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読む Archive
100パーセント超の男の子 - 村上春樹「カンガルー日和」
空港で買ったもう1冊の本は、村上春樹の「カンガルー日和」だった。自宅か、あるいは実家の書棚には同じ本が並んでいるはずだけど、僕は短編「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」を読み返す必要を感じていた。気に入った箇所を3つ、書いておこう。
ホエア・シャル・ウィ・ゴー? - 野口嘉則「3つの真実」
ジョン・F・ケネディ空港の入国審査は混んでいて、それなりに快適だった空の旅の余韻も、一気に二流市民という現実がかき消す。正確に言うと、僕は市民ですらないから、つまり、アメリカから見れば潜在的なテロリストということだ。この国に降り立つともれなく、そういう貴重な気分が味わえる。けれども、読み終えたばかりの「3つの真実」は、このささくれ立った気分と状況にも一条の光明を与えてくれた。
乾くるみ「イニシエーション・ラブ」
恋愛は、ミステリーだった。機内で読むものが欲しくなって、わざわざシャトルに乗って第二ターミナルの"離れ"にある三省堂まで行く。以前「のだめ」を買ったように、搭乗直前の買い込み。「評判通りの仰天作。必ず二回読みたくなる小説など、そうそうあるものじゃない。」という帯に惹かれて買ったのが、この乾くるみ「イニシエーション・ラブ」。裏表紙には「青春小説――と思いきや、最後から二行目(絶対に先に読まないで!)で、本書は全く違った物語に変貌する」なんて書いてある。気になって仕方ないので、騙されたと思って読んでみた。そして、騙された。筆者の痛快無比なトリックに。
野口嘉則「3つの真実」
空港に向かう電車のなかで、野口嘉則「3つの真実」の後半を読み終える。この本はX氏が僕にくれたのだけれど、役員秘書からこの本の入った封筒をもらった時、正直に言って僕は警戒した。当初の僕の意図とは無関係に、しかし、結果的に、僕のある提言がX氏の職業上の地位を脅かしていたからだ。だから、この本の――あるいは、この本を渡されたことの――趣旨は、恨み節でも言い訳でも仕方なかった。僕は生まれて初めて、道義的な義務感から本を読んだ。けれど、この本の内容は温かみに満ちていて、僕は、わだかまりが溶けていくのを感じた。
神と我が正義、そして、我が権利
観劇のチケットを受け取りに行くついでに、王立歌劇場の周囲を歩く。「ロミオとジュリエット」だとか次回公演のポスターも気になるものの、それ以上に僕の目を引いたのが、ポスターの掲示板の上に掲げられた英国王室の紋章。間近で見ると、「Dieu et mon droit」と書いてある。イギリスなのにフランス語。まぁ、それはともかく、このフレーズは面白い。
アメリカの"親切文明"と間抜けな注意書き - 司馬遼太郎「アメリカ素描」
- May 3, 2008 11:42 PM
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僕はまえに「アメリカ素描」という題でブログを書いた。けれどこれは、実は本家の司馬遼太郎の本はまだ読んでおらず、そのくせ題名だけを拝借するという、厚かましさの二階建てだったりする。そこで、ニュー・ヨークから帰るなり思い出したように後付け的に本家を読みはじめる。これが、なかなか面白い。1980年代の司馬にはゲイ文化がよほど鮮烈だったらしく、サン・フランシスコでの見聞に30ページも割いている。ともあれ、まず注目すべきは、本書の骨格を形成する「文明」と「文化」についての明快な定義だ。
経済の網と交通の網 - キンドルバーガー「経済大国興亡史」
- March 12, 2008 4:50 PM
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先週に続く名古屋出張で、新幹線の本数の多さとビジネス客の多さにあらためて驚く。そして、車中でチャールズ・キンドルバーガーの「経済大国興亡史」を読みながら、交通と経済発展の相関を思う。物の流れがこの数世紀間の経済覇権を規定したように、これからは、人の流れが覇権を決するのか、とか、決しないのか、とか。
アンリ・ポアンカレ「科学の価値」
- March 10, 2008 9:04 PM
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名古屋に向かう新幹線のなかで、アンリ・ポアンカレの「科学の価値」を読む。数理や物理をめぐる議論も大いに示唆に富むものだったけれど、僕は何にも増して、全編を貫く"真理への情熱"に心を打たれた。もちろん、「たとえば、電気理論・熱理論はこの偏微分方程式の新しい面を見せてくれる」式の、僕の理解を超える「例え話」が本の過半を占めることは正直に認めよう。それでも、この読書が無駄にならなかったのは、ポアンカレの澄んだ言葉にある。
小山薫堂「考えないヒント」
- March 4, 2008 6:50 AM
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分厚い本を読み終わったら、あるいは、それと並行して、箸休め的な本を読もう。小山氏の本ならきっと軽いだろう、と思って選んだこの新書はやっぱり、軽かった。打ち合わせの合間に、麹町のカフェであっさりと読み終わってしまった。ところが、軽いということと、空疎ということは、違う。小山節は番組もエッセイも、実用書でさえも同じなのだ。
核抑止力の日常を生きる - ポール・ケネディ「大国の興亡」
- March 2, 2008 11:31 PM
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最近読んだ何冊かの本のなかで、一番の大作はポール・ケネディ「大国の興亡」だ。上下巻で800ページという分量よりも、1500年から2000年までの500年間に起きた世界の覇権の盛衰を、総括して論じるというその気概において、これは大作と呼ぶほかない。読み終えて、オスマン・トルコや明王朝の血なまぐさい戦乱は、しかし、幼少時代の微笑ましい記憶のようにさえ思えた。僕たちは大人になってしまったからだ。なぜか。いまの僕たちは自らを滅ぼす核兵器を持っていて、それでいて、未だに核の冬を迎えていないからだ。
