルばかりを転がすだけだ。
 1個につき「自宅から空港まで」あるいは「空港から自宅まで」を1回と数えて、JALフライトキャディサーヴィスに該当する航空券なら1人あたり1個を無料で運んでくれる。JALグローバルクラブ(JGC)の会員ならこれにもう1個分足されるので、僕たちは3回分運んでもらえる計算になる。そこで、往路で空港まで2個、復路で自宅まで1個を依頼する。復路の残り1個は、同じABCのカウンターでアメリカン・エキスプレスの勘定で運んでもらう。
 たかが荷物、されど荷物。3年前にロサンジェルスでの長期出張から帰る時、サーフボードからXboxまでを文字通り夜逃げのように担いで、ほうほうの体で帰国して家人に車で迎えに来てもらったのを思い出すと、ちょっと隔世の感がある。クレジット・カードやらマイレージやらの特典にかける僕の女々しい情熱について妻はちょっと呆れ気味なんだけれど、今回はしてやったり、と思う。ただし、そう思っているのは僕ひとりだけなのかも知れないけれど。旅行系特典をめぐる孤独な戦いは続く。

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あらすじ買い - ストラヴィンスキー「放蕩者のなりゆき」 http://www.thesyntaxerror.net/2008/07/15/081227 http://www.thesyntaxerror.net/2008/07/15/081227#comments Tue, 15 Jul 2008 13:12:27 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/2008/07/15/081227


 英国王立歌劇場のスケジュールを確認したら、水曜日はストラヴィンスキー「放蕩者のなりゆき(The Rake’s Progress)」という作品が上演されるようだった。結局、その晩は会食になって観劇は叶わなかったけれど、ストラヴィンスキーのこの作品、なかなか面白そうだ。それにしても、英国王立歌劇場(Royal Opera House)がYouTubeで興行の告知をしているのには驚いた。


 まず、ストラヴィンスキーの「放蕩者のなりゆき」、ネットで調べたらなかなか救いのない話で、それゆえに僕は不思議と興味を持った。歌劇は演劇体験である以上に音楽体験であって、言ってみれば芝居としてハッピー・エンドであろうがなかろうが、とりあえずのカタルシスは音楽鑑賞から摂取する自信がある。僕は感動屋だから。ストラヴィンスキーの音楽にじっくり浸るだけでも幸せだろう。
 もちろん、こうして逃げを打っておきながらも、やっぱり気になるのは話の筋だ。あるサイトによると主人公は恋人がいるのに定職に就かず一攫千金を夢見て、ロンドンに行ったら行ったで女遊びにハマってしまう。ようやく荒唐無稽な事業に手を染めるも案の定失敗して借金まみれ。ついに精神を病んで入信したところを恋人が見舞いに来てくれるのだけれど、彼女は父親に連れ戻されてしまう。うーん、実に救いがない。
 僕自身としてはこの放蕩者ことトムのダメさ加減はなんとなく他人事でない。いち男子としては世の男子なんぞ大抵はこんなもんじゃないかと思ったりもするけれど、こういった男子のダメな部分は、できれば女子に伏せておきたい部分でもある。世の女子が山本モナ女史を非難するごとく、男子としても政治的にトムを非難しておきたい。でも、それは一方でトムに親近感を感じてしまうことの反動なのかも知れない。
 そんな訳で、この作品は敢えてカップルで観に行くこともないだろう。ワーグナーの「タンホイザー」の観劇後、父親とふたりで観にいってちょうど良かったと思ったけれど、この「放蕩者のなりゆき」もまた同様という予感がする。出張先で――ちょうど舞台もロンドンだし――ひとり観劇するにはうってつけのように思えただけに、惜しいことをしたなぁ。わざわざDVDを買って観る、という気までは起きないし。DVDを再生するよりも、劇場に足を運ぶ方がよほど退屈するリスクが低いからだ。
 それにしても「The Rake’s Progress」と検索してYouTubeが出てきて、誰かがDVDから違法に抜粋した映像化と思いきや、どうしてどうして英国王立歌劇場のれっきとした告知だったのには驚いた。ニュー・ヨーク・フィルハーモニックにしても英国国立美術館にしても、欧米の古典芸能はハイテクをうまく利用しているなぁ、という印象を抱く。古典を愛するがゆえに現代のトレンドにも敏感なのだろうかと、僕は勝手に想像する。

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ガッツだぜ - ステーキ・アンド・キドニー・パイ http://www.thesyntaxerror.net/2008/07/13/082326 http://www.thesyntaxerror.net/2008/07/13/082326#comments Sat, 12 Jul 2008 23:23:26 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/2008/07/13/082326


 美術館で3時間も立ちっぱなしで絵画と対峙していると、さすがに腹が減る。そこで、前から気になっていた英国料理、ステーキ・アンド・キドニー・パイ(steak and kidney pie)を試すことに。JALが機内でくれるガイドブックによると、ザ・ウィンドミル(The Windmill)という店が良さそうだったので、リージェント通りまで足を延ばして遅めの昼食を、けれど時間を気にしつつ急いで食べる。この英国風モツ煮、必要にして十分の濃厚さで意外にもクドさがない。ちょっとガッツィーなビーフ・シチュー、といったところだ。



 この皿が供されるまで、僕は自分が勘違いをしていることに気づかなかった。「ステーキにパイの付け合わせ」というのが「ステーキ・アンド・キドニー・パイ」だと思っていたのだけれど、実際は「肉やら腎臓やらが入ったパイ」、ということだったのだ。あわや「ステーキも頼んだんですが」と言いそうになった。もっとも、言っていればウェイトレスに「あらやだ、これがステーキ・アンド・キドニー・パイよ」なんて言われたりして、ちょっとした旅情の風景だったかも知れないけれど、気づいてしまったものはしかたない。
 パイを開くと、キャセロール皿のなかには、ドミグラスに浸って肉やら臓物やらキノコやらが湯気を立てていた。肉には柔らかく火が通ってソースが深く沁み入っていた。少なくとも意識して食べるのは初めての腎臓も、レバーのような――というと失礼かも知れないけれど――滋味があって、それでいて覚悟したようなアクはまったくなく、多少ゲテモノ食いの覚悟でいた僕はちょっと拍子抜けだった。ヒネリの効いたビーフ・シチューといった趣で、訪英の度に食べてもいいなぁ、と思ったくらいだ。
 惜しむらくは、付け合わせを何も頼まなかったこと。そもそも僕は、ステーキが主でパイが付け合わせだと誤解していたし、そうでなくとも欧米流の分量で多すぎたらどうしよう、なんて心配までしていたのだ。ところが、量は決して多くはなかった。どんな付け合わせがあったのかよく見てもいないけれど、マッシュポテトなんかにスープをかけて食べたらさぞ旨いだろうなぁ、という感じだ。次回は付け合わせを試してみよう。

 もう二度とご免だ、という料理を食べるのも捨てがたい旅の経験だけれど、やっぱり、また食べたいと思う一皿に出逢うほうが好ましい。僕も大人になったなぁ。

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豊潤の3部屋 - 英国国立美術館 http://www.thesyntaxerror.net/2008/07/13/065238 http://www.thesyntaxerror.net/2008/07/13/065238#comments Sun, 13 Jul 2008 11:52:38 +0000 Syntax http://www.thesyntaxerror.net/2008/07/13/065238


 ロンドン二日目の打ち合わせは午後3時からだったので、いろいろ思案した挙句、英国国立博物館(The National Gallery)に行く。もちろん何点かの目当てはあったけれど、ちょっとした暇つぶしのつもりだった。けれども、近代絵画のあまりに豊潤な収蔵品に取り憑かれ、結局は年代別に並んだ展示室のうち最後の3部屋で4時間もつかまってしまった。僕は思い立って、一冊のメモ帳――表紙はゴッホ「糸杉のある麦畑」だ――を急いで売店で買って、その3部屋の展示作を余さず書き留めた。個々の感想の前に備忘として書いておこう。


 まず、常設展の展示室は大別して4つの区画に分かれている。1250年から1500年までの絵画、1500年から1600年までの絵画、1600年から1700年までの絵画、そして、1700年から1900年までの絵画、という具合だ。僕は最後の区画の、さらに終わりの3部屋を遡って観た。
 最初に入った、つまり、最後期の作品を展示した展示室46は「ドガと1900年頃の作品(Degas and Art around 1900)」と題されていた。ここで供された作品は以下の通り。