経営請負人の出現と村落の"分社化" - 網野善彦「日本社会の歴史」
- February 10, 2008 5:20 PM
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貨幣の鋳造や輸入はかねて試みられているが、貨幣経済が庶民への普及をみるのは12世紀後半の平清盛による宋銭の輸入によってではないだろうか。1179年には、大量の宋銭流入の結果として引き起こされたインフレに対して京都の人々が反発したとの記録がある。13世紀後半には、貨幣そのものを神仏として敬う風潮すら出現する。貨幣経済の浸透は、荘園の経営請負人を生み、厚みを増す経営人材層は村落を分社化させて自立の道を拓く。
モンゴルへの強気の謎 - 網野善彦「日本社会の歴史」
- February 10, 2008 3:54 PM
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中国大陸を支配してイスラムを征服しつつあるモンゴル帝国が、目と鼻の先の対馬海峡まで迫ってきたらビビるっしょ。それなのに、鎌倉の執権北条氏はやたらと強気。深夜のデニーズ青山店で、「やばいやばい日本やられちゃうよ」と僕はおろおろしていたのだけれど、結果オーライ的な神風で安心して、僕はジョナサン広尾店に移動して建武の新政に入る。しかし、それにしても、元寇に至るまでの外交には謎が残る。
橋としての本、島としての本
- February 9, 2008 3:36 PM
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丸谷才一「思考のレッスン」
- February 9, 2008 1:33 PM
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羽田と札幌を往復する機上、丸谷才一の「思考のレッスン」を読む。仮説構築をめぐる何冊かの本で揃って紹介されていて、それでいて、作家・丸谷の名前は一見するとそういったビジネス書とは縁遠そうで、そんなミスマッチが気になったんだよね。たしかに「古今和歌集」やらジェームズ・ジョイスやら文学系の固有名詞が頻出するんだけどそれは単なる例示であって、本質は彼の思考法だ。そして僕は、彼のその思考に、僕の嗜好(思考とまでは言わない)と共通するものを多く感じ、この一冊で丸谷才一が大好きになってしまった。
非交渉の罪 - ドストエフスキー「罪と罰」
- February 9, 2008 11:37 AM
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「ラスコーリニコフの舟板」の続き。計量の難しさはともかくとして、最大多数の最大幸福のために不可避なら少数の犠牲も已むを得ない、という考え方は理解できる。その肌触りは、「大善は非情に似たり」だけれども。ともあれ、その実施には説明責任が伴う。さらには、説明することで犠牲を小さくしたり、場合によっては不要としたりすることもできるかも知れない。そもそも、ラスコーリニコフは一体、何の「罪」を犯したのか。僕はそれを、老婆殺しの罪ではなく、非交渉の罪だと推定する。
プロポーズ・アゲイン - プラハ国立劇場/モーツァルト「フィガロの結婚」
「魔笛」に続いて、プラハ国立劇場の「フィガロの結婚」を観る。歌喜劇(オペラ・ブッファ)「たわけた一日、あるいはフィガロの結婚」という題名通り、これは滑稽なドタバタ劇だ。けれど、それでいて、痛快な計画やその失敗やお互いの誤解の末に3組のカップルが結ばれる結末は温かさに溢れている。そして、観劇して気づいた重要な通奏低音は、伯爵夫人の夫への思いだ。
ラスコーリニコフの舟板 - ドストエフスキー「罪と罰」
- January 31, 2008 10:42 PM
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1月30日付の日経新聞「春秋」欄は、国会の「つなぎ法案」をめぐって、刑法の緊急避難を取り上げて切り口としていた。ここで僕は、正月に読了したドストエフスキー「罪と罰」を思い出した。この作品はまだ消化の途上で、僕はまだ、ステーキを食べたあとみたいな膨満感に浸っているのだけれど、ちょっと触れてみようかと思う。
交換の萌芽と絶縁の市場 - 網野善彦「日本社会の歴史(上)」
- January 27, 2008 1:58 PM
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交易が縄文時代に遡ることができること、そして、必然的に出現する交易のための市場は、神の領域として生活の場から隔離されたことは新しい発見だった。さらに、その市場がフリー・セックスの場でもあったことは象徴的で、事物の「縁を切る」場として市場が位置づけられていたことは、流動性が僕らにもたらす心情を鋭くとらえている。
良田百万町歩開墾令の大志と墾田永年私財法の実務 - 網野善彦「日本社会の歴史(上)」
- January 27, 2008 10:29 AM
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新年の感慨と、クラシック音楽への興味から抽出された歴史的興味と、事業戦略のヒントを得る期待などがないまぜになって、僕はいま、「日本社会の歴史」という本を紐解いている。社会に出てもいない鼻たれ小僧に、それでも社会科の時間が多くをもたらしてくれたように、社会に出た鼻たれ小僧にも、社会科の時間は多くをもたらしてくれそうだ。こんどは、膝を交えた大人の会話ってやつだ。
善だとか悪だとかじゃなくて - モーツァルト「魔笛」
モーツァルト「魔笛」は、善悪の二元論で解釈しようとすると混乱してしまう。王女パミーナを誘拐した"悪"のザラストロが、劇の途中で、"賢者"になってしまうからだ。それを台本の誤謬とする説もあるようだけれど、タミーノとパパゲーノを主人公として作品を鑑賞する立場をとれば、異なる価値体系の並存こそは、ふたりの主人公の処世を描くために欠かせない二張の背景なのではないだろうか。
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