    展示室46「ドガと1900年頃の作品」

  • Pablo PicassoChild with a Dove 1901
  • Henri de Toulouse-LautrecEmile Bernard 1886
  • Hilaire Germain Edgar DegasAt the Cafe Chateaudun about 1869-71
  • Id.Head of a Woman 1873
  • Id.Carlo Pellegrini about 1876
  • Id.Helene Rouart in her Father’s Study about 1886
  • Id.Princess Pauline de Metternich 1865-69
  • Id.Portrait of Elena Carafa 1875
  • Id.After the Bath, Woman Drying Herself 1888-92
  • Id.Combing the Hair (La Coiffure) about 1896
  • Id.Ballet Dancers about 1890-1900
  • Id.Miss La La at the Cirque Fernando 1879
  • Henri de Toulouse-LautrecThe Two Friends 1894
  • Id.Woman Seated in Garden 1891
  • Hilaire Germain Edgar DegasYoung Spartans Exercising 1860-2
  • Pierre-Cecile Puvis de ChavannesSummer before 1873
  • Id.Death and the Maidens before 1872

 次の部屋はその名も「ゴッホとセザンヌ(Van Gogh and Cezanne)」。僕の絵画体験は断然に父親の影響で始まっていて、ゴッホとセザンヌはその父が愛する二人の画家だ。初めて訪れる場所だけれど、しかし、展示室に足を踏み入れた時の気分はむしろ帰省に近い。この部屋の展示作品は次の通り。

展示室45「ゴッホとセザンヌ」

  • Vincent van GoghPortrait of a Restaurant Owner, possibly Lucien Martin 1887
  • Id.A Wheatfield with Cypress 1889
  • Id.Long Grass with Butterflies 1890
  • Id.Sunflowers 1888
  • Id.Farms near Auvers 1890
  • Id.Two Crabs 1889
  • Id.Van Gogh’s Chair 1888
  • Maurice DenisPicnic at Le Poldu 1900
  • Edouard VuillardDressmakers 1890
  • Id.The Eathenware Pot 1895
  • Henri RousseauSurprised! 1891
  • Paul SerusierGirl from Savoy 1890
  • Camile PissarroPortrait of Cezanne probably 1874
  • Paul CezanneThe Painter’s Father, Louis-Auguste Cezanne about 1862
  • Id.The Stove in the Studio 1865
  • Id.The Avenue at the Jas de Bouffan 1871
  • Id.Hillside in Provence 1886-90
  • Id.Landscape with Poplars about 1885-7
  • Id.An Old Woman with a Rosary 1895-6
  • Id.Bather (Les Grandes Baigneuses), probably 1888-1905
  • Id.Self Portrait 1880
  • Id.Still Life with Water Jug about 1892-3
  • Id.Avenue at Chantilly 1888

 三番目の展示室は「印象主義を越えて ピサロとスーラ(Beyond Impressionism: Pissaro and Seurat)」。展示されている作品は以下の通り。

展示室44「印象主義を越えて ピサロとスーラ」

  • Paul GauguinHarvest Le Poldu 1890
  • Id.The Guiter Player 1900
  • Id.Still Life with Mangoes about 1891-6
  • Id.A Vase of Flowers 1896
  • Id.Faa Iheihe 1898
  • Camille PissarroThe Pork Butcher
  • Id.Portrait of Felix Pissaro 1881
  • Id.The Avenue, Sydenham 1871
  • Id.Fox Hill, Upper Norwood 1870
  • Id.The Cote des Boeufs at ermitage 1877
  • Id.The Boulvard Montmantre at Night 1897
  • Akseli Gallen-KallelaLake Keitele 1905
  • Alfred William FinchThe Channel at Nieuport about 1889
  • Theo Van RysselbergheA Coastal Scene perhaps 1892
  • Paul SignacLes Andelys, the Washerwomen 1886
  • George SeuratBathers at Asnieres 1883-4
  • Id.The Channel of Gravelines Grand Fort-Philippe 1890
  • Charles AngrandThe Western Railway at its Exit from Paris 1886
  • Pierre-Auguste RenoirMisia Sert 1904
  • Id.Gladioli in a Vase 1874-5
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